「 いま、喫緊の課題は憲法改正とTPP 」
『週刊新潮』 2016年10月6日号
日本ルネッサンス 第723回
「憲法はどうあるべきか。日本が、これから、どういう国を目指すのか。それを決めるのは政府ではありません。国民です。そして、その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります」
安倍晋三首相は9月26日、臨時国会での所信表明演説でこう語り、「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の早期発効を大きなチャンスとし」たい、と強調した。
夏の参議院議員選挙で大勝し、戦後初めて、衆参両院で憲法改正に必要な3分の2以上の勢力を獲得した首相は、日本の課題を率直に表明した。いま、日本に必要な戦略はまさにTPPの早期発効と憲法改正である。いずれの課題も実現には強いリーダーシップと国民の強い支持が不可欠だ。首相の言葉どおり、決めるのは政府ではなく国民だからだ。
民主主義国家において、国民の選択が国の運命をどれ程決定的に変えるか。イギリスのEU離脱の決定やアメリカの大統領選挙を見れば明らかだ。イギリスはEU離脱によって中・長期的に力を落としていくだろう。アメリカでは大統領候補のクリントン、トランプ両氏が競うが、両氏の主張からは超大国アメリカが、台頭した中国にどう向き合い、如何なる世界秩序を維持していくのか、その長期戦略は窺えない。
国際法と民主主義を重視する陣営と、それを否定する陣営とのせめぎ合いの真っ只中に、いま全世界が置かれている。この中で、アメリカの世界に対する責任は非常に大きいが、両候補は共にTPPを否定する。この1点だけでも、両氏は世界戦略を担う資格に欠けている。
実力があるにも拘らず、アメリカは世界戦略を担う力を自ら打ち捨てようとしているかのようだ。これでは、アメリカは世界のリーダーシップを中国に譲り渡して2番手の国になりかねない。しかし、こんな2人を候補者に選んだのもアメリカ国民である。
新たな世界秩序
国際情勢の潮流が大きく変化したいま、その変化が日本にもたらす影響の深刻さを考えなければならない。
所信表明で首相は語った─「決して思考停止に陥ってはなりません」と。日本の命運は国際社会の情勢と無関係ではあり得ない、大きく目を開いて、日本が直面する脅威を認識すれば、憲法改正の必要性もわかるはずだということではないのか。
だが、民進党の蓮舫代表は、首相の所信表明を、「伝わるものが全くない。まさしく総花的」とバッサリ切り捨てた。伝わるものは本当に、全くないのか。
民進党(当時は民主党)は政権与党当時、菅直人、野田佳彦両首相ともTPP推進の立場だった。政権を預かる立場で国益を考えたとき、TPPは重要な戦略だとしたわけだ。それがいまは反対である。
ちなみに自民党も野党時代には反対した。だが政権を奪還するや、安倍首相はTPP参加を決定し、厳しい交渉を経て、最終合意に漕ぎつけ、いま、早期発効を目指す。
民進党も自民党も政権与党として国の運営に責任を持ち、国益擁護の立場に身を置いたときはTPPに賛成している。その理由は、台頭した中国が全く異る価値観で新たな世界秩序を構築しようとするのに対して、日本はアメリカと共に従来の価値観を共有する国々と連携しなければ、大変なことになると実感するからであろう。
3年3か月、政権与党の座にいた民進党であれば、政権を預かる責任の重さはわかるはずだ。ここが、社民党や共産党などとの大きな違いである。民進党が単なる反対のための反対をするのでなく、真に責任ある野党でなければならないゆえんだ。
にも拘らず、民進党はTPPには賛成できないという。理由として輸入米に関する売買入札で業者が実際より価格を高く見せかけていた可能性があり、アメリカの安いコメが日本に流入する懸念を指摘する。
的外れの議論だ。TPPの取り決めではコメには778%という高い関税率が維持される。平均すれば1キロ当たり341円の関税である。日本のコメは、安いものはキロ200円、アメリカから入ってくるコメがたとえ0円でも関税をかければキロ341円になる。競争力は保たれるのだ。
こうしたことも理解したうえで、大戦略としてTPPをとらえることだ。日米を軸に、透明性の高いルールによって維持される国際的枠組みを作ることが如何に重要か。それは中国がアジアインフラ投資銀行(AIIB)をはじめ国際的枠組みを新設して中国中心の新世界を作ろうとしているのを見れば明らかだ。世界貿易機関(WTO)に加盟して、その恩恵を他国よりも受けながら、中国は往々にしてWTOのルールを守らなかった。彼らが主軸となって、新しい国際組織を作り、多くの国々が吸い込まれるように加盟しつつある。だからこそ、日本もアメリカもより公正でより良い仕組みを作り、そこに多くの国々を集めようとしているのである。その具体策がTPPである。TPPの重要性を戦略的にとらえられないのであれば、政権を担う資格はないとさえ、私は思う。TPPを否定するクリントン、トランプ両氏を否定するのも、同じ理由からだ。
憲法改正についても民進党は国益を考えているのか。蓮舫氏は15日、「性急すぎる論点整理」などに反対の意向を表明したが、憲法改正は焦眉の急である。一体何が「性急すぎる」のだろうか。
国民と国を守る責任
いま、南シナ海では中国が国際社会の強い反対と抗議にも拘らず、スカボロー礁に手をかけつつある。同礁を押さえれば中国は防空識別圏(ADIZ)を設け、南シナ海支配を確立させるだろう。
東シナ海のわが国の海には中国の武装公船及び軍艦が出没している。東シナ海上空では人民解放軍の戦闘機がわが国領空に近づいて挑発的な飛行をしてみせる。平時でも戦時でもないグレーゾーン事態が東シナ海の上空ではすでに生まれている。
だが、わが国はこうした事態に何の法整備もできていない。先の平和安全法制でもこの分野は置き去りになった。
日本の安全保障体制は、いま、この瞬間も欠陥だらけだ。欠陥を補っていたアメリカも内向きの姿勢を強めている。その分、日本自身が力をつけなければならないのは明らかだ。この現実の危機を見れば、安保法制は「戦争法」だと言って論難したり、憲法改正を遅らせるのは、日本を窮地に追い込むことになるのだ。
民進党も、そして憲法改正を立党の精神とする自民党も歴史の前でいま、国民と国を守る責任を果たさなければならない。所信表明を憲法改正で結んだ首相は、そのような歴史的使命を意識していたと、信じたい。