「 再考すべきだ「習主席」への国賓待遇 」
『週刊新潮』 2019年10月24日号
日本ルネッサンス 第873回
いま香港で「香港に栄光あれ」という歌が歌われている。合唱者も楽器奏者も全員が黒装束に黒マスクだ。
「なぜ涙が止まらないの なぜ怒りに震えるの 頭をあげ沈黙を破り叫べ 自由よここに舞い戻れ(後略)」
彼らは「自由で輝く香港」を取り戻すために、歌い続ける。
6月9日に香港住民750万の内100万人が逃亡犯条例の改悪反対のデモをして、それから4か月がすぎた。それでも香港人の抵抗は鎮まらない。香港人と、香港行政府・北京政府との戦いは逆により本質的な対立へと激化しつつある。
デモをする人々の要求は、当初、逃亡犯条例の完全撤回だった。それが香港行政長官・林鄭月娥氏の辞任要求になり、いまでは中国共産党及び国家主席習近平批判へと質的に変化している。
林鄭氏の指示や決定はすべて北京政府の意向を反映したもので、それを時系列で追うと、この先に彼らが何を考えているかが透けて見える。
中華人民共和国建国70周年の祝賀行事に向けて、北京政府の準備が進んでいた9月29日、香港警察はいきなり140人の若者を拘束した。香港政府による逮捕、拘留者はすでに1000人を超える。逮捕者リストには、逮捕された人々の年齢として「14歳、15歳、16歳」という記述が続き、その横に「学生」「女学生」などと書かれている。如何に多くの若者たちが戦っているか、胸を衝かれる思いだ。
多くの若者が逮捕された翌30日、香港行政府は警官の武器使用基準を緩和した。毎年香港では10月1日の中国建国記念日に反中デモが行われる。6月以来の抵抗運動が続く中、今年は大規模なデモが予想されていた。香港行政府はそれに合わせて武器使用基準を緩和したのだ。
10月1日、早速武器は使用された。4か所で警官が実弾を込めた銃を発砲し、16歳の高校2年生が重傷を負った。幸い少年は命を取りとめたが、実弾攻撃から予想されるのは限りなく暗い香港の未来だ。
強硬姿勢は全方位
北京政府による建国70周年の祝賀行事は習氏の教条主義的政治姿勢が確認された場だった。氏は中国共産党の揺るぎない指導体制に固執し、毛沢東の強権政治を真似て戦い続ける姿勢を明らかにした。
習氏が天安門楼上から軍事パレードを観閲する中、儀仗隊が真っ先に掲げて行進したのが中国共産党の党旗だった。中国国旗が先頭に掲げられ、軍旗と党旗が続くこれまでの形が変更されていた。習氏の共産党至上主義の表れであろう。氏はパレードに先立つ演説でこう語った。
「いかなる勢力も中国人民と中華民族の前進を阻止できない」「それには中国共産党による指導の堅持が必要だ」と。
行政も司法も立法も共産党の指導下にある中国で、共産党総書記の習氏は全権力を掌握する。氏は党中央軍事委員会主席として世界第二の人民解放軍(PLA)の掌握者でもある。
氏の軍重視、力による支配権の確立への思い入れは歴代主席の中でも際立っている。今年7月に発表された国防白書で、習政権下のPLAは極めて戦闘的な姿勢を打ち出した。
米国を「世界の安定を損ねる国」と名指しし、「戦闘を準備する」と明記した。同記述の背景に米国をも凌ごうという最新兵器があり、過日の軍事パレードでも堂々と披露された。
また、「台湾独立勢力」は許さない、戦って阻止するとの趣旨で4度も触れている。わが国の尖閣諸島を「中国固有の領土」と断じ、「法に基づいて国家主権を行使する」と敵対意識も打ち出した。
強硬姿勢は全方位だ。香港も例外ではない。それが表れたのが、10月4日、約50年ぶりに発動された緊急法であろう。議会の決議も承認もなしに行政長官に絶大な権限を与えて香港を取り締まる法律である。緊急法に基づいて林鄭氏は覆面禁止法を翌5日施行した。デモ参加に当たってマスクの着用を禁ずるというものだ。
香港人は直ちに反撃した。より多くの人々がマスクをつけ始めた。「上に政策あれば、下に対策あり」で、彼らはマスクに代わる「新しい髪型」や「化粧」を持ち出した。10月11日の「言論テレビ」で映像を紹介したのだが、若い女性達は長く美しい髪を三つ編みにして前の方にもっていき、目と鼻と口を残して顔全体を編んだ髪で覆う離れ技を披露した。男性達は京劇風の化粧をした。
だが林鄭氏は意に介さないだろう。緊急法に基づいて、次々に新しい締めつけ、たとえば夜間外出禁止法、インターネット接続禁止法を施行し、11月の香港区議会議員選挙を中止することなどが考えられる。さらに林鄭氏は8日、「状況が悪化すれば、中央政府への支援要請の選択肢も排除できない」と語り、北京政府とPLAの介入もあり得ると表明した。
異常な国
そうした中、香港では自由選挙の要求、共産党及び習近平批判が溢れ始めた。覆面禁止法制定時には、香港臨時政府樹立宣言がインターネット上で出回った。だが、これは北京政府に介入の口実を与えかねず、香港問題は完全に別の性質を帯び始めている。
香港は極限に近づいている。米国議会は新疆ウイグル自治区のウイグル人弾圧と共に香港問題に厳しい目を向けているが、かといって、国際社会には中国政府とわたり合って香港を助ける勢力は見当たらない。
香港中文大学の9月の調査で、香港人の42%が移住を考え始め、内4分の1が具体的に準備中であることが判明した。蔡英文台湾総統は香港人受け入れを表明し、6~8月で1030人が台湾移住の手続きをした。
こうした状況下で日本国政府は来年春、習氏を国賓として迎えようとしている。国賓となれば天皇、皇后両陛下は心からあたたかくお迎えして下さるだろう。だが、習氏はウイグル人弾圧と虐殺、香港への力ずくの支配を実行中の人物だ。わが国の尖閣諸島海域に常時中国艦船を不法に侵入させている張本人だ。中国がわが国最大の貿易相手国で、経済的に大事な存在であっても、力を恃んでやまない中国共産党の支配者を国賓として迎え、晩餐会で共に盃を上げるのか。そのような日本を、国際社会は異常な国と見做すのではないか。国際社会の視線以前に、習氏の国賓待遇は国民感情にそぐわないだろう。
安倍晋三首相はなぜ習氏の国賓待遇での来日に傾いているのか。国際社会を広く見渡す首相の視点の確かさを思うとき、理解し難い。或いは外務省が正しい情報を入れていないのではないかとさえ疑う。国賓招待は6月のことだった。その後、香港問題が激化し事情は変わった。招待の再考を中国側に提案してこその日本外交であろう。