「 敗戦直後、日本人再教育に使われた『眞相箱』の実態 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年7月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 453回
過日、古い本を読んだ。『眞相箱 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戰の眞相』である。
今では古書店でもなかなか見つけられないもので、コズモ出版社から1946(昭和21)年8月25日に出版され、値段は15円である。
じつは、私はこの本が文庫本として再出版されるにあたって、若干の解説を書いたのだ。書きながら、本当に腹の立つ想いがこみ上げてきた。
『眞相箱』は、日本を占領したGHQが、日本人教育のために行なったラジオ放送の台本集とでもいうべきものだが、戦いに敗れたからといって、ここまで事実を歪曲され、虚偽を教え込まれてよいものかと思う。
読み進むうちに、あの敗戦直後の日本のおとなたち、あるいは物心ついた年齢の人たちは本当に気の毒だと実感した。彼らは大本営の発表が大いなる虚偽だったと気づいたと同様、GHQの喧伝も事実からはるかにかけ離れていることを実感として知っていたはずだ。しかし、世はGHQ全盛である。新聞もラジオも雑誌も検閲されてGHQ批判はできなかった。識者も、GHQ政策の批判はできない。GHQの主張はおかしいとたとえ思っても、沈黙せざるをえなかった。そのことを論ずることも、いわんや批判することもできない苦しさはどれほどだったことか。
日本国民全員に教え込もうとするかのように、『眞相箱』は週のうち5日間、ラジオ放送された。娯楽の少ない時代、多くの日本人がこの放送を聴いたことだろう。東京裁判の審理と重なる時期、3年余も続いた『眞相箱』のなかの嘘を、いくつか拾ってみよう。
たとえば「ル大統領の親書」という項目がある。これは1941年12月6日、真珠湾攻撃の直前に、ルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた電報親書で、ルーズベルトが最後の瞬間まで戦争回避と平和への努力を続けたというものだ。ルーズベルトが戦争を防ごうとした平和志向の人物、反対に、それを妨げた日本の悪しき外相東郷茂徳という構図を描いている。
だが、東郷外相が陸海軍を抑え、世にいう乙案を米国に示したのは歴史上の事実である。それは、米国が日本への石油全面輸出禁止と在米日本資産の凍結を解除すれば、日本は仏印から撤退すると大幅に譲歩した、まさに戦争回避、平和模索の動きだった。米国側はこれを拒否して、11月26日に、あのハルノートを突きつけたのだ。
ハルノートは、それまでの約8ヵ月にわたる交渉のなかで、一度も出てきていなかった新たな実現不可能な条件を要求していた。これがどれほど挑戦的なことであったかは、駐日米大使のジョセフ・グルーが「この日、開戦のボタンは押されたのである」と、その回顧録に書き残したほどだ。
そして注目せざるをえないのは、繰返し「日本の無条件降伏」という表現を用いている点だ。江藤淳氏が鋭く指摘したように、日本軍は“無条件”で武装解除に応ずることになったが、日本国は有条件降伏だった。
にもかかわらず、GHQは1945年9月に入って軍政を敷いた。不当だとの日本政府の抗議も虚しく、日本は無条件降伏の扱いをされた。否、ヒトラーが自殺して中央政府が崩壊し、まさに無条件降伏をしたドイツよりもさらにひどい扱いを受けた。
自由な言論を封殺した検閲も、日本の教育を根幹から揺るがし崩壊させていった教育改革も、無条件降伏という枠組みなしにはできなかったことだ。伝統的な日本の価値の取壊しと、“二度と立ち直れない日本”につくり替えるという許しがたい意図が透視される軍政を支えたのが、無条件降伏である。
21世紀の日本を背骨の通った主権国としてつくり上げるには、歴史の歪みから知っておかなければならない。