「 北朝鮮外交成功のためには日本側の窓口一本化が必要 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年1月11日早春号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 476回
13歳で姿を消した娘の子どもが15歳で見つかった。失踪した娘と同じ年ごろの孫に会いたいと思う気持ちは、ごく自然なものだ。
だが、横田滋さんは昨年12月24日、安倍晋三副長官に「北朝鮮には行きません」とあらためて報告した。行きたい、しかし、利用されかねないと、揺れる滋さんを説得したのは息子の拓也さんらだった。
めぐみさんの弟の拓也さんらは、金恵京(キムヘギヨン)さんに会うことよりも、めぐみさんの安否情報を得ることが重要だと指摘した。横田夫妻が北朝鮮を訪問すれば、涙と熱烈な歓迎が展開され、帰国した5人の親たちには、なぜ北朝鮮に戻って子どもや夫と対面しないのかという情の訴えかけが、北朝鮮側からなされていくだろう。その陰で、拉致問題そのものが掻き消されていく。
横田夫妻が訪朝したからといって、決して、めぐみさんや増元さんや有本さんらの情報はもたらされない。これまで北朝鮮側の語ってきたことは、拉致と核開発を認めたことを除けば、すべて嘘だったのであるから。
自由を取り戻した被害者5人の姿は、毎日のように変わる。12月18日に新潟で一堂に会して以降、金日成バッジを自らの意志ではずし、あらためて北朝鮮には戻らないことを宣言した。
今回の横田夫妻の決断も、肉親を北に置いたままの5人の被害者の決断も、第三者の想像をはるかに超える深刻さを伴ったものだ。肉親を人質に取られた彼らが、戦う姿勢を示したのだ。日本の外交は、彼らの気持ちを生かすものでなければならない。国民を拉致されたままでは、いかなる交渉にも応じないと、あくまでも鮮明に主張し続けることだ。
拉致問題を長年にわたって支援してきた「現代コリア研究所」には、今でも、もしや行方不明のわが子は拉致されたのではないか、との問合せが続いている。12月23日時点で、その数は130人を超えた。
これらの事例から明らかになってきたのは、これまで日本人拉致は、1970年代後半に金正日書記の指令で始まったとみられていたのが、実はそうではなく、70年代前半にも多くの人びとが拉致されていた可能性が強いということだ。また、これまで拉致は、日本人になりすまして、韓国に潜入するスパイを教育したり、日本人の犯行と見せかけてテロ活動を行うためとみられていたが、そこにとどまらず、より大きな目的があったとの見方も出てきた。
その一つが、北朝鮮から逃れてきた元工作員、安明進氏の証言である。氏は60年代から70年代にかけて、北朝鮮が日本に革命を起こすことを目指して日本人村をつくり、訓練したと述べている。そうであれば、日本人拉致はより広範に行われているはずだ。5人のほかに8人や10人の被害者がいる、という程度ではすまない可能性が大きいのだ。だからこそ、私たちは拉致問題で安易な解決を求めてはならない。5人をいったん北に戻して交渉を、というのはありえないことだ。
今後、停滞の時期もあるであろう、このむずかしい北朝鮮外交を成功させるには、日本側の窓口を一本化しておくことが重要だ。日本側に二つの窓口があるのは、付け込まれる余地を残す。
にもかかわらず、田中均氏はアジア大洋州局長から外務審議官に昇進したあとも、北朝鮮を担当するそうだ。
田中氏が北朝鮮外交に関与するとして、氏が単に川口外相と福田官房長官のラインでのみ動くとしたら、日本にとって不利な結果となるのは目に見えている。北朝鮮外交と拉致問題の解決は、まさに日本国のあり方を問う案件だ。ここは個々人の名誉欲を捨てて、官邸と外務省の動きの一本化に、首相が指導力を発揮すべきだ。