「 批判よりも安倍晋三元総理に学べ 」
『週刊新潮』 2022年10月6日号
日本ルネッサンス 第1018回
安倍晋三元総理の国葬儀には多くの日本国民に加えて海外から多数の要人が来日し、安倍氏の死を深く悼んだ。安倍氏は私たち国民を、日本の未来を切り開けと勇気づけ、国際社会に対しては世界が目指すべき方向と新しい戦略を示してきた。
とりわけ重要なのは国際社会に中国の真の姿を説明し、国際社会が抱いてきた幻想を修正したことだ。2000年以上の交流を有するわが国であればこそ、その中国分析は米欧諸国に較べてはるかに深く幅広い知識、経験に裏打ちされている。安倍氏の指摘は説得力十分だった。そしていま、国際情勢は安倍氏の懸念した方向に動いている。
中国とロシア、二つの異形の国の力関係が国際社会の眼前でこれ以上ない程に明確な中国優位になったのが9月15、16日の両日、ウズベキスタンの古都サマルカンドで開催された上海協力機構(SCO)首脳会議でのことだった。習近平国家主席はサマルカンドに向かう途中、SCOのメンバー国であるカザフスタンに立ち寄り、「貴国の内政に対する、いかなる国の干渉にも強く反対する」と述べた。明らかに、今年1月にカザフスタンに軍事介入したプーチン露大統領へのメッセージだった。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミード氏が習発言を、「ブラッド(プーチン)よ、手を出すな」という意味だと解説した。ロシアは今や完全に中国の風下に立たされたのだ。
SCO首脳会議閉幕後の9月21日、プーチン氏は大統領令を発して最大100万人規模とされる予備役に「部分的動員」をかけると発表した。当面30万人を目指すとのことだが、ロシアには新たに兵を大幅に補充する余力などない。100万人はおろか30万人も覚束ない。ロシア国民の反発は強く、早くも全土で抗議運動が起き、26日現在で1300人以上が逮捕された。
「産経新聞」台北支局長の矢板明夫氏が意外な指摘をした。新たな動員に、中国人民解放軍の兵士が派遣される可能性があるというのだ。
「北朝鮮の名前を借りて、中国兵が参加するとの情報があります。習近平はこの機に台湾侵攻に備えて中国兵を訓練したいと考えているのです」
80年前に予言
プーチン氏は焦っている。氏の戦略は失敗続きだ。それでも諦めない。新たな動員を発表すると共に、不足しているロケット砲や砲弾を数百万発規模で北朝鮮から買うとも報じられた。同件について米国が詳細な情報を発表し、北朝鮮側が否定した。
再び矢板氏が指摘した。
「数百万発ものミサイル砲や砲弾を提供する余裕が北朝鮮にあるか、疑問です。ここでも中国が手を差し伸べると考えてよいと思います。ミサイル砲などは中朝共に元々ロシアから買っています。北朝鮮はすでに国連制裁を受けており、新たな制裁も恐くはない。中国はそんな北朝鮮の立場を悪用しようとしており、金正恩も中露両国に保障されている限り安泰だと考えているのです」
しかし、米欧のインテリジェンス能力の高さを考えれば、この種の企みが暴露されないわけはない。中国はさらなる経済制裁を受け、ただでさえ苦しい経済運営はさらに苦しくなる。そんな危険を冒してまで、習氏はプーチン氏を助けるだろうか。
「どんな情報を突きつけられても中国は認めないでしょう。ファーウェイの件を思い出せば分かります。ファーウェイは米国に、対イラン制裁の網をすり抜けて某大手銀行と米国当局を欺いたと指摘されましたが、絶対に認めなかった。創業者の娘でファーウェイ副会長、孟晩舟がカナダで逮捕されても認めず、逆に中国はカナダ人を逮捕して死刑にする構えをみせた。カナダは耐えきれず、孟を釈放しました」と矢板氏。
ウクライナに侵略戦争を仕掛けたプーチン氏は国力を消耗し、影響力を弱めた。ロシアが大国として甦る可能性は恐らくこれから何世紀もないだろう。深い泥沼に沈むロシアを尻目に力をつける中国のこのような立ち位置を、80年前に予言していたのが地政学の泰斗、ニコラス・スパイクマンだ。
オランダ生まれのスパイクマンはアメリカに移住し、1928年に35歳でイェール大学の教授となった。彼はユーラシア大陸における中国(蒋介石の国民党)とソ連(スターリンのソビエト政権)にアメリカはどう対峙すべきかを考え続けた。結論はアジアで日本と同盟を結び、欧州では力を失ったイギリスに替わってドイツと結ぶべきだというものだった。
右の指摘は日本が1941(昭和16)年12月8日に真珠湾を攻撃した直後のものだっただけに、米国内で強い反発を受けた。しかし彼は地政学的に見て第二次世界大戦後の米国の主要な問題は、日本ではなく中国になるだろうと繰り返した。
元総理を口汚く非難
スパイクマンの主張は以下のような分析で支えられていた。日中双方の潜在国力を較べれば、国土、人口、資源で中国が日本を上回っている。中国の国力が一旦軍事力に転化されれば、中国大陸の沖合の島国であり敗戦国となる日本の立場は極めて危うい。中国はユーラシア大陸を制するだろうが、その場合、日本のみならず、ユーラシア大陸周辺諸国つまり欧州諸国、地中海諸国、インド、東南アジア、朝鮮半島などは中国の影響を強く受ける。
一方、米国に対する中国の力は武器装備の近代化によって質的に変化する。これまで米国は太平洋と大西洋という二つの大きな海に守られてきたが、中国の戦闘機は易々と大洋を越えてアメリカ攻撃の力を強める。結果、アメリカは深刻な危機に直面するというのだ(『スパイクマン地政学・世界政治と米国の戦略』渡邉公太訳、芙蓉書房出版)。
地政学的に見れば、このような事態の到来は避けられない。従って第二次大戦後は米国と中国の関係は劇的に変化し、アメリカは日本と同盟しなければならない。ソ連の脅威の前でアメリカがイギリスを助けてきたように、中国の脅威の前でアメリカは日本に力を貸さなければならないと、スパイクマンは主張したのだ。
彼は1943年に死去し、大東亜戦争の結末も見てはいない。しかしその優れた分析は今日の世界情勢をかなり正確に予測している。安倍氏が見ていたのは、実はこのような大きな戦略図だったと、私は思う。
安倍氏が予測した中露関係における中国優位の確立、そして中国が日本を含む国際社会の自由主義陣営の前に立ちはだかるとの予測、日本も世界もそれに備えなければならないとの危機感。いずれも正しかった。今、安倍元総理を口汚く非難する野党の政治家たちとごく一部の自民党議員は、少しは安倍氏の考えを学び、国益のために働くことを旨とすべきだ。