「 安保50年、日米両政府は祝わない 」
『週刊新潮』 2010年1月21日号
日本ルネッサンス 第395回
1月19日、海上自衛隊は碇泊中の艦船を満艦飾に装い、夜には各艦にライトを当てて、50年前のこの日、日米安保改定条約が調印されたことを祝うという。同じ日、駐日米国武官主催の「ホームパーティー」も開かれる。関係者への招待状は 1月12日配達という直前のタイミングだが、鳩山政権の空虚な安全保障政策に危機感を抱く人々は、同会への招待を前向きにとらえ、日米の絆の確認につなげたいと期待する。
50年前の1月19日、岸信介首相はホワイトハウスで、クリスチャン・ハーター国務長官と共に安保条約改定の調印式に臨んだ。
岸は57年6月に行ったアイゼンハワー大統領との首脳会談で初めて、米国側に安保改定を申し入れたが、その主張は日本は防衛力の増強に努める、米国に可能な限りの軍撤退を求める、安保条約を合理化し、大幅に改定して、日本の自立を高めるというものだ。岸は10年後の沖縄、小笠原諸島返還も求めた。
日本の要請を米国に受け入れさせるために、岸の行った訪米前の準備は真剣かつ徹底していた。原久氏の『岸信介 権勢の政治家』(岩波新書)に詳しいが、岸は駐日大使マッカーサー(マッカーサー元帥の甥)との予備会談を少なくとも7回行い、東南アジアをも歴訪してアジアにおける日本の地位の重要性を米国に印象づけた。国内では防衛力強化を目標に、第一次防衛力整備三か年計画(1958~60年)を策定した。3年間で、陸自として18万人、海自12万4,000トン、空自1,300機の整備を目指すと明記した。
対等な安保協力を求める限りは、自国の戦力を強める意思を明示し、米国の眼前で実行する必要があることを知悉していたのだ。米国は、言葉だけでなく、戦力を養って真の独立を確立していきたいとする岸に安保改定の合意を与えた。
命を懸けての安保改定
岸はしかし、国内で苛烈な抗議運動に直面した。30万の大群衆が反対の気勢をあげて首相官邸を取り囲み、警視総監は警備に「自信がない」として、官邸脱出を勧めた。側近が一人去り、二人去る中で「殺されようが何されようが(安保改定は)絶対必要」と思い定めた岸は、法案の自然成立に必要な30日目の6月19日の朝をデモ隊が取り囲む官邸で迎えた。4日後、新条約の発効を見届けて辞任したが、大戦略を描き得た岸であればこそ、文字どおり命を懸けての安保改定だった。
岸が心を砕いたのは、冷戦の深まりとともに日本に尚、浸透しようとする社会主義、共産主義勢力を如何に食いとめるかでもあった。安保改定の前年、北京を訪れた浅沼稲次郎は「米帝国主義は日中両国人民共同の敵」と述べた。岸の求める安保改定に応じなければ、日本が「中立化」或いは「共産化」していきかねないと米国が恐れたほどの力を、浅沼ら、左派勢力は誇示した。
改定安保調印から50年、いま日米間の溝は深い。鳩山首相は日米の対等という、岸と同じ表現を用いながら、内容がまったくないのである。
対等な同盟国、或いは対等な協力者に必要なのは自助及び相互援助の力を有していることである。その力は、経済力などの非軍事力ではあり得ず、軍事力そのものである。だが、民主党の象徴的リーダーとしての鳩山首相も実質的リーダーとしての小沢一郎幹事長も、その点の認識を欠いている。両氏とも自らの意識と現実との距離を認識できないのである。
本誌が発売される頃には、自衛隊のインド洋における補給活動は中止される。普天間飛行場の移転問題は展望が見えない。そうした中で、インド洋での給油給水活動を中国海軍が肩代わりする可能性も指摘されている。海自の幹部の1人は、中国海軍はすでにソマリア沖で自国艦船への補給活動を行っており、インド洋で海自に取って替わることは、技術的に不可能ではないと推測する。
アフガニスタンの活動全体がテロとの戦いであるだけに、中国が申し出れば米国側に拒む理由はないとも見る。その場合、日本の立つ瀬は失われていくだろう。右の幹部が語る。
「自衛隊が情報収集において米軍に依存している以上、政治的齟齬によって情報提供を受けられなくなれば、わが国の防衛は支障を来します。海上艦艇の動きなど、戦術面の情報は掴めても、中国軍の動きや北朝鮮の弾道ミサイルなどの戦略情報については全くわからなくなります」
鳩山首相は岸と異なり、対等な関係の基盤となる情報力や軍事力の整備を考えず、逆に自衛隊の定員も装備も減らす政策である。「対等」の主張とは裏腹に、対米依存を高めざるを得ない矛盾の中にある。
虚ろな対等論
もう一点、岸政権当時も警戒すべきであった体制も価値観も異なる中国は、いまや誰の目にも尋常ならざる軍事的脅威を形成する。対して、日本は万全の守りを実現出来るのか。東シナ海における一方的開発や尖閣諸島領有権の譲らぬ主張を見るまでもなく、中国の脅威は厳然としてあり、現時点で日本が独自に対抗出来るとは思えない。どうしても、米国との連携が必要で、それは、アジア全体の自由と民主主義にとっても必要である。日米の緊密な連携は米国にとっても不可欠なはずだ。
その意味で1月19日は、両政府がともに祝うべき記念日なのだ。しかし、合同式典を考える雰囲気さえ、両国間には存在せず、米国政府は、鳩山民主党の虚ろな対等論を疑問視する余り、日本政府とまともに話し合えるのかと疑っている。
去る9日、北澤俊美防衛相が日米両首脳が50周年を機にそれぞれ声明を発表する方向で調整中だと明らかにした。何もないよりも、声明だけでもあったほうがよいという苦肉の策にすぎない。
この現状に強い危機感を抱くのが、日米関係の重要性と中国の軍事力の脅威を実感している日米両国の軍当事者らである。日米関係の空洞化が中国に誤ったメッセージを与える危険性を、彼らは十二分に承知しているからだ。だからこそ、駐日武官がホームパーティーを開くのだ。
世界の大国米国と、相対的に力を落としつつあるといえどもこれまた大国日本の軍事同盟の調印を祝うにしてはささやかな武官主催の会、公式の催しの色彩から遠くはなれた形のホームパーティーに期待が集まるのも、それが政治の齟齬を埋めたいという当事者相互の意思確認の肯定的な動きととらえられるからだ。岸が命を懸けて成立をはかった改定安保条約は、紛れもなく50年間、日本を支えてきた。自衛隊は同盟関係の基盤を成す信頼醸成に努めてきた。
それを鳩山政権はいとも簡単に崩しつつある。日本に死活的に必要な日米同盟を空洞化させ、大戦略の片鱗も想像出来ない鳩山民主に政権与党の資格がないのは明らかだ。