「 「有事対応」、全くお粗末な現実 」
『週刊新潮』 2022年9月1日号
日本ルネッサンス 第1013号
中国人民解放軍(PLA)は8月30日から9月5日まで、ロシア軍との合同軍事演習をロシア極東地域で行うと発表した。このことですぐに思い出すのが今年5月24日、中露両軍が展開した13時間にもわたる合同軍事飛行だ。
それは東京で日米豪印(QUAD)首脳会談が行われている最中に決行された。前日には岸田文雄首相とバイデン大統領が首脳会談を行い、東シナ海や南シナ海における中国の力による現状変更に強く反対し、台湾海峡の平和と安定を重視するとして警告を発した。
日米両国が中国に対する厳しい共同声明を発表したタイミングで、中露両軍は最新鋭の戦略爆撃機計6機を日本海、東シナ海、西太平洋上で13時間も共同飛行させた。彼らが初めて日本周辺を共同飛行したのは2019年7月だ。以来20年12月、21年11月と続き、今回は4回目だった。元空将の織田邦男氏が解説した。
「中露は、日本や米国にQUADの動きを許さないぞ、と警告しているのです。昨年10月、中露が軍艦10隻で日本列島をほぼ一周したときと同じで、力を誇示して政治的に脅迫するのです。軍事演習は繰り返すことに意味があります。反復によって連携の練度が上がります。8月末からの合同演習で彼らの作戦はさらに相互運用性が高まると思います」
中露による8月末からの演習は、22日からの米韓合同演習「乙支(ウルチ)フリーダムシールド」(自由の盾演習)への牽制でもあろう。日本が注目すべき点は中露の演習に北朝鮮が参加するか否かだと、織田氏は言う。
「1990年以降、中国は戦闘機や潜水艦をロシアから大量に輸入し始めました。ロシアは中国への最大の武器装備供給国です。中露の演習に北朝鮮が参加するような事態は日本の悪夢です。中露の軍事行動に合わせて北朝鮮が弾道ミサイルを発射する。これこそわが国が最も懸念する三正面事態です」
沖縄県は福建省と友好都市
日本を取り巻く軍事的危機は本当に厳しい。そのことを岸田首相は認識しているのか。8月4日、中国は米下院議長のナンシー・ペロシ氏の台湾訪問への報復として、台湾を取り囲む六つの海域で激しい軍事演習を行った。その烈しさと規模は、専門家が台湾侵攻の予行演習だと見做したほどだ。その中で中国軍はわが国の排他的経済水域(EEZ)にミサイル5発を撃ち込んだ。にも拘わらず、岸田首相自身はその日、抗議もせず、国家安全保障会議も開かなかった。
ミサイルが撃ち込まれたのはわが国最西端の与那国島からわずか80キロほどの海域だった。この種の攻撃を受ければ、紛争や戦争が起きてもおかしくない。だが岸田首相が中国のミサイル攻撃に抗議する会見を開いたのは一夜明けてペロシ氏と会談してからだった。中国は日本与(くみ)し易しと、さぞ侮っていることだろう。こんな油断と無関心さを見せてはならない。中国に誤解させてはならないのだ。つけこまれること必定である。
だが、ご本人にはそんな批判は届いていないのであろう。8月10日の内閣改造で岸田氏は語っている。「有事に対応する政策断行内閣」だと。強い言葉を使っているが、足下を見ると全く対策などとられていない。与那国町の住民は約1600人、町長の糸数健一氏は有事対応とは住民を島外に避難させることだと強調する。
「国は国民保護法でさまざまな状況を想定しています。住民に避難を指示できるのは、武力攻撃事態が認定されてからで、軍事侵攻が始まる段階です。それでは遅すぎます。切羽詰まった状況下で住民に避難を指示できるといっても、島には地下壕もありません。住民を島に残しておくことは危険すぎます。どうすればよいのか。県にも国にも解決策を求めましたが回答はありません」
8月19日の金曜日、玉城デニー沖縄県知事は知事選を前に与那国島を訪れた。そこで糸数氏は「台湾有事は日本有事、沖縄有事だ。住民を危機の中でどう守るべきか、県に問い合わせても回答が得られない」と訴えた。すると玉城知事はこう言ったという。
「この件は世界中のウチナンチュー(沖縄人)に呼びかけて、どの国とも仲よくするのが大事だ」
答えになっていない。糸数氏はさらに訴えた。
「台湾の花蓮市と与那国は姉妹都市で今年は提携40年目だ。あらゆる意味で日台交流に協力したい」
すると玉城氏は「沖縄県は福建省と友好都市だ」と回答したという。
「中国によって沖縄、とりわけ与那国をはじめとする小さな島々が危機に直面していることへの理解がないのです。こんな状況ですからいざというとき、1600人をどう守るか、国に問い合わせると、県を通してくれと言う。与那国は現実の危機に直面しているのです。そのことを分かってほしい」
糸数氏の訴えはもっともだ。
町民避難のための基金
住民保護は地方自治体が主導して具体策をつくらなければならない。県も国も頼れない状況下、与那国町がいまできることは何なのか。糸数氏は有事の際、島民の集合場所3か所はこれまでの防災訓練等で決まっているという。しかしそこから先は全て未定である。
「あくまでも仮定の話ですが、大型機の離着陸が可能な長い滑走路をもつ下地島に住民を避難させるとして、現在の定期便では一度に50人を運べます。島民全員の避難には30回以上飛んでもらわないといけません。しかもそれは極めて短時間にやり遂げないとならない」
そんなことは可能なのかと糸数氏は自問する。住民の島外避難と入れ替えに自衛隊が島に入ることも必要だろう。しかし、それこそ国の決定事項で、与那国町は関与できない。住民避難の課題さえ県とも国ともまともな話し合いができていない段階で、町長の悩みは深い。これが日本の実態なのである。糸数氏はいま、町民避難のための基金の設立さえ考えているという。
「有事の際、島民をまとめてどこかに避難させる目途がつかない以上、町長としては、危険が迫ったら早めに家族や親戚のいる所に一時的に身を寄せて下さいと言うしかない。そのために飛行機代や当座の出費として一人100万円支給すれば何とかなるのではないか。1600人で16億円、そのような基金も用意して、とにかく住民を守らなければと考え始めています」
台湾からわずか111キロ、与那国島は台湾有事の際、恐らく最も危険な島のひとつになる。その島で町長がこんな悩みを抱えているのだ。中露の力による現状変更は止まらない。台湾有事の危険性も高まる一方だ。「有事に対応する政策断行内閣」と宣言した岸田氏よ、首相として有事対応の本気度を見せよ。