「 夏休み、日本を考えるための2冊の本 」
『週刊新潮』 2016年8月11・18日合併号
日本ルネッサンス 第716回
梅雨が明けて本格的な暑さがやってきた。世の中は、参院議員選挙に続いて東京都知事選挙、9月には民進党の代表選挙が続く。アメリカでは民主党のヒラリー・クリントン氏と共和党のドナルド・トランプ氏が激しく競り合い、互いを非難し合う。
だが、最も気にかかるのは、日本の在り方である。折しも天皇陛下が今後の皇室の在り方について、直接、国民に語りかけられるという。私心を超えて日本の歴史と文明に基づくお言葉を発せられるものと期待しているが、譲位のご意向についてすでに多くの人々が論評し始めた。右も左も決して、お言葉を政治利用してはならないのであり、私は陛下のお言葉を待ちたいと思う。
日本はどんな国であり続けるのがよいのか。いまこそ、日本人皆が考えるときであろう。そこで2冊の本を勧めたい。2冊とも直接、解決を示してくれるわけではないが、いま再び読んでおくのがよいと思う。1冊目は20年以上も前に出版された『昭和天皇独白録』(文春文庫)である。
これは昭和21(1946)年3月から4月にかけて、5回にわたって側近に昭和天皇が語った内容をまとめたものだ。日本国の元首である昭和天皇が大東亜戦争当時、そして日本が初めて味わった敗戦の下でどのように考えておられたか。政治に如何に関わったかが、御自身の言葉で語られている。
昭和天皇が優れた外交観をお持ちだったと確信する事例は少なくない。たとえばリットン報告書についての反応である。昭和6年9月の満州事変に関して国際連盟が調査し、まとめた報告書は、満州事変を日本の侵略と断じた。だが、同時に満州における日本の権益が特殊であること、満州国の事情は複雑で短絡的に因果関係や合理非合理、或いは正邪の判断はできないという視点を維持していた。日本にとって決して不利な情報ばかりではなかったのである。
平和を求めよ
昭和天皇は、「私は報告書をそのまま鵜呑みにして終(しま)う積りで、牧野、西園寺に相談した」と話しておられる。牧野は牧野伸顕、吉田茂はその娘婿だ。西園寺公望は元老として昭和天皇に助言する立場にあった。
天皇のお気持ちとは反対に日本はリットン報告書を拒否して国際連盟から脱退し、孤立の道を歩んでいった。そんな道ではなく、報告書を受け入れて国際社会にとどまる方がよいと天皇はお考えになった。しかし、元老西園寺は、すでにリットン報告書は拒否すると閣議決定されたとして、昭和天皇の反対論を押しとどめた。
あの時代を振りかえるとき、私もそうだが、少なからぬ人々が国際連盟脱退など必要なかったと考える。にも拘わらず、日本は脱退した。脱退して帰国した松岡洋右はまるで英雄のように迎えられた。世論という熱狂のこわさである。
その松岡が結んだ日独伊三国同盟について、昭和天皇が述べておられる。
「結局私は賛成したが、決して満足して賛成した訳ではない」
当時、米内光政、山本五十六、井上成美ら海軍の重鎮をはじめ、アメリカの実力と欧州の事情を知っている人々ほど三国同盟には強く反対した。しかし、昭和15年9月7日にナチスドイツ政府の特使が来日し、三国同盟はわずか9日後の16日には閣議決定された。余りにも性急な展開は、わが国にじっくり考え抜いた戦略が欠落していることの具体例である。
この間にも天皇は複数回、同盟に反対の意向を示しておられた。近衛文麿首相に語ったお言葉として、「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか」というものがある。
御自身の思いとは異なる方向に日本国が進むのを眼前にしながら、「君臨すれども統治せず」、立憲君主国の元首の精神で介入はなさらない。どれ程の自制心が必要であろうか。凡人にはできないことだ。
昭和16年9月6日、御前会議が開かれ日本はいずれアメリカと戦争するのか否か、極めて重大な方針を決めることになった。外交よりも戦争に重点を置くかのような統帥部の案について、昭和天皇は「統帥部が何ら答えないのは甚だ遺憾」とし、明治天皇の御製を読み上げられた。
「四方の海みなはらからと思う世になど波風の立ちさわぐらむ」
米国と戦ってはならない、平和を求めよという御心である。しかし首相近衛は天皇の平和意図を実行しなかった。
遂に開戦した翌年の昭和17年4月、日本政府はローマ法王庁との親善強化のため、特命全権公使として原田健を特派したが、昭和天皇は「之は私の発意である」と語っておられる。
「私はローマ法王庁と連絡のある事が、戦の終結時期に於いて好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あること竝にローマ法王庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考えて、東条に公使派遣方を要望した次第である」
開戦と同時に如何に戦いを終了させるか、を考え準備するのが戦争の常道であるとはいえ、そうした戦略が欠落していたからこそ、日本はあの大東亜戦争で敗れた。当時のことについて天皇は「平和論は少なくて苦しかった」と述懐しておられる。
日本の勁さと美しさ
そして75年後のいま、日本は正反対の国になったのだろうか。平和を守ることの大切さは当然だが、誰もが自らを守ることについて非常に後ろ向きである。かつて戦いを前面に押し出しすぎていたとしたら、現在はその対極にある。世相がすっかり変わった平成のいま、ご譲位に関するものであれ、その他のことであれ、お言葉が引き起こすであろう大きな波紋について考えざるを得ない。
昭和天皇同様、否、それ以上に厳しく御自身を律してこられた今上陛下のお言葉を、緊張して待つこの思いは日本人だからだろうか。
もう1冊勧めたいのは、これまた新刊本ではない。磯田道史氏の『無私の日本人』(文春文庫)である。磯田氏の書には「これは夢ではないか」と思う程、美しくもひたむきな3つの日本人の物語が記されている。いずれも実話である。江戸時代に生きた人々の、実際の姿である。
3つの物語をつなぐ共通の糸は、自らを無にして他者のために生きるという価値観である。いま、この書がとりわけ心にしみる。その理由は国際社会の枠組みが大変化を来し、各国の自力が試されているからだろうか。日本の勁さと美しさの源泉を、この2冊が教えてくれるような気がする。