「 ウ戦争の陰で南太平洋を狙う中国 」
『週刊新潮』 2022年6月9日号
日本ルネッサンス 第1002回
これが中国のやり方だ。国際社会の力関係に隙間が生ずればサッと入り込む。勢力拡張のチャンスを狙い続ける。しかし強引な手法がいつもうまく機能するとは限らない。
王毅国務委員兼外相の南太平洋諸国歴訪を見ての感想である。「似た者同士」のプーチン露大統領と習近平国家主席は「無限の友情」を誓い合ったものの、プーチン氏のウクライナ侵略戦争で情勢は様変わりした。台湾侵攻計画の練り直しを迫られる中、中国は南太平洋の島嶼(とうしょ)国に手を伸ばした。
王毅氏が10日間の南太平洋島嶼国訪問で最初に訪れたのは人口68万人のソロモン諸島である。中国は4月19日、同国と安全保障協定締結を発表し、米豪両国は虚を衝かれた。経緯をふりかえれば中国は綿密な準備で機会を待っていた。
ソロモン政府のソガバレ首相が台湾と断交し中国と国交を樹立した2019年当時、オーストラリア国営放送(ABC)は、5億ドル(550億円)の支援が中国共産党からソガバレ政権に渡ったと報じた。その時点で中国はすでにソロモン政府のトップを抱き込んでいたのだ。結果、南太平洋でも最も貧しいソロモンは、わずか550億円で国家の未来を中国に売ったといえる。
南太平洋島嶼国はどの国も貧しく弱い。南太平洋戦略と南シナ海戦略を較べれば、少なくとも経済的には南太平洋島嶼国の方がはるかに籠絡し易い。人口も少なく、軍隊はほとんど存在しないに等しい。富裕層も限られている。中国得意の現金外交が大きな成果に結びつく余地は大きいのだ。
もうひとつの中国の武器は偽情報拡散の能力である。ソロモン諸島が台湾切り捨てに踏み切ると、ソガバレ首相に反対し、その退陣を求めたのがマライタ州政府だった。彼らが首都ホニアラで行ったデモは暴徒化し放火、略奪事件に発展した。中国共産党は、一連の暴動は豪州、米国、台湾による工作活動だという偽情報を流し続けた。ソロモン政府の要請で豪州政府が小規模の平和維持部隊を送り込んだとき、中国はこれこそ米国が豪州にやらせた「露骨な軍事介入」だと喧伝した。小さな島国での中国メディアの力は絶大である。
南シナ海での成功体験
中国の狙いは島嶼国を米豪から切り離すことだ。今回の歴訪でも王毅氏はキリバスのマーマウ大統領兼外相にこう語っている。
「米国とその仲間は、精力をあくまでも中国の発展を阻止するたくらみに集中させている。その本質は西側以外の力が世界で成功するのを見たくない、発展途上国の団結・協力の強化を見たくないというものだ」「中国は発展途上国との共同発展の実現を急ぎ、手を携えて歴史的不公平をなくすことを願っている」
一帯一路政策でスリランカやパキスタン、ネパール、ミャンマー、ラオスなどを債務の罠に突き落としたことなど、中国も島嶼国も都合よく横に置いてしまう。中国の核心的利益維持を支持することは発展途上国(南太平洋島嶼国)を支持することだと、中国が筋の通らない主張を展開しても、キリバス、サモア、ニウエなどは「一つの中国の原則を揺るぎなく実行」「人類運命共同体の構築を断固支持する」などと、熱い言葉を王毅氏に贈るのだ。
オーストラリア戦略政策研究所の「サイバー政策センター」の研究者、ブレイク・ジョンソン氏は、中国はあらゆる機会をとらえて豪州政府の島嶼国への貢献を打ち消そうとしてきたと指摘する。
「中国とソロモンとの安保協定締結は、豪州とソロモン両政府による重要発表と同じ日に発表された。2隻目の巡視船のソロモン東岸への配備、災害対策のラジオネットワークの完成、コロナ禍による経済不振緩和のための追加予算の発表に重なるタイミングだった」
偶然かもしれないが、と断りながらもジョンソン氏は、安保協定締結という衝撃的ニュースにより、豪州・ソロモン両政府によるソロモン国民のための善意のプロジェクトは殆ど注目されることなく吹き飛んだと指摘するのだ。
中国共産党が狙うのは南シナ海での成功体験の再現であろうか。南太平洋にも中国の拠点を築き、勢力圏維持の軍事的インフラとして確立したいのであろう。加えて豊かな海底・漁業資源の確保も、14億人を抱える中国には重要な要素のはずだ。
国際情勢を見れば、習近平国家主席が好機到来と判断したとしてもおかしくはない。ロシアの暴虐は米欧の視線をウクライナ戦争に引きつけ続ける。その分、南太平洋における中国の動きへの警戒は緩みがちだ。
質のよい支援
加えて米国はトランプ大統領からバイデン大統領に代わった。日本は安倍晋三・菅義偉両首相から岸田文雄首相に、豪州もモリソン首相からアルバニージー首相に代わった。自分たちへの圧力はやわらぎ始めたと、中国が考える余地はあるだろう。
5月30日、王氏は島嶼国10か国の外相らとオンラインで「中国・太平洋島嶼国外相会合」を開いた。本来、この会合で10か国全ての安全保障協定が締結されるはずだった。それが土壇場で見送られた。ミクロネシア連邦が事前に「新たな冷戦を招く」として反対を表明していたとはいえ、中国が提案を棚上げするのは、面子を重んずる国にしては異例のことだ。
中国側の動きの背景に米中首脳会談の開催を望むバイデン政権の意向があり、それに応えたいとする習氏の思惑があると報道されている。事実5月19日、韓国に向かう大統領専用機内で、国家安全保障担当大統領補佐官のジェイク・サリバン氏は「今後数週間以内にバイデン大統領と習主席が再び会話しても私は驚かない」と語っている。
だが、米中首脳が会談する可能性により、中国の南太平洋における拡張路線が少しだけ緩和されたからといって喜ぶ理由はない。中国は南太平洋まで出てきた。さらに出てくるのは間違いない。日本も米豪もそれを阻止しなければ大変なことになる。それが事実なのだ。
南太平洋島嶼国の対中感情は必ずしもよくはない。たとえばソロモンでは、先述のようにソガバレ首相の親中政策に強い反対がある。来年の大統領選挙が正しく行われるなら、政権交代が起きるだろうと見られている。その場合、台湾との断交が取り消される可能性は十分にあると分析されている。であれば、日本は、国際的な選挙監視団結成を提唱すべきだろう。
南太平洋島嶼国の重大関心事は気候変動であり、反核である。猛烈な勢いで核兵器生産に励み、気候変動や環境問題への配慮など二の次の中国は決して評判はよくない。そんな中国に負けない、質のよい支援ができる日本の能力を活用するときだ。