「 中国による第三世界の核拡散 」
『週刊新潮』 2009年7月30日号
日本ルネッサンス 第372回
中国はかつてソ連と袂(たもと)を分かって、自力で核を開発した。後発国の中国の核開発のスピードに、世界は驚いたが、その裏には多くの葛藤があった。また、中国は核兵器を第三世界に広げるべく、核関連技術を複数の国々に輸出したのみならず、フランスに核実験場を提供し、フランスの核にも協力していた。
中国の核政策の実態は驚きである。中国だけでなく、世界で核兵器がどのように作られ広がったかを詳述したのが今年出版の『核の急行列車 核拡散の政治的歴史的背景』だ。
著者はトーマス・リード、ダニー・スティルマンの両氏。リード氏は米国空軍の長官を務め、レーガン政権下、国家安全保障会議のスタッフを務めた。国際情勢の専門家、田久保忠衛氏は、旧ソ連を崩壊に導いた米国主導の軍拡競争にリード氏も貢献していたと述べる。
「リード氏は1982年6月に語っています。ソ連の力を押し返す方法として、とにかく米国はソ連に対抗して軍拡をする。ソ連が年間4%に軍事費を増やさざるを得ない状態に追い込めば、90年までにソ連の軍事費はGNPの20%を突破する。これがソ連経済の限界点で、ソ連は自壊するという内容で、レーガン政権の対ソ連外交そのものでした」
戦わずしてソ連を崩壊に導いた政策に関与していたのがリード氏なら、スティルマン氏は、原爆の研究で知られるロスアラモス研究所に28年間勤め、中国の秘密の核施設などを視察した人物だ。いわば、専門家のなかの専門家が纏めた同書は、米ソなどの核開発について詳述しているが、とりわけ目を引くのが中国だ。
「596」
中国の核の自力開発は、それまで技術を教えてくれていたソ連との決別がきっかけだが、その件で同書は興味深いエピソードを紹介している。
1958年7月31日、ソ連のフルシチョフが中国を訪れたとき、すでに亀裂の入っていた中ソ関係を決定的に悪化させたのは、毛沢東だった。首脳会談で毛沢東は、「ソ連が中国内に基地を要求したこと、中国の外交政策へのソ連の影響、冷戦下、ソ連の持ち駒としての扱い」などに強い不満を示した。
フルシチョフは、ソ連が与えた核技術などに感謝もせず横柄に振舞う毛を不快に感じた。そのフルシチョフを、毛は中南海のプールに誘った。泳げないフルシチョフは水を飲んで恥をかかされたというのだ。
結果、ソ連の科学者らは中国から引き揚げ、翌59年6月、ソビエト共産党は正式に、核開発に関して一切の技術移転の中止を通知した。中国はソ連の技術援助引き揚げを憎み、それを「596」、59年6月の決裂として心に刻んだ。「596」は中国人のプライドの象徴となり、自力開発で成功させた64年10月の核兵器は「596」と命名された。
「596」実験は日本が東京オリンピックに熱狂していた最中に実施された。米国の核の傘の下で自国を自力で守ることをすっかり忘れて、アジアで初めてのスポーツと友好の祭典に酔った日本と、「596」を胸に刻んで大国ソ連に対抗した中国の、国家観についての差は大きい。
スティルマン氏は中国の技術を高く評価し、本書の「追記」で「中国の核技術レベルは米国と同水準にあると確信する。中国はこの目覚ましい成功を、米国の核実験のわずか4%分の実験で達成した」と述べている。中国の成功は如何にして可能だったのか。
スティルマン、リード両氏は、中国の長期的視点に立った人材管理を要因の一つとして挙げている。
たとえば中国の原爆の父と呼ばれる銭学森(チエンシユエチン)という人物である。彼は35年、国民党の支配する中国から米国に留学、カリフォルニア工科大学で博士号を取得、第二次世界大戦時には米陸軍で、捕虜となったナチスドイツのロケット科学の専門家への尋問なども行った。だが、朝鮮戦争が勃発すると、米国政府は彼を“敵性外国人”と見做した。多くの日本人は収容所に入れられたが、彼は自宅軟禁となり、55年、朝鮮戦争時の捕虜交換に伴い、中国に追放された。
毛沢東らは、待っていたとばかりに彼を大歓迎した。彼をミサイル及び宇宙開発を担当する国防部第五研究院の責任者に任命して、中国の最重要の未来プロジェクトを任せた。結果、彼は対艦ミサイル「シルクワーム」、弾道ミサイル「東風」、そして、70年の人工衛星のすべてを指導し成し遂げたとされる。
中国の核開発を助けた人材には、多くの外国人専門家もいる。たとえば米国人の女性科学者ジョアン・ヒントン、英国で投獄されていたドイツ人スパイのクラウス・フックスの両名は、共に熱烈な共産主義者である。彼らは中国の核開発にコミットしたとされ、ヒントン氏は現在も中国在住である。中国はこうした人材を実に巧みに囲い込むのだ。
中国の覇権への道
毛沢東は核関連の情報収集と研究開発を、各国の関心を引かないように秘密裡に進めた。鄧小平の時代になったとき、鄧は中国の核・ミサイル技術を、イスラム及び社会主義政権を中心に第三世界に広げていったという。スティルマン氏らは、中国が82年にアルジェリアと秘密の原子炉協定を結んだこと、北朝鮮に核開発のための全面支援を行ったことを明記している。
加えてパキスタンには核物質の製造を含めて核兵器を完成させるのに必要なインフラ技術まで含めてすべてを伝授した。82年から83年にかけてパキスタンの多くの専門家が中国を訪れ、学んでいったが、そうした技術や情報が後にリビアにも伝わったと、指摘するのだ。
中国は、現在、イラン、シリア、パキスタン、エジプト、リビア、イエーメンへの核・ミサイル技術の中継点として北朝鮮を利用していると、著者の両氏は指摘、結論づける。
「イスラム過激派のテロは中国にとっては問題ではない。それはむしろ、将来の中国の覇権への道と見做されている」
中国は世界に覇権を打ち立てようとしているのであり、そのためには手段を選ばないということだ。中国政府による第三世界への核・ミサイルの拡散は、米ロ両国、とりわけ、唯一の超大国となった米国の力を相対的に減殺し、米国を核で取り囲む戦略と考えてよいだろう。
著者の両氏は米国の眼前に出現した二つの壁は、イスラム過激派と中国との経済戦争だと強調する。各々の国民は敵ではなく、真の敵は狂信的な過激派と反米的な中国共産党の軍事組織だとも述べる。
日本にとってはどうか。中国の実態を見て現実的な安全保障政策や日米関係を打ち出すべきは当然だ。そしてなによりも、軍事力の支えなき日本の脆弱さを、中国が喜んでいることに気づくべきだろう。