「 真紀子と宗男、似た者同士 」
『週刊新潮』 2002年2月21日号
日本ルネッサンス 第7回
鈴木宗男、外務官僚、田中真紀子。日本の政治が陥った負のスパイラル。三者の軋轢はどの断面で切っても国益よりも私益が、明瞭よりも不明瞭が、知性よりも非知性が、目立つ。
なぜ、私たちはこんな人々を私たちの代表とし、立法や行政を委ねなければならないのかとさえ思う。
まず鈴木氏である。人間は加齢とともに内面が外面に滲み出る。力をつけるほどに氏の品性もまた、隠しようもなくその表情、言動に表われ、ついには非政府組織(NGO)の代表を呼びつけて声を荒げるに及んだ。
NGOや非営利民間団体(NPO)を健全な形で育て活躍させていくことが、どれほど社会を活性化させ、運営を透明にし、行政の質を高めていくか、氏には理解できていない。
その鈴木氏が今回は田中氏を相討ちにしたとして自民党内の一部から高く評価されているらしい。だが、外務省に強い影響力を行使し、それが問題視されている鈴木氏のこれまでの言動を、氏が議院運営委員長のポストを退いたからといって、全て忘れ去ることは出来ない。
例えば衆議院議員の平沢勝栄氏が鈴木氏の専横ぶりを憤っている。
「昨年、台湾の李登輝前総統が病気治療のため訪日ビザを申請したとき、外務省は当初ビザを出そうとしませんでした。私はそれはおかしいとして衆議院外務委員会で追及しようとした。ところが鈴木さんが私に質問の時間を与えなかったのです」
鈴木宗男氏に問い合わせると秘書の多田淳氏を通じて回答があった。
「(どの質問者を)出す出さないは与党の理事懇(談会)で決める。慣例で理事が先に質問するし、当選回数も考慮する。そんな理由で平沢氏まで順番がいかなかったと記憶している」との回答だ。
「理由は幾らでもつけられる。要は自民党筆頭理事の鈴木さんが了解しなければ委員会での質問さえ出来ないのです」
と、平沢氏は反論する。
筆頭理事の了解なしには質問も不可という点については、多田氏も認め、そのうえで鈴木氏の考えではなく多田氏の考えとして、
「あのときは李登輝さんの件は問題にするなという経緯があったのです」と語った。
李登輝氏にビザを出させないために平沢氏に質問させなかったということだ。「鈴木さんは自分たちの目指すところに異を唱える発言を封殺しようとした」という平沢氏の主張が水を飲み下すように納得できる。
そして外務省の度し難さである。振りかえれば1941年12月、対米開戦の通告文の手交が遅れたばかりに日本は“騙し討ち”の不名誉を歴史に刻まれることになった。ワシントンの日本大使館員たちが、前夜同僚の送別会で深酒をしたことが原因である。日本国に汚名を着せた責任は今も誰もとってはいない。一方で、公金を横領しての卑しい優雅さは昨年来のスキャンダルを通してもよく見えてくる。
無為無策のけじめを
国益を忘れた外務省の建て直しを宣言したのが田中真紀子氏だった。
外相としての足跡は華々しいデビューとその直後から続く失望によって特徴づけられる。
外交政策についての余りの不勉強には唖然とすることも度々だった。国益を担う立場の外相が、最重要の日米関係にヒビを入れかねない失態を重ねたことも記憶に新しい。米国務副長官のアーミテージ氏との会談を直前にキャンセルし、「私用があった」「パニックに陥っていた」などの弁明にならない弁明を重ねた。
想い出すのはあの村山政権である。社会党委員長の村山富市氏は、首相就任時に外交、安全保障に関して長年の立場を変えた。自衛隊は違憲合法との立場から一夜にして合憲論へと反転した。国家の外交や安全保障政策は、国益をはかるために一貫していなければならないと認識して自論を変えたことが見てとれる。首相となった彼は安全保障と切っても切れない日米同盟の重要性をも認識した。
あの村山氏にさえ出来た日米関係のケアが田中氏には出来かねた。外務省の腐りきった体質を攻撃するあまり、外交政策に手をつけることが出来なかった。日米関係だけでなく、およそ全ての外交政策に関して田中氏は無為無策の裡に9ヵ月をすごして終った。
NGO問題では田中氏擁護の先頭に立つ平沢議員さえもが語った。
「外交政策では真紀子さんはゼロですよ。また思い込みが強く、反米親中路線をとった。これは日本にとってゼロというよりマイナスです」
その田中氏に高い支持が集る理由のひとつが、外務省改革をやろうとしたという点だ。しかし、氏は本当に改革を自らの手で試みたのか。たしかに、テレビカメラの前で外務官僚を叱責し書類を突き返し、人事問題について烈しく語った。しかしその先、何をしたのだろうか。外務省改革のための会議に氏は一度も出席しなかった。どこをどう正せという具体策が氏から出された形跡もない。
のみならず、4人の歴代事務次官の更迭を求めていた氏は、昨年6月の訪米を機に、柳井俊二前駐米大使だけは留任させたいと考えを翻した。米国での評判が芳しくなかった田中氏を、柳井大使は全力で支えた。訪米後、氏の考えは更迭から留任へと変わったが、これが氏の“外務省の構造改革”か。単に私情による人事案と批判されても仕方あるまい。
また、田中氏の愛敬ある饒舌の裏には、自分に都合の悪いことには徹底して口を噤もうとする不公正と不透明さがある。一例は昨年6月の衆院外務委員会でのことだ。ロシア課長の人事をめぐり鈴木宗男氏が田中氏を追及した。田中氏はしつこく追及する鈴木氏を嫌い、当時の外務委員長に「なんとかならないか」として鈴木氏の質問時間を制限させるべく働きかけた。
自分の好まない質問を封殺しようとする田中氏は、平沢氏に質問時間を与えなかった鈴木氏の姿とピッタリ重なる。この点について2人はまさに同類である。
田中外相と外務省をめぐるまるでサーカスのような顛末の先にNGO問題がおきた。この一点に関して田中氏の主張は正しい。だからといって、これまでの外相としての失敗と無策と、世間には通用しない言い訳が見逃されるわけではない。氏は参考人として全てを語る用意があると述べている。是非、全てを語ってほしい。ただ、その全ての中には、質問時間制限問題、米国のNMD(国家ミサイル防衛)問題、指輪問題など、諸々の問題もまた、含まれるべきだ。けじめが大事という氏であればこそ、外相として自らがひきおこし、未だ国民に説明していない問題にも、けじめの説明をお願いしたい。
「真紀子さんの貢献は鈴木さんの悪を表に出したことに尽きます」
と平沢氏は言う。
多くの国民は今、田中氏を切ったことで小泉首相に批判の目を向けている。小泉首相は任命者としての責任を認め、田中氏更迭に至った理由を納得のいく形で説明することだ。加えて、鈴木氏の辞任を“潔い”などと賞賛することもやめるべきだ。小泉首相にはこの国の政治を合理と理性で見つめて、最も重要な改革を推し進めていく使命がある。だからこそ、いま、改革者としての姿勢を最も誠実に鮮明にせよ。