「 教育改革や農協改革で見え始めた日本再生への道 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年2月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1072
「恰(あたか)も、明治維新のあの大改革の嵐、日本開国の命懸けの戦いの中を駆け抜けたような感慨を抱いています」
中央教育審議会会長の安西祐一郎氏は2月9日の第7期中教審の締めくくりの会でこう語った。戦後教育の大改革といってよい成果を挙げ得たことへの安堵の気持ちが込められていた。
私も末席に連なった中教審の議論は、必ずしも全て順調だったわけではなかった。とりわけ教育委員会の在り方についての議論は白熱した。
教育委員会は教科書の採択に始まり教育現場が直面する問題全般に責任を有する。にもかかわらず、偏向した内容の教科書が多くの教育委員会によって採択され続けてきた。また、2011年、大津市で発生した中学2年生男子のいじめによる自殺事件で見られたように、いじめを隠し、責任逃れに終始する教育委員会も存在した。
中教審はこのような現状を克服するために首長の責任を明確にし、新設した教育長の任免権を首長に与えるなど、首長の権限を強めた。この改革によって、有権者の意思で選ばれた首長が、教育現場により強い権限を及ぼすことができるようになった。教育現場に今も色濃く見られる日教組のあしき影響も緩和されるだろう。
教育内容の大きな変化の一つは、今年4月から「教科」として教えられる道徳教育にあるだろう。かつて修身と呼ばれた道徳教育は、昭和20年、占領軍が禁止して以降、日本の学校できちんと教える体制はなかったのだ。06年の第1次安倍内閣で、教育基本法が改正され「道徳心を培う」ことが教育の目的として書き込まれた。今回、安倍晋三首相、下村博文文部科学大臣の下で道徳が正式に教科として教えられることになったのは、非常に大きな意味があると思う。
「朝日」「毎日」「東京」の3紙は社説で、多様な価値観が育たない、価値観の押し付けだなどと批判したが、そうした批判は当たるまい。どの時代でもどんな国でも、勇気、誠実、他者への思いやり、正義感などは普遍的価値観として大事に守られ、受け継がれてきた。大人が実行して子供たちに範を示し、家庭や学校で重ねて大事な価値観として道徳を教えてきた。この当たり前のことをわが国は敗戦の結果、禁じられていた。70年ぶりに復活する道徳教育は必ず、日本人の善さを引き出し大きな力に育て上げていくと、私は確信している。
第7期中教審で決定されたもう一つの重要点は日本史を必修科目にしたことだ。これまで高校の歴史の必修は世界史であり日本史は選択科目にすぎなかった。自国の歴史を知らずして、世界の歴史を学んで何の意味があるのか。これもようやく改められた。
分野は異なるが、今週発表された戦後社会の大改革のもう一つの事例が農協改革である。農協の特権体質は、法人税率が19%で一般企業の25.5%よりずっと安いことや、農協会員の株の配当は損金算入されて課税されないことや、農協の事務所や倉庫には固定資産税が掛からないことなど幾つもあるが、私は「整促方式」という農協独自の制度に注目したい。
これは約700ある地方の単位農協や県連、全農など農協系組織の全てを利用して事業を行う仕組みである。肥料や種、農機具の買い付けから生産物の出荷まで全事業を全員で行い、各レベルで手数料を受け取る仕組みといえば分かりやすいだろう。そこには合理化や効率化の考えはなく、そこに関わる人々の利益優先しかない。結果として日本の農業は衰退したが、この農協も改革されることになった。
教育改革も農協改革も具体的な法案作りの段階で骨抜きにされないように監視が必要だ。まだ油断はできないが、15年が力強い日本再生の年になることが実感される。