「 報道の自由を阻害する人権擁護法案を成立させてはいけない 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年3月9日号
オピニオン縦横無尽 436回
悪魔の企みは美名を纏(まと)ってやってくる。「人権擁護法案」がそれだ。
政府が今の国会に提出するとして用意した法案の内容が2月23日に明らかになったが、いったい、このような法案を考えだした官僚や役所は、この国をどうしようと考えているのだろうか。人権擁護といえばいかにも美しく耳ざわりもよい。だが実態は報道の自由を侵害し、言論と報道を窒息させ、悪をはびこらせる格好の手段となるのがこの法案である。
法案の中身は、まず、法務省の外局として人権委員会を設置するとなっている。委員長と4人の委員がメンバーで、うち3人は非常勤とし、首相が任命する。上の計5人が、行政および報道によって人権が侵害されていないかを調査し、首相や関係行政機関の長に対して意見を提出するのだそうだ。
人権が侵害された場合、一般救済手続きと特別救済手続きのどちらかがとられるが、後者の場合は30万円以下の罰金が科せられる。
特別救済の対象として、法案は差別、虐待に加えて「報道機関による人権侵害」を盛り込んだ。どんな報道が人権侵害に当たるのか。法案には、「私生活に関する事実をみだりに報道」「その者の名誉または生活の平穏を著しく害する」報道や取材だと書かれている。
「その者に対し、過剰取材行為を継続的にまたは反復して行」なうことも、「つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、通勤先、学校など通常所在する場所の付近において見張りを」することも「これらの場所に押し掛けること」もダメになる。「電話をかけ、ファクシミリ装置を用いて送信すること」も罰則の対象となる。
よくもここまで悪知恵を働かせて法案を作ったものである。
まず、「みだりに報道」「著しく害する」などの抽象的な基準で報道や取材を規制するのは、公平ではない。「みだりに」や「著しく」というのは、いかようにも拡大解釈されるからだ。
次に、この法案に基づけば、灰色の疑惑の追及は事実上不可能になる。疑惑を抱かれている人物は、往々にして口を噤(つぐ)むからである。
たとえば薬害エイズ事件の被告人である帝京大元副学長の安部英氏は、私も参加した番組の取材依頼に対して自ら電話に出ながら、エイズの件だと知ると、自分は安部氏の「下にいる者」だと偽りの言葉を述べて逃げた。その後にかけた取材依頼の電話には無回答を通した。厚生省元生物製剤課長の松村明仁氏には、幾度、取材依頼の電話をかけ伝言を残したことか。しかし、氏もまた、決して取材に応じなかった。
だからこそ私は、早朝から安部氏自宅前に“張り込んだ”。松村氏自宅前にも“張り込んだ”。自宅から出てきた安部氏は、それでも問いには答えなかった。松村氏は迎えのクルマにさっと乗り込み、こちらもひと言も答えようとはしなかった。
こうした一連の取材を通して、私は薬害エイズ事件の不当な実態と当事者らの姿を報じた。だが、今回の法案が成立すれば、私の取材活動のほとんどは、違法行為となり、私は罰せられる。守られるのは疑惑のなかにあって“物言わぬ”人びとだ。責任者として語るべき義務があっても、この法案に基づけば、語らなくてもすむことになる。
いったい、法務省はだれの人権を守ろうとしているのか。このような悪法を成立させてはならない。自由な言論と自由な報道の阻害は、その国の精神を病ませ死なせ、悪のはびこりを促す。
人権擁護のための委員会を法務省の外局とするという考えも身のほど知らずである。法務省の人権擁護局はハンセン病患者の90年にわたる隔離政策を放置し、悲劇を見過ごしてきた人びとである。人権の美名を纏った悪法は許してはならない。