「 反安倍の印象報道に既視感あり 」
『週刊新潮』 2018年3月29日号
日本ルネッサンス 第796回
財務省が発表した「決裁文書の書き換えの状況」(以下報告書)を読んだ。78頁にわたる報告書から読み取るべき点は二つである。第一は決裁文書の書き換えという許されないことを、誰が指示したのかだ。
次に、野党は安倍晋三首相夫妻の責任を問うが、果たして首相は森友学園に関係する土地売却や財務省の決裁文書書き換えに関わっていたのかという点である。政治への信頼がかかっているだけにはっきりさせなければならない。
そのようなことを念頭に報告書を精査したが、どう見ても、これは財務省の問題である。報告書から、森友学園が近畿財務局に少なからぬ要求を出していたことが伝わってくる。森友学園には近畿財務局が対処しており、彼らは大事な局面で本省の理財局に報告している。本省と相談し、許可及び指示を得て、森友側の要請に応えた構図が報告書では浮き彫りとなっている。そこに安倍首相や昭恵夫人が関わり得る余地はないと断じてよいだろう。
にも拘わらず、主要メディアはすでにおどろおどろしい印象操作報道に走っている。他方野党は同問題を安倍政権潰しの政局にしようとしている。政治には権力闘争が付き物だとしても、去年、日本列島に吹き荒れた根拠なき反安倍の嵐は、日本の政治をかつての旧い体制に引き戻そうとするものだった。野党も多くのメディアも、反安倍路線に走る余り、岩盤規制を守る側に、事実上立ったではないか。
いま耳にする批判は、安倍首相の「一強体制」が悪い、それが官僚を萎縮させ、忖度させているというものだ。だが、民主党も政権を取った時には政治主導を主張したのではなかったか。事務次官も含めて官僚の意見をきかず、大臣がおよそ全てを主導しようとしたのが民主党政権ではなかったか。その彼らがいま、内閣人事局が官僚を萎縮させ、首相の言葉などを忖度させると論難する。だが、そもそも内閣人事局の設置は、民主党政権でも目指したものではないのか。
民主党も望んでいたこと
内閣人事局の権限は強大ではあるが制限もある。審議官級以上の人事の最終決定権は内閣人事局にあるが、内閣人事局が次の局長や次の事務次官を指名することはできない。人事構想はまず各省が決める。その案を内閣人事局は拒否できるが、そうするには相当の理由を示さなければならない。
それでも各省人事の最終決定権を政治家が握ることで、国益よりも省益を優先していた霞が関の官僚たちを、省益より国益重視へと変えさせる要素になった。それは民主党も、望んでいたことだった。それをいま、非難するのは筋違いである。
いま、メディアは、報告書の内容を読者にきちんと伝える責任がある。報告書から窺えるのは森友学園側の要請に抗いきれず、妥協する近畿財務局の姿であり、それを承認していた本省理財局の姿でもある。たとえば、「本地の地盤について」の項には当初次のような記述があった。
「(学園は)本地(森友学園が小学校を建設しようと考えた大阪府豊中市の土地)は軟弱地盤であり貸付料に反映されるべきものと主張し、併せて校舎建設の際に通常を上回る杭工事(建物基礎工事)が必要であるとして、国に工事費の負担を要請した」
森友学園側が近畿財務局に貸付料を安くせよと迫ったわけだ。対して近畿財務局は地質調査会社に意見を求めたが、この社は、特別に軟弱であるとは思えないとした上で、「通常と比較して軟弱かどうかという問題は、通常地盤の定義が困難であるため回答は難しい」と、あやふやな見解を示した。
困った近畿財務局は「当局及び本省で」相談した結果、杭工事費用等は負担しないが、「貸付料及び将来の売払時の売却価格を評価する際には当該調査結果等により地盤の状況を考慮する」と決めた。
近畿財務局が森友側の要求に困り果て、「本省」の了承を得て森友の要求を受け容れたのだ。しかし右の記録は一部削除され、次のように書き換えられた。
「ボーリング調査結果について、専門家に確認するとともに、不動産鑑定評価を依頼した不動産鑑定士に意見を聴取したところ、新たな価格形成要因であり、賃料に影響するとの見解があり、価格調査により、鑑定評価を見直すこととした」
「軟弱であるとは思えない」、「軟弱」の定義も不明だとの分析を却下して、新たな価格形成(値引き)に応じたのが本省、即ち財務省だった。しかし文書からは本省の関与も、地盤の軟弱さが否定されていた事実も削除され、軟弱地盤故に価格調整は当然だという理屈が書かれていた。
官僚と政治家の闘い
もうひとつの事例である。森友学園は小学校開設予定地を国から借り受け、8年以内に買い取りたいと要請した。だが、国有地に関する事業用定期借地の設定期間は、「借地借家法第23条において、10年以上50年未満とされて」いる。それでも森友側は諦めない。結果、近畿財務局は大阪航空局、財務省理財局の承認を得て特例措置を取った。
建前上、10年間は借地だが、10年を待たずして売却する予定という「予約契約書」をつくったのだ。この「特例的な内容」に至るまでに理財局長の承認を得ているとの記述が、複数回登場する。
書き換え前の文書には右の「特例的な内容」、或いは「標準書式では対応できない」などの表現が度々登場するが、書き換え後の文書ではそれらはすべて削除されている。
森友側と交渉していたにも拘わらず、佐川宣寿前理財局長は、昨年3月、衆議院財務金融委員会で「価格を提示したこともないし、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」などと説明した。
一連の削除或いは書き換えはおよそすべて、佐川前理財局長の国会証言に合わせたものだと言ってよい。佐川氏や財務省を守るためだったのであろう。
それでも立憲民主党の幹部らは、安倍首相が自身や夫人がかかわっていれば政治家も首相もやめると発言したから、財務官僚たちが忖度して文書を書き換えたのだと、論難する。
果たしてそうか。首相発言は昨年2月だ。財務省はその2年前、2015年6月にも文書を書き換えている。ひょっとして財務省は恒常的に文書を書き換えていたのではないか。そのことを麻生太郎財務相にも安倍首相にも、さらには他の政治家たちにも知らせずにきたのではないのか。だとすればこの問題の本質は官僚の暴走であり、官僚と政治家の闘いにあるといえる。メディアはこうした点にこそメスを入れるべきだ。安倍憎しの印象操作に終わることは、あらゆる意味で国益を損なうものだ。