「 戦後70年の首相談話懇談会が発足 内容は安倍首相に任せるべき 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年3月7日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1074
戦後70年の首相談話をどのような内容にするか、談話に資するための「21世紀構想懇談会」の第1回会合が2月25日に開かれた。
村山富市首相や小泉純一郎首相も談話を出したが、いずれも各首相が勝手に、と言っては失礼かもしれないが、ほぼ独断で出した。野党や国民の意見はおろか、与党内の意見調整も十分には行っていない。これらの前例と比べれば安倍談話に関しては物々しいような監視態勢が出来上がっている。
まず国際社会である。中国は繰り返し、日本が歴史を反省し、村山、河野(洋平・内閣官房長官)両談話の文言を踏襲せよと迫る。23日にも王毅外相が国連安全保障理事会の公開討論会で、日本を念頭に「過去の侵略の犯罪をごまかそうとする者がいる」とけん制した。
韓国も日本が反省し続けることを要求する。中韓両国の情報戦略に影響を受けている米国もまた、水面下で圧力をかけ続ける。国内では野党以下、メディアまでさまざまな注文を付ける。
こうした中、内外の注目が集まる首相談話の実態をあらためて振り返りたい。村山談話について河野氏は2009年7月29日「朝日新聞」で「村山・河野・武村(正義・新党さきがけ代表)の三者が手を握り、戦後50年の村山首相談話を作った」と語っている。
村山談話は、右の三者の独断だったというのである。これが突然自社さ政権の閣議に出された。平沼赳夫氏はかつて私に「全く寝耳に水だった」と語ったが事前説明も相談も一切なかったのだ。ちなみに河野氏は先の朝日の記事の中でこうも語っている。
「あの政権(村山政権)をつくったことで平和主義を掲げた社会党を結局つぶしてしまった。政治のバランスを崩して全体の右傾化を招いたと悔いが残ります」
いま社会党(社民党)を支持する国民が激減していることを見れば、社会党への哀切の情を抱き続ける河野氏と国民の思いは遠く隔たっている。
一方、小泉首相の戦後60年の談話も野党や国民はもとより、与党内で幅広く話し合った形跡は認められない。つまり首相談話は基本的に首相自身の思いを語るものなのだ。その限りにおいて、歴代内閣が縛られ続けるものでもないはずだ。
21世紀構想懇談会座長の西室泰三氏らが懇談会が談話を書くのではないと発言したのは、その意味でも正しい。談話は安倍晋三首相が自らの思いをまず書くのがよい。それを懇談会が助言すればよいのである。
2月24日、自民党政調会長の稲田朋美氏が自ら主催した「道義大国をめざす会」で語った。
「首相談話について、各方面からさまざまな声が聞こえてくる。しかし、談話の内容は首相に任せるべきだ」
会場から大きな拍手が湧き、氏はこう続けた。
「歴史観というが、大事なことは歴史の事実である」
ここでも大きな拍手が湧いたのは多くの人々の間に、中韓両国などが日本に強要する歴史観は、慰安婦にしろ南京事件にしろ、歪曲した事実の上に立っているという実感があるからであろう。歴史の歪曲を正し、正しい歴史事実に基づいた歴史観の表明を、多くの人が望んでいると感じた場面だった。
慰安婦は強制連行という吉田清治証言のうそを暴いた歴史研究家、秦郁彦氏が第30回正論大賞受賞式で語った。
「談話を出さないことも一つの選択肢として考えてほしい」
首相談話は出さなくてはならないという性質のものではない。しかし、出したからには独り歩きする危険がある。さまざまな前提条件を付けられて自らの思いに沿わない談話を出す事態が生まれるのであれば、出さないことも、賢い判断であろう。