「 総裁選出馬演説、抜群の高市早苗氏 」
『週刊新潮』 2024年9月19日号
日本ルネッサンス 第1114回
9月9日、高市早苗氏が自民党総裁選挙に正式に名乗りを上げた。「サナエあれば、憂いなし。」の標語を背に熱を込めて語った90分はいかにも高市さんらしかった。
会見の内容は文句なしだ。経済安全保障担当大臣として所管してきた事案に加え、年来のキャリアの実績を十分に示して、すでに出馬を表明している候補者の中で群を抜いて充実した演説だった。
大きな流れで見ると、党員支持は相変わらず石破氏がトップ、進次郎氏が差を縮め、高市氏は微増でもう一息だ。小林氏は前回10%を超えていたが勢いに翳りが見える。
高市氏は政策を語り、質問に答える中で、自分の前に立ちはだかる石破、小泉両氏らの主張をひとつひとつ打ち消した。質疑応答でマイクを握った朝日の記者は政治資金不記載問題を問うた。朝日は、政治資金問題を「裏金問題」とし、不記載議員らの追及に執念を燃やし続けている。不記載問題を煽り続けるメディアに、当該議員をどう扱うかと問われた政治家は、ポピュリズムの流れの中で厳しいことを言いがちだ。その典型が石破氏である。氏は総裁になれば、不記載議員一人一人から自分が直接事情を聴き、選挙で党が公認するか否かも厳しく吟味すると語った。
他方、高市氏は「自民党で既に処分済み」という全く別の見方だ。
「8段階の処分があるが、その中で非公認よりも遥かに厳しい処分が5人の方に下されている」
これは世耕弘成氏らが離党を迫られ、西村康稔氏らが党員資格停止処分を受けたことを指す。高市氏はこうした一連の措置を非公認よりも遥かに厳しい処分と見た。その上で、「党内で議論を積み重ね、調査をして、決着した処分を、総裁が代わったからといって、卓袱台返しすることは独裁だと思います」と明言した。正論であろう。
小泉氏の間違い
同じ朝日の記者が夫婦別氏問題についても質した。高市氏の回答はまたもや冴えていた。同件については6日に小泉氏が立候補会見の中で総裁就任1年以内に別氏制度を認める方向で法案を提出し、党議拘束なしで政治家一人一人の考えを重視する旨、語っている。それに対して高市氏は以下の一連の事実を指摘した。
令和3年12月の内閣府の世論調査は、夫婦同姓を維持した上で旧姓の通称使用を法整備するのがよいとした人が42.2%、今のまま夫婦同姓制度を維持すべきだ、が27%。合計69.2%、約7割の人々が戸籍上の姓は夫婦も子供も同じがよいと考えていることを示した。今年7月のTBSの調査でも、旧姓を通称としてどこでも使えるように法制化すべきと望む人が最も多く47%だった。
一連の事実関係を紹介した上で高市氏は自身が総務大臣として手がけた法改正も含めて、自民党政権が成し遂げた成果を列挙した。住民基本台帳、マイナンバーカードでは戸籍上の氏と旧姓の氏の両方が併記され、旧姓も使える。運転免許証、パスポート、印鑑登録証も同様だ。現在314に上る国家資格で旧姓が使えないものはゼロだ。
小泉氏が出馬宣言で語った「旧姓では不動産登記ができない」との主張に関して、高市氏は「できます」と正した。小泉氏は今年4月に法改正されたことを知らなかったのだ。
高市氏はそれ以上は言わなかったが、小泉氏の「研究者の方については論文や特許の取得時に、戸籍上の氏名を用いる必要があって、旧姓は利用できない」とする発言も間違いだ。現実社会において旧姓で論文を書いている研究者を、私は複数知っているし、他にもそういう人は少なくない。このような基本的間違いを、小泉陣営が事前にチェックできていないこと自体、懸念すべきだ。
小泉氏は、夫婦別姓が日本社会にもたらす根本的な変化についてよく考えるべきだろう。夫婦が別姓で、子供も別姓、さらに孫の世代になればより多くの姓が加わりそれらが別々になる。一体自分のご先祖様はどなたなのか、と混乱しかねないだろう。これが本当に子供のための選択肢、多様性なのか、二児の父となった小泉氏が願う子供の幸せの形なのか、私は疑うものである。
同問題は日本人の家族のあり方に関わるものだ。欧米諸国でふえているからといって、安易に制度を変えてよいわけではないだろう。戸籍上の同姓によって不自由を感ずる人がいれば、それを改める法整備をすればよい。社会の大多数の人々がそれでよいと言っている制度そのものを変えるのには慎重であるべきだ。いわんや、1年以内と区切って断行するのは日本社会の分断を招く。
世にいう人たらし
高市氏の1時間にわたった出馬演説は経済、安全保障、対中外交などおしなべて納得のいくものだった。氏の話を聴きながら、私はどうしても綺羅星の如く安倍晋三氏の周りに集った人々のことを想わずにはいられなかった。安倍氏は学者、自衛隊員、ジャーナリスト、官僚、政界における同僚や先輩、経済人など、どの分野の人からも、どの世代の人からも敬愛され信頼された。氏の周りに集った、各分野において傑出した人々は、無私の協力を惜しまなかった。そうした周りの人々が安倍氏の戦略、戦術をやり遂げる実戦部隊となった。安倍氏はひたすら意思を強く保ち、日本の未来について前向きに考え続けた。それが周りの人間のやる気の源となっていた。
総理補佐官を務めた今井尚哉氏は、自分もチームアベもいつも1年、2年、あるいはもっと先までのカレンダーを念頭に置いていたと語る。この法案をきちんとした形にするには、いつ迄に内容をまとめるのか、いつ与野党間の交渉に入り、いつ迄に合意を得るのか。国会提出、法案成立の時期、そのために必要な審議日程などをきめ細かに計算する。
タイミングと同様、陣容づくりが非常に大事だ。法案は誰を軸に組み立てるのか、事柄、その目的を深く理解している人が中心にいなければならない。アベノミクス推進の時の浜田宏一氏、安保法制の小松一郎氏、皇室問題の山埼重孝氏などがすぐに連想される。安倍氏はこうした人材を天性の魅力と信念で魅きつけた。いつも相手を信頼し、基本的に朗らかだった。一言で言えば安倍氏は世にいう人たらしだった。
政治の方向性は指導者が自らの価値観、哲学で決める。が、指導者が該博であるだけでは政治は動かない。指導者の功績は、同じ志の、優れた人材を集め、彼らの能力を結集できて初めて現実となる。
高市氏は自分は同僚、先輩、後輩議員らとの交友を深めることが苦手だと告白する。その点を変える気はもうないのだろう。それでも私は氏の政治哲学を実現してより良い日本を作るために、氏の周りに集う人材を大事にしてほしいと願っている。