「 米国の真の相手は、北を支える中国だ 」
『週刊新潮』 2018年6月14日号
日本ルネッサンス 第806回
世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。
モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だとし、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治がゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」と、謳った。
どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。
翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめに話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭から鮮やかに切り込んだ。
「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海としてのインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」
「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太平洋戦略を共有してもらうために来ました」
無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自ずと中国への批判となった。
「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重されなければならないと主張します」
習主席が語った言葉
台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港させ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。
ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護の演説をしたのである。
マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待を取りやめた」と、説明したのである。
軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露したマティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。
今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファチュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々しい狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。
決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。
「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」
トランプ大統領は大丈夫か
香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまでいっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。
ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法などの全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支配しようと考えているのは明らかだ。
まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づいているはずだ。だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するには台湾を死守しなければならないという認識であろう。
米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関してトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。
中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。
北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなければならないのである。