「 不用意だと言わざるを得ない独メルケル首相の歴史問題発言 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年3月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1076
1989年11月9日にベルリンの壁が崩れ、1週間後、私は壁の前にいた。壁に沿って多くの人たちが歩いていた。歴史の大変化を深く感じつつ、私も彼らに交じって歩いた。
壁のこちら側とあちら側では世界はどれほど異なっていたのか。その絶望的な相違は、東側から脱出を図って西側に入る直前に東ドイツ兵に銃撃されて命を落とした人々の墓が、幾十も幾百も並んでいたことからも見て取れた。現地の記念館には脱走に関する多くのエピソードがつづられており、読むだけで息苦しくなったのを覚えている。
西ベルリン滞在中、私は長い車の列の続く検問所を通って東ベルリンに入った。東西を分かつものは背の高い冷たい壁一枚だ。空は東西両方にまたがり、空気は壁を越え2つのベルリンを自由に吹き抜けているはずだった。
しかし、東ベルリンに入ってみて本当に驚いた。空も空気も違うのである。空はどんよりと曇り、空気は東ベルリンを走り回る小型車トラバントの吐き出す排ガスで嫌な臭いがした。表通りから一歩裏通りに入ると、東ドイツの都市の中では最も洗練されているはずの東ベルリンであるにもかかわらず、まるでゲットーのような風景が広がっていた。
ドイツ首相、アンゲラ・メルケル氏はその東ドイツ出身である。一党独裁の暗い権力と秘密警察が目を光らせる国、思想および情報に対する不条理な統制の下で生きなければならなかった記憶は、そのような体制への強い忌避感を氏の中に育てたであろう。
氏がナチスドイツのホロコーストに強く反発し、過去と真摯に向き合うことの大切さを説く姿勢は、氏の東ドイツ時代の体験と重ね合わせるとき、とりわけ真実味を持って迫ってくる。
氏に敬意を払いつつ、一方で、氏の日本の歴史に関する発言は不用意だと言わざるを得ない。3月9日、メルケル首相は安倍晋三首相と臨んだ記者会見で、ホロコーストに言及し、「過去の総括は和解のための前提だ」と語った。日本と韓国や中国との関係に直接言及したわけではなかったが、日本とナチスドイツを同一視するかのような歴史観を披露したのは、一国の宰相としては軽率ではないか。
ヒトラー以下、ナチス政権は国家ぐるみでユダヤ人抹殺を意図して、組織的に準備した。米英など戦勝国はドイツと日本を同じ罪で裁こうとした。しかし、満州事変から大東亜戦争終結まで、わが国では実に13人もの総理大臣が入れ替わり、政権を取った。戦後、巣鴨の刑務所に総理大臣経験者らが収監されたが、そこで初対面だったというようなケースさえあった。こんな状況でナチスドイツ同様に、謀議を重ね、事前に計画することなどできようはずがない。
国家の意思で組織的にユダヤ人を抹殺しようとしたドイツとは異なり、日本が犯した罪は通常の戦争犯罪だった。こうした点をメルケル首相は考慮せずに日独両国を同一視するかのような発言をしたわけだが、日本として穏やかに注意すべきであろう。
メルケル首相は岡田克也・民主党代表との会談で自ら慰安婦問題を持ち出し、「きちんと解決した方がいい。和解することが重要だ」と語ったそうだ。
日本にとって欧州の事情がよく分からないように、欧州諸国にとってもアジアの事情はよく分かっていないであろう。そうした国々に韓国や中国が長年慰安婦問題について一方的な情報戦を展開してきた結果の1つが、メルケル首相の発言ではないだろうか。
慰安婦だった人々には心から同情を抱くものだが、それでも、慰安婦の実態は強制連行でも奴隷的扱いでもなかったと言わなければならない。これまで沈黙していた分、これから長い時間をかけて日本全体で発信していかなければならない。