「 顰蹙を買う自民党議員の振る舞い 保守体制の立て直しに全力を尽くせ 」
『週刊ダイヤモンド』 2009年9月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 805
9月8日、総選挙で大敗した自民党が、党本部で両院議員総会を開いた。約1時間20分、党立て直しの第一歩になるべき総会では、16日に行われる首相指名選挙で麻生太郎氏の名前は書きたくない、総裁選挙の新しいルールをつくってほしいなどの声が続いた。こうした言葉のどれ一つとして、聞く側の胸を打つものはない。
完全に統治能力を失い、なにが真の問題なのかを、認識できていない自民党の姿が見えてくる。
16日の首相指名から28日の自民党総裁選挙までの一連の事柄は、つい、しばらく前に自民党議員自らが選んだ麻生政権の死に水を取る作業である。きちんと再出発するためにも、自分たちの選択に最後まで責任を持ち、きちんと後始末をするのは、日本人、いわんや保守政党を自任する自民党議員なら、当然のことだ。
だが、自民党を大敗北に導いた麻生氏の名前は「絶対に」書きたくないと幾人かが言えば、党三役の一角を占める笹川堯総務会長や、内閣の要の河村建夫官房長官ら重鎮までもが、白票でなければ党はまとまらないと言い始めた。両院議員総会でも、甘利明氏が白票を投ずることを主張した。
こうした意見は麻生氏を選んだ自らの責任を直視していないからではないか。国民の不信を買ったのは、単にこの1年の麻生氏ではなく、積年の自民党政治ゆえであることを、認識していないのではないか。
首相指名での自民党の敗北が自明であるだけに、見苦しい対応は避けなければならない。個々人の嫌悪感を横に置いて筋を通さなければならない。
長く日本統治の規範となってきた武士道の価値観では、なによりもまず、政治を司る者が、「私」を政治に持ち込むことを否定する。責任転嫁は卑怯な振る舞いとされる。惻隠の情を尊ぶことを教える。自民党はこれらすべてにおいて、望ましい振る舞いを逸脱している。
結局、自民党は、16日の首相指名で若林正俊両院議員総会長に投票することになった。人柄がよい、総会の仕切りがよかった、などの声が自民党内から聞こえてくる。けれど、夢も気概も志もない選択である。若林氏はベテランではある。農林水産大臣をごく短期間に3度、こなした。松岡利勝、赤城徳彦、遠藤武彦の3農相がおのおのの事情で死去、辞任したことを受けての、文字どおりのつなぎである。環境相も約1年間務めた。が、農業や環境に、どんな貢献をしたのか、日本の目指すべき方向や国家観について、いかなる発言をしてきたのか、私は寡聞にして知らない。
いま、谷垣禎一、石破茂、石原伸晃の3氏の名前が自民党総裁候補として挙がっている。ほかにも出馬する人物がいるかもしれない。
彼らに自民党再生ができるのか、疑問である。自民党の相手は小沢一郎氏である。かつて氏は、日本をまともな自主独立の国にするために、小沢調査会を設置して集団的自衛権や憲法改正に取り組もうとした。その後、180度転換し、選挙で勝つために自治労、日教組を取り込んだ。政権奪取のために信念を捨てたと思われる。氏は、来年の参議院選挙を睨んで、社民党との連立、労働組合との協調を強める一方で、業界取り込みを徹底するだろう。
参議院選挙に及ぼす業界票の重みは、衆議院選挙よりも大きい。選挙戦略に全力を傾注する小沢氏に対して、自民党は選挙態勢をつくり直し、国民の支持を奪回しなければならない。保守勢力としての価値観を説き、その価値観に基づく国づくりの熱意を、国民の心に届けるのだ。それは、先の3氏には、そぐわない課題だと思えてならない。
人材払底の感がある今こそ、自民党は党外に目を向けるのがよい。党外にいて国民の尊敬を受ける人材との連携を、実現すべきときではないのか。