「 戦中世代の歴史証言を真摯に聞け 」
『週刊新潮』 2018年2月15日号
日本ルネッサンス 第790回
昨年10月の第19回中国共産党大会で習近平国家主席がとりわけ強調したのが国民教育の重要性である。中国での教育は、中国共産党が如何に優れた愛国の党であるかを軸とし、中華民族の偉大さを徹底的に教える内容だ。共産党に対する国民の忠誠と中華民族の誇り、そこに強い経済力と抜きん出た軍事力を加えて国家の柱とする。こうして中国は21世紀中葉には世界の諸民族の中にそびえ立つ存在になるという戦略だ。
このような中国の教育とは真逆の路線を歩んでいるのが、日本の教育現場に根を張る日教組の教員たちだろう。2月4日付の「産経新聞」が、静岡県で開催された日教組教研集会の様子を報じていた。
平和教育の実践例として、昭和6年の満州事変から20年の大東亜戦争終結までを「15年戦争」として小学生に教える事例が報告されたそうだ。だが、満州事変から15年間、ずっと戦争行為が継続されていた事実はない。小学生にそのように教えるのは不適切であろう。
また、郷土愛を育むために郷土の英雄について教えることは、「現状肯定の危険性」があり、「社会の矛盾や格差、搾取、支配者の狙いなど」にも注意を向けさせるべきだとの指摘が相次いだという。
中国が、共産党統治の下で法治、公平性、人権など、大事な価値観の多くを欠落させていることは周知の事実だ。だが、彼らは13億の国民のみならず全世界に向けて中国が優れた国だと偽りの教育をする。対照的に日教組は、中国より余程まともなわが国を相も変わらず批判し、反日教育を実践する。こんな教育で育てられる子供たちは、どんな大人にされてしまうのだろうか。
これまで日本が中国や韓国から歴史問題で事実に反する非難を浴びせられてきたのは周知のとおりだ。だが、「朝日新聞」の事例で明らかなように、日本に対する不条理な非難の殆んどは日本人が原因を作ってきたのである。日本人が、日本の歴史を暗黒の侵略の歴史と見做して、捏造話も盛り込んで、内外に広げてきた。
事実を発信
そのような考え方や精神を生み出す基盤となるのが教育である。教育現場で使われる教科書に注目せざるを得ないゆえんだ。
たとえば、いま、中韓両国が日本糾弾の材料と見做している徴用工問題を、各社の教科書はどう記述しているか。東京書籍は日本史Aで、「大東亜共栄圏」として「約70万人が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫などによって日本本土に強制連行され」たと記述している。
実教出版は高校日本史Bで、「労働力不足を補うため、1939年からは集団募集で、42年からは官斡旋で、44年からは国民徴用令によって約80万人の朝鮮人を、日本内地や樺太、アジア太平洋地域などに強制連行した」としている。
山川出版社は「詳説日本史」「新日本史」「高校日本史」で各々、「数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」、「多数の朝鮮人や占領地域の中国人を、日本に強制連行して鉱山などで働かせた」、「朝鮮人や占領下の中国人も日本に連行されて労働を強制された」としている。
どの教科書も、徴用工は「強制連行」だったと教えている。これではこれからの日本人が、韓国や中国の不条理な歴史非難に反論する正しい知識を身につけることなどできないだろう。中韓の主張をそのまま受け入れ、日本を非難することが真に良心的なのだと考える若者が育ちかねない。日本を貶めることを生き甲斐とするような人々がふえて、負の連鎖の中に、日本全体が落ち込んでいきかねない。
安倍晋三首相以前の日本の首相は歴史問題で事実を発信しようとしてこなかった。むしろ、政府は事実を押し隠して中国や韓国の主張を受け入れてきた。政治がそうであれば、役所はそれに従う。三菱マテリアルが中国で徴用工の件で訴えられた事例では、同社に、事実を争うのではなく、中国側の主張を呑んで賠償金を支払うように、外務省が事実上指示した。「南京大虐殺」や「慰安婦強制連行・性奴隷」説についても、日本政府が事実を示すことさえ憚った時代がずっと続いてきた。
だが、事実だけが中韓両国の歴史捏造戦略に勝つ唯一の道である。事実を知っている世代は少なくなってしまったが、それでも貴重な証言をしてくれる人々はいる。
西川清氏は、昨年夏に102歳で亡くなった。氏は『朝鮮総督府官吏 最後の証言』(桜の花出版編集部)の証言者である。氏は昭和8年に朝鮮総督府江原道に任官し、朝鮮人の知事が統括する地方行政で内務課長を務めた。敗戦まで12年間、朝鮮人の知事を上司とし、日本人、朝鮮人両方を同僚や部下に持って働いた。
日本人が必死に努力したこと
私は幸運にも生前の西川氏と直接会話し、多くを聞くことができた。氏の証言は前述の書にも詳しいが、最も印象的だったのは「日本人も朝鮮人も自然なこととして仲良く暮らしていました」という言葉である。
不信に満ちた現在の両国国民の感情からは想像しにくいが、当時は現在よりずっと良好な関係だった。
朝鮮総督府の基本方針は「内鮮一体」であり、「皇民化政策」とも言われた。その意味を、西川氏は、日本と朝鮮の格差や差別をなくすことだと言い切った。氏は、差別があったことは否定していない。しかし、その差別をなくすように日本人が必死に努力したことを、現代の日本人にこそ、理解してほしいと語った。
朝鮮総督府では仕事は全て厳格な程のルールに従って、透明な形で行われた。徴用に関しては、まず総督府が各道(県)に人数を割当て、指示命令は郡、邑(ゆう)、面(村)へと、下位の自治体に降りていく。それは「強制」ではなく「説得」と「納得」の手続きだった、納得しない人は、徴用に応じなかったと、氏は語った。
西川氏は労働条件などをきちんと説明した上で徴用工を日本に送り出したが、誰一人、強制した事例はないと、穏やかながらきっぱりと言い切った。
また慰安婦の強制連行も「絶対に」ないと断言した。仮にもし、軍が女性を集めようとしたら、軍司令部は徴用工の場合と同じく、道→郡→面の順で命令をおろしていく。その命令文書も多く残っているはずだ。だが、そのような文書はない。当時の実情を見れば、道の役所や警察には多くの朝鮮人が働いていた。氏の上司の知事は朝鮮人だった。上役にも下役にも多くの朝鮮人がいた。朝鮮の男性たちが、朝鮮の女性たちの強制連行を指示する命令書に、大人しく従うなどあり得ない話だと、氏は語った。こうした貴重な証言を、もっと教えていくことが大事である。