「 一審で全面勝訴した薬害エイズ裁判『6年の戦い』 」
『SAPIO』 2002年2月27日号
1996年7月、薬害エイズの被害者たちの声を丹念に拾い、専門医、官僚の責任を追及してきたジャーナリストの櫻井よしこ氏は、元帝京大学副学長で血友病専門医の安部英氏にその言論が名誉毀損にあたるとして訴えられた。以来、足かけ6年にも及ぶこの裁判の一審判決が1月30日東京地方裁判所で下された。判決は原告の請求を棄却、ジャーナリズムの果たす役割と責任を認めたこの判決の意義を櫻井氏が振り返る。
1月30日、東京地裁703号法廷。安部英氏が私を名誉毀損で訴えた裁判で、片山良広裁判長は次の判決を言い渡しました。
「原告の請求をいずれも棄却する」――被告である私の、全面的な勝訴でした。
安部氏は96年7月、私が月刊『中央公論』に連載した一連の「薬害エイズ」に関する記事と、それを元に書いた単行本『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(両書共に中央公論新社)の中の一部の著述が名誉毀損にあたるとして、慰謝料1000万円に加えて、朝日新聞全国版社会面に「判決の結論の広告」を出せと要求する訴訟を起こしました。
私の患者さんとそのご家族や関係者への取材は少なくとも百数十時間に及んでいます。製薬メーカーにも医師にも出来るだけの取材をしました。資料も検討しました。そうした取材に基づいてまとめた著述ですから、それが不当不法なもので名誉毀損にあたる、などとはあり得ないと確信していました。
それでも、専門医の責任を問う業務上過失致死罪に問われていた刑事裁判の一審では、安部氏は無罪判決を受けるなど、理解に苦しむ判決が下っていたのも事実です。納得できない司法の判断は、私の裁判でも全くあり得ないわけでもないとも考えていました。
しかし、冒頭の通り、判決は私の側の勝訴でした。しかも、記事の「相当性」よりも「真実性」を中心に認めた、全面的な勝利でした。「相当性」というのは、書いたことが真実であると証明されなくとも、その事実を真実と信ずるについて相当の理由がある、ということです。一方、真実性とは、書いてあることが「真実」だと認められることですから、同じ勝訴でも、重みが違うわけです。
東京HIV訴訟の原告弁護団であり、この訴訟の弁護団事務局長を務めてくれた清水勉弁護士はこう語りました。
「薬害エイズ事件とは何だったのか。櫻井さんが事実として突き止めたことが、真実であることをしっかりと認定してもらいたい。そのために代理人の私たちは膨大な資料を提出しました。裁判では、相当性で判断されるのではないかとも思っていましたが、真実であったと認定してくれた。櫻井さんの主張が、全面的に認められた判決といってもいい内容です」
では私の記述の何が名誉毀損というのか、主な部分を見ていきます(<>の部分)。
< それにしても、なぜ安部氏は治験の開始時期を遅らせたのか。厚生省が治験の説明会を業者向けに行なったのが83年11月である> < 安部氏は開発の遅れていたミドリ十字にあわせて全体の治験開始をさらに遅らせ、84年2月にやっと始めさせた> < 日本の血液製剤市場の4割を占める最大手、ミドリ十字にあわせて全体の治験を『調整』した結果、日本での加熱製剤の認可は最終的に85年7月にずれこんだのだ>
安部氏が安全性の高い加熱製剤の治験の開始を遅らせたと書いたことが安部氏の社会的評価を著しく低下させ名誉を毀損するというのです。しかし実際に、加熱製剤の承認はアメリカに比べて2年4ヵ月も遅れ、本来ならHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染しなくてもすんだはずの多くの血友病の患者に感染が広がってしまいました。
これについて判決は「指摘された事実は、真実であると認めることができる」としました。また、(報道は)公共の利害に関する事実に係わり、目的が公益を図ることにあったことは争いがないと判断されました。
< 治験の時期に、安部氏がメーカー各社から寄付を募っていたことはつとに知られている。安部氏が理事長をつとめる財団法人『血友病総合治療普及会』への寄付である>との記述についても、判決は「指摘された事実は、真実であると認めることができる」との判断を下しました。
さらに< 加熱治験の代表責任者としての安部氏は、メーカーに対しては絶対的優位に立っており、その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ>の部分についても、「この意見ないし論評が前提とした事実は、いずれも真実であり、優位な立場にいる原告がその立場を利用して寄付を募っているのではないかと考えることに無理はないから、意見ないし論評の域を逸脱するものではない」としました。
そして< 資金提供を受けていたから、どの社もおちこぼれないように治験を遅らせた安部氏は、一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか>との記述ですが、これについては、「真実と認めることはできない」「真実であると認めるべき証拠はない」としながらも、「しかし、被告が行なった調査や取材活動の経過を考慮すると、被告がそのような事実を真実と信じるについては、相当な理由がある」と、「相当性」によって、記事には違法性がないとの判断を示したのです。
「櫻井さんは私たち被害者の代わりに訴えられた」
患者さんやご家族に会うために、当時、北海道から九州まで、人目を避け、時には変装して取材に行きました。あの頃はHIV感染者に対し強い偏見が吹き荒れており、婚約を破棄されたり、仕事を首になったり、親戚から絶縁されたりという多くの事例が実際にありました。私が取材に行くことで、相手の方がどんな目で見られるか分からなかったからです。それでも取材に応じてくださった方々に心から感謝しています。その方々が、今回の判決を一番喜んでくださっているのではないかと思います。
ある患者さんは、お母様に、「櫻井さんが訴えられたのは、僕たち患者のためだ。僕たちに代わって訴えられたのだから、応援してほしい」と言い残して亡くなりました。そのお母様は、今でも折に触れて私を励ましてくれています。
この裁判には毎回遠くから薬害エイズの原告の方々が傍聴に来てくださいました。裁判を自分のこととして受け止めてくれた人々が大勢いてくださることは、私にとっては何より嬉しいことでした。
もう一つ嬉しかったのは、この判決が私の取材姿勢を認めてくれたことです。判決文にはこうも書かれています。
「その調査資料や取材相手にも、特に信頼性に問題があるものはなく、むしろ、被告は、可能な限り直接的な情報を得るよう努めていたものと認めることができる」と。
私のほかに、安部氏は、薬害エイズ事件の専門医としての責任を追及した東京HIV訴訟原告弁護団の保田行雄弁護士の『週刊新潮』の記事、そして毎日新聞社に対しても名誉毀損の訴訟を起こしています。いずれの判決も、記事には「真実性」もしくは「相当性」があるとして訴えを退けました。安部氏側はどちらも控訴しています。すでに私に対しても控訴するとの報道がありました。恐らく、最高裁まで争うことでしょう。私もまたこの裁判を最後まで戦うことをライフワークのひとつとしていきたいと思っています。
この裁判で、安部氏は、健康がすぐれないという理由で一度も法廷に姿を見せませんでした。私たち訴えられた側は真摯に対応しました。安部氏も訴えるのであれば、そこには彼なりの正当な理由と思いがあるはずです。それを直接、ご自分の言葉で説明するのが公平というものではないでしょうか。本人が全く姿を現わさないことは別に違法なことではありません。しかし、私の裁判でも、保田弁護士の裁判でも、毎日新聞の裁判でも、どの裁判にも、訴えた本人が出てきたこともなく、一言でも直接に訴えたことはないのです。訴えられた側にとっては全く納得のいかないこのような名誉毀損裁判のあり方そのものについても、検証してみる必要があると思います。
社会で起こっているさまざまな問題に警鐘を鳴らすのは、私たちジャーナリズムに携わる人間の責務です。ところが最近は、報道関係者を名誉毀損で訴えるケースが増えてきています。なかには無責任な報道もたしかにあるかもしれません。しかし、十分な根拠もなく起こす訴訟が多発すれば、あるいは訴訟にかかる時間や費用を考えて、ものを言わなくなってしまう危険性さえあります。結果として批判を許さない風土が広がっていきます。批判を許さない社会は淀み、独裁者を生み出しかねない恐ろしさを秘めています。私は決してそのような状況を許してはならないと思います。
今回の判決は、正当な報道のために努力するジャーナリストを勇気づけ、健全なジャーナリズムの後押しをしてくれる、非常に大きな意味のある判決だったと受け止めています。