「 情報操作に惑わされるな 行ってこの目で確かめた『反戦デモ』の誇大報道 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年4月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 489回
対イラク戦争は、すさまじい情報戦である。そのなかで何を信ずることができるのか、何が真実なのかを判ずるのは容易ではない。
情報の受け手である一般読者や視聴者は、事実に近づくときに少なくとも2つの壁があると考えるべきだ。
第1の壁は、米英そしてイラクの当事者国政府による情報操作の壁である。
ベトナム戦争のときは、泥沼化した戦況の報道が、米国政府を窮地に陥れた。これに懲りた米国政府は、1991年の湾岸戦争では、厳しい報道規制を敷いた。米国に対抗するために、イラク政府はCNNのピーター・アーネット記者をイラク国内にとどまらせ、イラクから見た湾岸戦争の映像とニュースを送らせ続けた。
当時、CNNおよびアーネット記者に対しては、イラク側の宣伝に加担するものだとして厳しい批判もあったが、同記者は、報じた内容は自分の目で見、取材した事実であると反論、その名声は高まった。
91年の報道規制とは打って変わって、今回、米国政府は多数の記者を戦場に同行した。内外の500人の記者やカメラマンによって、戦闘の様子は、居ながらにして私たちの家庭に送られ続けている。
ここでも、送り出される情報は選択されたものではある。ただし、公平に言えば、情報操作の程度は、米英よりもイラク側のほうがはるかにすさまじい。イラク側にはそもそも報道の自由などという概念がないのであるから、公正な報道は初めから望むべくもない。
事実から私たちを遠ざけるもう一つの壁は、伝え手の情報操作である。あるいは情報の選択、といってもよいかもしれない。洪水のような膨大な情報量のなかから、何を選んでどう伝えるかによって、事実はまったく異なって見えるものだ。
小さな事例だが、NHKの伝える反戦デモである。3月20日(日本時間)のイラク攻撃開始前から、世界各地で反戦デモが行われていた。NHKはそうした動きを連日伝えたが、その伝え方が際立っていた。イラク関連のニュース報道を、世界各地の反戦デモで締めくくるというパターンを繰り返したのだ。そのような構成自体が、イラク攻撃に反対という明確なメッセージの発信となる。
翌21日だったと記憶するが、正午のニュース番組でも、イラク関連ニュースの最後に反戦デモを伝え、そのなかに東京・港区の米国大使館前でのデモの映像があった。画面いっぱいに映し出された映像ではかなりの人たちが集まっているように思えたため、私は現場に出かけた。日本人がイラク問題でデモをするのなら、自分の目で見ておきたいと考えたからだ。
だが、行ってみて感じたのは、NHKの映像と現場のデモの様子との落差である。半数以上が警備の警官かと思えるたたずまいのなかで、デモの参加者は米国大使館に向かい「戦争反対」と叫んでいた。
映像のマジックというが、その裏には、映像をマジックに仕立て上げる意図が潜んでいると思わなければならない。NHKだけではないが、報じられている情報は、伝え手によって取捨されているということだ。
折しもアーネット記者がイラク国営テレビの取材に応じ、米国の作戦が誤っていたとの主旨で語ったとされ、NBCによって解雇された。詳細はまだ不明だが、同記者がNBCと米国民に謝罪したとも伝えられた。
記者として取材を重ねれば、ある種の価値判断を持つに至るのは当然だ。そのことを言うべきなのか、言ってもよいのか、どこで、いつ言うべきなのかなど、報道する側の倫理もまた厳しく問われている。
それにしても、NBCもCNNもBBCも、外国の報道機関は、少なくとも自社の記者を現地に送り込んでいる。最も危険な地域からの報道をフリーの記者に頼っている、日本の報道界の力のなさが目立つのだ。