「 清和会は継げるのか「松陰」と「安倍」の心を 」
『週刊新潮』 2024年2月29日号
日本ルネッサンス 第1087回
皇學館大学教授、松浦光修氏の『不朽の人・吉田松陰と安倍晋三』(明成社)は、私自身も含めて安倍総理の遺志を継ぐと表明した人々全員が読むべき書だ。
安倍総理暗殺から1年半、日本国も世界も中心軸を失ったかのように漂流中だ。安倍総理がいらしたら、どんな事態が起きても日本も世界も何とか乗り切っていけると思うことのできた、あの方向性の確かさが失われた気がする。
この数年、さまざまなことが起きた。安倍総理暗殺問題がすり替えられた統一教会問題、安倍氏が派閥に戻ったときに気づいた政治資金問題、安倍氏亡き後突然法制化されたLGBT理解増進法。いずれも安倍氏には責任のない問題であり、或いは安倍氏ならば阻止したものだった。
安倍氏亡き後の指導者が正しく決断できなかったために問題はあらぬ方向に波及し、日本国の政治は機能不全に近づきつつある。こういう状況を見て松浦氏は、安倍総理が最も尊敬していた吉田松陰と、安倍総理を次のように比較し、論じた。
「吉田松陰の門人には、有名な人もそうでない人も、たくさんいますが、松陰を、一度も裏切ることなく…距離をおくことなく、ついていった門人は、じつは三人しかいません。一人は金子重之輔ですが、あとの二人は入江杉蔵(九一)と、野村和作(明治四年以後は「靖」)の兄弟です」
60人とも92人とも言われる松陰門下生中、本当に松陰に忠実だったのはこの3人だけだと言うのだ。ただ、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など門下生の多くが明治維新の礎、或いは立て役者となって見事、維新をやり遂げたのも事実だ。
その中で田原荘四郎という裏切り者の門下生がいたと、松浦氏は指摘する。彼は松陰の計画を藩政府に密告し、松陰の指示で江戸に向かう野村和作を藩政府の手先となって追いかけた。イエスの弟子にユダがいたように「松陰門下のユダ」は荘四郎だったというわけだ。
その上で、松浦氏は問う。安倍総理の門下生である政治家の中には入江・野村兄弟のような人々が多いのか、田原荘四郎のような人々が多いのか、と。そして自ら答えている。「残念ながら、どうも後者のような人々が多いのではないか」と。
「人面獣心」の人々
松陰門下生は入江・野村兄弟のような人々が圧倒的に多かった。なぜなら松陰門下生の「心の基層には立派な武士道の倫理観・道徳心があった」からだ。一方、現代日本にはもう武士はいない。安倍門下生の中に、武士道を体現する人がまったくいないわけではないかもしれないが、「ひいき目に見ても、今のところ、余りいないように見受けられる」という指摘は清和会に所属していた議員にとっては非常に厳しいものだろう。
しかもそれが旧清和会に限らず日本全体に広がる現象だと言わざるを得ないのは非常に残念なことだ。日本の大きな部分が誠を軽んじ、安倍総理を不当に貶める異常な価値空間となり果てているではないか。
大和西大寺駅前で憎むべき犯人に殺害された安倍総理。奈良県は安倍総理殉難の地にその死を悼む碑を建てないどころか、殉難の痕跡さえ残さなかった。奈良市内の三笠霊苑に安倍総理を追悼する「留魂碑」が建立されたのは高市早苗氏らのおかげだ。
だが心ない人々が、碑の前に多数のごみ袋を積み上げたコラージュ画像をSNSで拡散した。松浦氏はこのような人々を「人面獣心」の人々と呼び、彼らの悪質な所業に屈してはならない、「松陰の墓も、何度も破壊されています。しかし、松陰の門人たちは、それに屈しませんでした」と私たちに説く。
安政の大獄で松陰も橋本左内も瑞々しい命を奪われた。大老・井伊直弼の下、幕府の態度は冷酷だった。松陰の処刑は安政6(1859)年10月27日で、その2日後に木戸孝允、伊藤博文ら4名が遺体を小塚原回向院に引き取りに行った。桶の中の松陰の遺体は、何と丸裸で、首は胴を離れ、髪は乱れて顔は血に汚れ、無残そのものだった。伊藤らは幕府の非道な措置に憤激しながら井戸水で松陰の体を洗い、遺体に木戸らの襦袢や下着を着せ、伊藤の帯で結び、最後に松陰の首を胴体に乗せて、用意していた甕に納め、同じくそこにあった橋本左内の墓の隣に、とりあえず葬った(『明治の政治家たち』伊藤哲夫著、日本政策研究センター)。
そのあと門人たちは寺で一番大きな墓を建てたが、幕府がすぐに取り壊した。3年後、今度は高杉晋作らが松陰の遺体を現在の世田谷区の墓所に移し、新たな墓を建てた。幕府はまたもやその墓を壊した。木戸らはそれでも諦めず、明治元年になって三度、松陰の墓を建立した。明治15年、門人たちはさらに墓の傍らに小さなお堂を建てた。それが現在の東京の松陰神社である。
血筋の源流
松陰のお墓を壊したのは幕府という権力だった。いま安倍総理の留魂碑を貶めるのは「人面獣心」の人々であり、そのような人々を生み出しているのが「戦後レジーム」だと松浦氏は言う。安倍総理は今も、留魂碑という形をとって、戦後レジームと戦い続けているという松浦氏の主張は、そのとおりだ。松陰門下生が何度松陰先生の墓を壊されても諦めなかったように、現代の私たちも諦めてはならないと、心から思う。
『不朽の人』で、松浦氏は安倍総理の母上、洋子さんの言葉を引用して安倍総理の本質を描いている。
安倍総理の祖父・岸信介氏の曽祖父は佐藤信寛だ。信寛は旧萩藩の藩士であり、松陰に軍学を教えた。この曽祖父と祖父の強い影響を受けて育ったのが岸だった。安倍総理はその岸の影響を強く受けて育った。
安倍総理は同時に父方の祖父、安倍寛の影響も強く受けている。寛は戦時中は軍の総動員令に反対し、「昭和の松陰」と呼ばれたほど気骨のある政治家だったという。寛の子息、安倍晋太郎は安倍総理の父だが、戦時中、海軍滋賀航空隊に予備学生として入隊、特攻を志願した。
「安倍寛の血といい、岸信介の血といい、なにかのときには命がけで事に当たるという厳しさは、(中略)身近な空気として体得しているということはあると思います」と洋子さんは晋三氏について語っている。
安倍、岸両方の血筋の源流に位置するのが吉田松陰なのだ。何世代もの間、両家の血筋に脈々と受け継がれてきた松陰の魂から生まれてきたような人物が安倍総理であろう。
「安倍さんは、百数十年の歳月をこえて、松陰の『留魂』を“身に宿した人”であったかもしれません」という松浦氏の見方に、私は深く共感する。
松陰の留魂は門下生たちに継がれ、わが国は列強の植民地にならず立派に明治維新をやり遂げた。いま、私たちは一人一人が安倍総理の留魂を身に宿し、日本国を取り戻し、戦後レジームからの真の脱却を成し遂げなければならない。清和会にいた全員に、心して読んでほしい書である。