「 世界で最も遅れている“理科教育”の惨状を救う検定外教科書の中身の濃さ 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年9月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 508回
この国の子どもたちの教育で、最も遅れているのは理科教育だといわれる。国語力や数学力の低下を憂い、議論する教師は増えてきたが、理科教育の問題点については、これまで目立つ議論はされてこなかった。
実情を見ると、日本の子どもたちの理科嫌いは、国際調査でも際立っている。それにはしかし、十分な理由がある。なんといっても現在の教科書の内容が薄く、系統的な教え方がされていないため、初めから興味など抱けないのである。
「ゆとり教育」によって指導内容は削りに削られてきたが、その削り方は尋常ではない。中学分野で削られた項目をざっと見ても、質量と重さの違い、水の加熱と熱量、比熱、水圧、浮力、花の咲かない植物、月の表面の様子、地球の表面の様子、惑星の表面の様子、交流と直流、真空放電、電力量、無脊椎(せきつい)動物、電解質とイオン、電池、力の合成と分解、遺伝の規則性、生物の進化……書き続ければ、小欄はそれだけで終わってしまうほどの削りようだ。
科学的な思考力の基礎となる大事な定理、真理が、悉(ことごと)くといってよいほど落とされている。二一世紀を科学力で切り拓いていこうと思うなら、こんな教科書で教える理科教育と、その理科教育の惨状を引き起こした文部科学省の指導要領に、私たちおとなは、うんと抗議しなければならない。
そこで、子どもさんも含めて、ぜひ読んでほしい理科の本がある。『新しい科学の教科書』全三巻(検定外中学校理科教科書をつくる会、執筆代表左巻健男、文一総合出版)である。「現代人のための中学理科」と副題にあるが、おとなにも十分、楽しめる。
たとえば、私たちはなぜ物を見ることができるのか。それは物が光を乱反射しているからだというのは、ずっと幼い頃に習ったはずだ。この教科書は、物が乱反射で見えるのだということを、さまざまな例を示しながら読みやすく書いている。
「ゆとり教育」の果てに内容が削られた指導要領では、子どもたちへの負担が大き過ぎるとして教えない乱反射が、ここではきちんと説明されている。
さらに楽しいのは、章ごとに設けてある“科学コラム”だ。たとえば「物体が見えるとは」のコラムでは、古代ギリシャ時代の説が紹介されている。当時は、物が見えるのは目からなにかが放出され、それが物体に当たって戻ってくるからだという説や、物体の表面から皮のようなものが剥がれ落ちて目に入るからだというユニークな仮説が数多く立てられたという。
現在、私たちが知っている、光によって物を見ることができるという説は、十一世紀にアラビアの学者によって唱えられたのだそうだ。物が見えることの研究は現在、目から脳の研究へと分野を移しているが、ここまでの研究の歴史を知るにつけ、人間の探求心と想像力の多様性に感動する。
もう一つ、物質の性質である重さについて。イタリアのサントリオ・サントロという好奇心旺盛な科学者は、食事をしたら物質としての食物の重さはどうなっていくのかを調べるために、座席付きの天秤を作り、その上に一日中座って過ごしたそうだ。食事も排泄もその上で行ない、ついに、体に入った物質と出ていった物質は、自分の汗まで含めて計算すると、すべて帳尻が合うことを確認したという。
思わず笑ってしまったが、こんなふうに好奇心を抱き、実験してきた愛すべき変わった人びとがいてこそ、今の科学があるのだ。
この教科書をつくったのは、全国約200人の理科好き教師たちだ。現行教科書に絶望し、自分たちで教科書をつくろうという左巻氏の呼びかけに反応して、あっという間に出来上がったそうだ。それだけに、内容がおもしろい。私たちももう一度、この教科書で頭を柔らかくするのは、きっとよいことに違いない。