「 中国人慰安婦問題も日本発か 」
『週刊新潮』 2016年7月21日号
日本ルネッサンス 第713回
「少しずつですが、彼らの主張が解ってきました。結局、歴史問題は日本人が創り出しているのです」
東京基督教大学教授の西岡力氏は中韓両国が主導して5月末に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に、慰安婦関連資料約2700件の世界記憶遺産登録の申請を行ったことについて、こう語った。明星大学教授の高橋史朗氏も深く懸念する。
「彼らは5月31日に、共同申請の手続きを完了しました。中国は昨年、申請したのですが、ユネスコ側が登録を見送り、他国の資料も合わせて共同申請するように推奨したという事情があります。ユネスコの助言に従った今年は登録が認められる可能性が非常に高いと考えるべきです」
今回中国と共に申請したのは、韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダ、東ティモールと日本の8か国・地域の民間団体。最終段階でイギリスの博物館も参加して9か国となった。なぜ、イギリスも参加したのか、その経緯は不明だ。
申請内容を日本側はまだ把握できていないが、6月1日に、これらの団体から成る慰安婦に関する国際連帯委員会が韓国ソウルで記者会見し、配布した資料から、幾つか明確になった点がある。
第1点は、慰安婦に関する日本の市民運動の記録が少なからず含まれていることだ。慰安婦問題を含む歴史問題で日本の非を言い立てるための理論構成を、彼らは慎重に行ってきた。日本のNGOの主張が申請の柱になっていると仮定したら、西岡氏が指摘するように、歴史問題はまさに日本人が創り出していると言えるだろう。
明らかになったもう1点は、本誌の今年4月28日号でも触れたが、中国の上海師範大学・中国慰安婦問題研究センター教授、蘇智良氏らの著書、『中国人慰安婦(CHINESE COMFORT WOMEN)』が申請資料に含まれていることである。蘇氏らが展開している主張は主として、➀中国人慰安婦の大半が日本軍によって直接的に強制連行された、➁中国人慰安婦は朝鮮人慰安婦よりもさらに酷い取り扱いを受けた、➂慰安婦は朝鮮半島出身の女性20万人に加えて中国にも20万人強が存在した、である。
強制連行プロパガンダ
尚、著書には記されていないが、朝鮮人・中国人慰安婦、計40万人中約30万人が日本軍によって殺害されたと、蘇氏が主導する上海師範大学の中国慰安婦問題研究センターは発表済みだ。
こんな内容の書、『中国人慰安婦』はどこまで信用できるのか。西岡氏ら5人の研究者で構成する「中国人慰安婦問題研究会」が分析し、「中国人慰安婦問題に関する基礎調査」(以下「基礎調査」)として、6月17日に発表した。
その内容は、➀中国人慰安婦問題の研究と運動は92年の朝日新聞の慰安婦強制連行プロパガンダを契機に始まった、➁中国人慰安婦の強制連行は証明されていない、➂名乗り出た中国人元慰安婦の大部分は、「慰安婦」ではなく「戦時性暴力被害者」だった、➃中国人慰安婦20万人説はでたらめな計算の結果、である。
なぜ蘇氏は、専門家からこのようにでたらめだと批判される主張を展開するようになったのか。そこには日本人の影響が見てとれる。
蘇氏が慰安婦研究を始めた契機は日本の学者との会話だったと、氏自身が書いている。92年、客員研究員として東京大学で学んでいるとき、日本人学者から「日本軍の慰安婦制度は上海が発生源」だと指摘され、それまで知識も関心もなかった慰安婦問題に、その時点から関わり始めた。
92年は、朝日新聞による慰安婦「強制連行プロパガンダ」が行われた年だ。日本や韓国における慰安婦問題の報道のなかで中国人慰安婦問題も触れられ、同年12月には慰安婦だったという中国人女性、万愛花氏が来日した。
時系列で事実を追っていけば、中国人慰安婦問題の研究と運動は朝日の「強制連行プロパガンダ」が起点となり、これに刺激されて起こったものだという事実も見えてくる。
だが、万愛花氏が中国人被害者として名乗り出たものの、それ以外の中国人被害者はあらわれなかった。すると、「日本の弁護士と運動団体が中心となって、『被害者探し』が行われた」と「基礎調査」で勝岡寛次氏が指摘している。
94年10月には「中国人戦争被害調査団」として日本から約10名の弁護士が北京を訪れ、慰安婦としての被害者、強制連行の被害者、七三一部隊の被害者遺族、南京事件の被害者らから聞き取り調査を行い、順次日本政府に対する裁判を起こしていったという。
まさに、朝日新聞と日本の弁護士、日本のNGOなどの運動団体が連動して歴史問題を創り上げていく構図ではないか。
被害者の発掘
西岡氏らによる指摘の➂についてさらに見てみたい。蘇氏の著書や関連資料に登場する中国人慰安婦は、重複を整理すれば34名だ。内26名、77%が山西省盂県と海南島における性暴力の被害者である。広い中国でなぜ、被害者が特定地域に集中するのか。勝岡氏はまず当時の中国を以下のように分析する。
「山西省盂県と海南島の両地域は日本軍が共産ゲリラと直接対峙せざるを得なかった特殊な地域だった。日本軍は河北・山西省を敵性地区(抗日根拠地)、准治安地区(抗日遊撃区)、治安地区(被占領区)の3つに分けていたが、准治安地区と治安地区では、性犯罪の発生率に大きな違いがあった」
「准治安地区」では中国人女性に対する強姦・輪姦被害が多発した。同区では被害を受けた女性たちが日本の憲兵に訴える可能性があったために、加害者が証拠隠蔽のため、強姦・輪姦後に女性を殺害してしまうケースが多かったという。
他方、「治安地区」では、日本軍当局によって婦女陵辱行為は厳しく禁止され、日本兵も強姦はまかりならないと自覚していたから、「組織的な性犯罪はほとんど行われなかった」「性犯罪が多発したのは、憲兵による治安が行き届かない、八路軍と直接もしくは間接的に対峙していた地域(准治安地区・抗日遊撃区)に限られることが窺える」というのだ。
さらに氏は、「この両地域には94年以降、日本人が大挙して押し寄せ、原告探しをした。その結果、性暴力被害者の発掘が進んだという事情もある」と指摘する。逆に言えば、中国全土で慰安婦を探し回っても、結局山西省と海南島でしか、原告になりそうな女性は見つからなかった、それも慰安婦ではなく、戦時性暴力の被害者しか見つからなかった、ということであろう。日本を貶める歴史問題はまさに朝日新聞や日本人が創り出しているのである。