「 習近平体制、不安定ゆえの異常弾圧か 」
『週刊新潮』 2015年8月6日号
日本ルネッサンス 第666回
7月26日、NHKの番組、「これでわかった!世界のいま」が「中国で人権派弁護士ら多数拘束・なぜいま弾圧を強化?」という内容を報ずるというので、視聴した。
人権派の弁護士らを次々に拘束する中国の異常さはすでに新聞が伝えているが、なぜかNHKは日曜日の夕方の、誰も注目しないような、子供向けめいた番組で中国の異常な人権弾圧を伝えた。この種の情報は看板ニュース番組で堂々と取り上げるのが「国民のテレビ」たるNHKの役割だと思う。そうならないのは、偏向報道が少なくないNHKでは、主流のニュース番組であればある程、まともな中国批判はできないということだろうか。
とまれ、「世界のいま」は中国の人権弾圧の凄まじさを数字で紹介した。判明しただけで25名が拘束され、内13名が弁護士、尋問に呼び出されたのは230名、内120名が弁護士だと報じた。大学では英語の本が使用不可となり、インターネットもより厳しく規制され、若者たちが西側の価値観や情報の影響を受けることを中国当局が極度に警戒している。番組はその理由を中国共産党の「焦燥」だと解説した。経済成長の鈍化で貧困層の不満が募り、それが統合され中国共産党に向けられるのを恐れた結果として弾圧に走っていると、NHKにしてはまっ当な解説だ。
だからか、中国で同番組はプツンと切られ、約10分間、テレビの画面が真っ黒になったそうだ。「世界のいま」は中国当局の検閲で番組を切られたことを誇りにしてよいだろう。
それにしても中国の現状は異常である。中国に批判的な人々はもとより、親中的な人々さえも認めざるを得ない、度を越したこの異常さの実態を改めて振りかえる。
中国では、昨年1年間で1000人に上る人権活動家が拘束された。今年も同じように言論の自由などへの締めつけが続いていたが、7月9日以降、突然「暗黒の週末」と呼ばれる摘発が行われた。狙われたのは北京鋒鋭弁護士事務所だった。中国の国営通信社である新華社報道を、「中国通信」は以下のように日本語で配信した。
「人権擁護仲間」
「北京鋒鋭弁護士事務所を舞台に、2012年7月以降、前後40余回の機微な事件を組織し、画策し、煽り立て、社会の秩序を著しく乱した重大犯罪容疑者集団を粉砕した」「人権擁護、正義、公益の名の下に社会秩序を著しく攪乱し、極秘計画の内幕も暴かれることになった」
「重大犯罪容疑者集団」は「人権擁護仲間」と呼ばれ、以下のように3つに分類されている。
「組織中核層は、北京鋒鋭弁護士事務所主任周世鋒、管理補佐劉四新、弁護士黄力群らである。計画及び実行者として弁護士の王宇、王全璋、運動員の呉淦、翟岩民、包竜軍らが存在する。劉星、李某ら陳情者が追従勢力となっている」
ちなみに、事務所主任の周世鋒氏は、7月19日までに、「女性問題も含めて罪を認め、悔いている」と発表された。勿論、私たちにその真実性を確かめる術はない。
7月9日に拘束された著名な女性弁護士、王宇氏の夫、包竜軍氏は人権活動家である。2人は弱者支援の活動をしており、これまでも当局に尾行され、盗聴されていた。
『産経新聞』北京特派員の矢板明夫氏によると、今回拘束された弁護士たちの特徴の第1は、いずれも中国共産党一党独裁体制の枠内での改革を目指す人々であり、体制転覆などの主張は全くしていないことだ。第2は、個々の事件で被害者の権利擁護を法律に基いて展開するが、そのときに当局の人権侵害の詳細をインターネット上に開示し、人民を味方につける手法をとっていることだ。
体制の枠内での人権活動であっても、人民が反政府感情を抱けばそれはいつの日か暴発して刃が指導者に向かってこないとも限らない。文革の時代を生き抜いた習主席は、人民の怒りの怖さを知っている。だからこそ、人民に働きかける周世鋒氏らの手法が断固許せないのではないか。
違法拘束、逮捕、拷問、人身売買などが横行する習近平体制下の中国を、米下院は昨年5月30日、「世界最悪の人権侵害国」と断罪したが、習主席が苛酷な弾圧に走るのは人民を恐れる余りではないのか。
だが、中国は米国の批判にも国際社会の非難にも、もはやたじろがない。厳しい批判にも拘らず、南シナ海の侵略を進めたように、人権弾圧も中国人から外国の非政府組織(NGO)へと逆に対象を広げ、強める構えだ。
公安相の郭声琨氏が7月25日、全国人民代表大会で審議中の「外国NGO管理法」の制定を表明したが、同法によって、外国NGOの監督機関は民政省(厚生労働省に相当)から犯罪組織の取り締まりを担当する公安省に移される。外国人の影響を、刑事罰の適用によってより厳しく排除していくというのである。米欧諸国や日本の価値観を拒否して、中国独自の社会主義、中国独自の民主主義を謳い上げる習政権の方針を、外国の影響を断固排除する形で推進しようというのだろうか。
全中国公民を動員
中国の尋常ならざる独善性は7月1日に発表され即日施行された「国家安全法」からも見てとれる。第1章の総則で、中華人民共和国公民、国家機関、武装勢力、各政党、各人民団体、企業・事業組織、その他の社会組織すべてが国家の安全、主権と統一、領土を守る責任と義務があると定めたのがこの法律である。同法の対象は、香港とマカオの同胞、台湾の同胞を含むすべての中国人民とされ、台湾国民の了承も同意もなく、一方的に彼らに中国の安全を守る責任と義務を課した。
中国の国家の安全維持とは具体的に何か。第2章で説明されている。中国共産党の指導の堅持、中国の特色ある社会主義制度の擁護、社会主義民主政治の発展、社会主義法治の整備、国境・海・空の守りの強化、領土主権と海洋権益の守り、軍事力の革命化・近代化・正規化、積極防御の軍事戦略の実施、侵略への備え、海外勢力による国内宗教への干渉排除、大気圏外宇宙空間・国際海底区域・極地の平和的探索と利用の堅持等、果てしなく書き込まれている。
国家安全法はこうした義務と責任を課し、必要ならば、台湾人を含む中国公民全員が動員されることも明記している。その一方で、「国家の安全に脅威を与える言動を行ってはならない」と定めている。
国家の脅威とは何か、曖昧な文言は如何ようにも拡大解釈され、当局は弾圧に活用するだろう。
すでに国連人権高等弁務官のゼイド・ラアド・アル・フセイン氏らが厳しく批判しているが、地球の全てを欲し、支配するとでも言うかのような独善性は、習近平体制の陥っている不安定さの裏返しではないだろうか。