「 浦添の軍港移設だけは認める翁長沖縄県知事の論理矛盾 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年9月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1098
過日インターネット配信の「言論テレビ」で独立総合研究所の青山繁晴氏と沖縄問題を論じた。氏は共同通信社に入社した年から沖縄問題に関わってきた。沖縄の良いところもそうでもないところも十分に知っている氏と比べれば私の沖縄理解は浅いが、それでも私たちは普天間飛行場の辺野古移設に反対している人々の主張にはダブルスタンダードの一面があるという点で意見が一致した。
反対勢力は、辺野古への移設は、(1)沖縄に新たな基地は造らせないという点で許せない、(2)海の埋め立てはサンゴを破壊し、環境破壊につながるために断固反対などと主張する。しかし、辺野古移設と同じような事態が浦添の美しい海で起きていることには、翁長雄志知事も沖縄のメディアも全く触れないのである。
右の一件は、那覇にある軍港を浦添に移設する計画だ。実現すれば、普天間の辺野古移設よりはるかに広大な海が埋め立てられることになる。環境への負荷は辺野古よりも大きいであろう。
新たな軍関連の施設を造らせないというのであれば、軍港の移設先は沖縄県ではなく他県、もしくは外国にせよという要求になるのが、当然であろう。しかし、そうはならず、翁長氏は静かにこの件を進める構えなのである。
翁長氏は知事になる前、那覇市長として、この件に関わってきた。軍港の浦添移設に関する経緯を調べると、翁長氏の立場が二転三転してきたことが見えてくる。興味のある方は浦添市の現市長、松本哲治氏がブログで発表した説明を読まれることをお勧めする。翁長氏は明らかに再三豹変してきた。
大まかな流れは以下の通りだ。
・1974年1月、日米安保協議委員会で那覇軍港の条件付き全面返還の合意成立。
・94年3月、軍港の移設先とされた浦添市議会が反対決議。
・96年、米兵による少女暴行事件発生で全沖縄に反米運動広がる。日米間に沖縄のための特別行動委員会(SACO)がつくられ普天間の辺野古移設、那覇軍港の浦添移設等の合意成立。
・99年3月、浦添市議会が一転して、移設先とされた海岸一帯の開発促進の意見書を可決。
・2001年11月、浦添市長が議会の決議を受けて軍港受け入れを表明。
・13年1月、それまで軍港移設に賛成していた翁長那覇市長が那覇軍港の先行返還を求め、同時に浦添市への移設は求めないと新聞発表。浦添市長は軍港受け入れの必要がなくなったと判断し、受け入れ反対に転じる。
・13年2月、わずかひと月の間に、翁長那覇市長はまたもや方針を反転、那覇軍港の浦添への移設を求める。
こうした状況を受けて松本氏は現在、県民、市民の考えをしっかりと聞いて判断を下すべく、決定を保留中だ。しかし、その決定保留について、氏は「沖縄タイムス」や「琉球新報」から公約違反だと批判されている。
氏は訴えている。
「自分の方針転換は翁長氏の方針転換を受けたものだ。これだけ変遷を繰り返す翁長氏はなぜ公約違反と言われないのか。沖縄のマスコミは全てを知っているはずだが、この件について一切報道しない」と。
松本氏は事が複雑で自身もよく理解できない状況だと吐露した上で、自分の説明に関する疑問や不明な点については、マスコミおよび(翁長氏を含む)相手方にも問い合わせてほしいと末尾に書いている。正直な説明である。
一連の経緯から見えてくるのは、普天間の辺野古への移設は許さないが、軍港の浦添への移設は認めるという翁長氏の論理矛盾と、翁長批判はしないという沖縄二紙の偏向報道である。
沖縄県民の直面する問題には教育も経済もある。基地問題だけを歪曲する翁長県政で県民の暮らしは守れないとつくづく思う。