「 日本が「拉致」を解決できない理由 」
『週刊新潮』 2016年12月22日号
日本ルネッサンス 第734回
10月下旬、都内の友愛会館で開催された拉致問題解決を目指す集会で横田早紀江さんが近況を語った。
「主人の具合がはかばかしくありません。私自身も、あちらこちら具合が悪くて困っています」
めぐみさんが拉致されて来年で40年、北朝鮮にいると判ってからでもすでに20年が経つ。13歳の少女は来年53歳になる。
集会でいつも早紀江さんは問う。なぜ、こんなに長い間、日本国は拉致された国民を取り戻せないのか、日本は国家か、と。
「救う会」は毎年のように、韓国やタイの拉致被害者の家族を日本に招いてきたが、ある年、父親を拉致された韓国の女性が訴えた。訴えは、日本が羨しいという一言に凝縮されていた。国民も国会議員も一堂に会して拉致問題解決のために声を上げる。救う対象には韓国人もタイ人も含まれている。他方、韓国では政府も民間も拉致問題に非常に冷たい。家族は皆辛い思いをし、経済的にも困っている。それなのに、まるで父が悪いことをしたかのように、冷たい言葉を浴びせられる。だから官民あげて救出を叫ぶ日本が本当に羨しい、という内容だった。
確かに「救う会」も家族会もこの20年、日本人のみならず全ての拉致被害者を救出するという大目的を掲げ、その時まで拉致問題を忘れないと、言い交わしてきた。
この思いは12月11日、愛知県豊川での集会でも強く感じた。地元の豊川駅にはめぐみさんや田口八重子さんらの写真や資料が展示され、会には豊川市議会議員の八木月子さんたちを中心に大勢が集まった。
しかし、日本は本当に、韓国の被害者家族が羨しがる程きちんとした国だろうか。日本政府は、とりわけ安倍晋三首相の固い決意もあり、国をあげて拉致問題を解決すると宣言し、努力しているのに、未だに解決できていない。なぜか。
5人を帰すべきではない
「日本のこころ」代表の中山恭子氏と語り合った。中山氏は1999年から3年間、ウズベキスタン共和国の大使を務めた。赴任後間もなく、日本人の鉱山技師4人と通訳らが隣国のキルギス共和国で拉致される事件に遭遇した。結論から言えば、彼女は救出に成功したのだが、その体験から、日本が拉致被害者を救出できない原因が見えてくる。
最大の原因として、日本には、とりわけ外務省には、国家の責任で国民を救出するという考え方自体がなかったというのだ。いま、事情は多少変化しているとはいえ、海外で被害に遭った国民に対しては、国家としての日本は無関心であり続ける構造になっているという。
具体的に見てみよう。氏は02年8月に3年の任期を終えて帰国、翌月の10日に退官した。拉致被害者家族担当の内閣官房参与に任命されたのはその直後の9月26日だ。首相は小泉純一郎氏、官房長官福田康夫氏、官房副長官が安倍晋三氏だった。
「内閣官房参与として、10月15日には平壌に蓮池薫さんたち5人を迎えに行きました。その日から毎日、政府内で議論が続きました。官房副長官の安倍さんを中心に、関係省の担当者全員での議論では、5人は日本に1週間滞在したあと、北朝鮮に戻るのが自明のことのようになっていました。ただ、安倍さんは何となく納得していなかったと思います。そうした中で、私は5人を北朝鮮に帰すのはおかしいと主張しました」
5人を帰すべきでないと、はっきり主張したのは中山氏1人であり、氏の意見を、安倍氏を例外として、その場の全員が奇異なものと見做したという。
「もう決まっていることをなぜ今頃ひっくり返すのか、という反応ばかりでした」と、中山氏。
5人の日本滞在期間とされた1週間が過ぎようとしても、まだ安倍官房副長官の下で、それこそ埒のあかない議論が続いていた。そのとき、5人の意思を確認する必要があるとの意見が出された。その意図は、蓮池さんは必ず北に帰ると言うであろうとの読みだと、氏は思いつつ、「どうぞ」と答えた。
「5人にその意思があろうとなかろうと、残すべしと、私は考えていました。会議では5人の意思確認のために、滞在をあと3日(02年10月25日まで)延ばすことになりました」
結論から言えば、全員が残留を希望した。ただ、北朝鮮に残してきた家族を、必ず日本政府が連れ戻してほしいという強い要望があった。5人の気持が確認できたとき、新たな問題が生じた。
「日本残留を希望する本人たちの意思を無視して、政府が5人を北朝鮮に帰すことはできない、という論理で進めようとしたのです。それは違う。私は異議を唱え、日本国政府の意思で5人を残すとするのが筋だと主張しました。またそこで議論が噛み合わなくなり、安倍さんが一旦休憩しようと仰って散会しました」
「国家の意思」
氏は、会議室を出たところで、取材陣に囲まれ、一体何を揉めているのかと問われた。
「若い記者のその質問に、私の方がびっくりしました。詳しく話すわけにもいきませんので、私は『国家の意思の問題です』と答えました」
大使として日本国を代表し、国家を担って働いた中央アジアからその年の夏に帰国、赴任中に拉致された日本人の救出に全力を尽し、成功した中山氏からみれば、拉致問題の解決、即ち、一人一人の国民の命を守り、身柄を取り戻すことは個人の意思の問題ではなく国家の意思の問題そのものだった。しかし、そのような思いは理解されるどころか、「国家の意思」という言葉自体が激しい反発を呼んだと氏は振り返る。
「その日の午後、事務所にも自宅にも大変な数の抗議の電話やファックスが入りました。国家などという言葉を使うとは何事かという非難でした。今では考えられないでしょうが、02年10月段階ではそうでした」
結局、安倍氏の判断で5人は政府の意思で日本に残すと発表したが、中山氏は日本国は異常だと痛感した。
国際社会では当り前の「国家」という言葉さえ使えない風潮の中で、政府は非常に注意深く、タブー視されていることや言葉には、触れないできた。日本全体の価値観が信じ難い程、おかしくなっている。国家の意思、或いは責任について語ること自体が現行憲法下ではあってはならない事柄だという国に、日本はなってしまった。であれば、外務省も当然、国民を守るために動くことなどしてはならないと考えるわけだ。
横田早紀江さんは、拉致された国民を救えない日本は国かと、問い続ける。現行憲法下では日本はまともな国にはなりえないのである。現行憲法の精神に染り続ける日本は到底、国たり得ない、従って、拉致被害者も救えない、ということであろう。