「 情報と力こそISILへの対処策だ 」
『週刊新潮』 2015年2月12日号
日本ルネッサンス 第642回
日本人2人を殺害したISIL(イスラム国)は「(日本の)国民がどこにいようとも虐殺をもたらす」と脅迫した。
この許し難い犯罪に関して2月3日、「朝日新聞」は社説で「『イスラム国と闘う周辺各国に支援する』という首相の表現は適切だったか、綿密に検証されるべきだろう」と、日本政府に責任があるかのような書き振りだが、的外れであろう。同社説はこうも書いた。
「どんな理由であれ、生活を破壊され、傷ついた民衆のそばに、日本国民は立つという普遍のメッセージを送るべきではなかったか」
まさにそうしたメッセージを、日本政府は長年送り続けてきた。そのことを朝日自身、書いている。
「安倍首相が最近表明した2億ドルの拠出は、周辺諸国への難民の『命をつなぐ支援』にほかならない。戦後日本が培ってきた平和主義に基づく、この地域の人々との協調の証しである」(1月26日)。2月2日には、「難民への人道支援を表明した日本政府を責めたて、身代金や人質交換に応じなければ殺害するという主張は、独りよがりでおよそ道理が立たない」とも書いた。
日本の中東への支援に関して、日によって首相を責めたり、テロリストを責めたり、朝日新聞の社説の立ち位置は変化する。
ISILは、私たちの考えや論理など受け入れない。彼らは1月26日、「テロ決行指令」をネットに掲載し、今後の標的として、・有志連合参加国とその国民、・有志連合に対する聖戦に参加しない全てのイスラム教徒をあげた。自分たち以外全員を敵としてテロを行うというのだ(「産経新聞」2月3日)。
国際法も人道も人権も認めないイスラム過激派勢力は、ナイフだけでなくカラシニコフ自動小銃や携帯型対戦車ロケット砲まで所有する。武器を持ち無差別テロを主張する勢力から、海外で活躍する150万の邦人の安全をどう守り、どう救出するかが、いま、問われているのである。
力をもって立ち向かう
日本国政府の現状は、情報収集も邦人救出も他国に全面的に頼らざるを得ず、殆ど無力といってよい。こうした点について、朝日はどんな答えを出しているだろうか。
「日本は事件から、何を教訓とすべきか。少なくとも、軍事的関与に走ることが日本の安全に直結するとは到底思えない。むしろ逆だろう」「自衛隊による在外邦人の救出といった論議に走るときではない」(社説、2月3日)
思わず、23年前の、はじめて自衛隊をPKO(国連平和維持活動)として海外に派遣するときの朝日の主張を思い出した。自衛隊が海外に行けば軍事大国化を懸念されると書いたのだ。無論、23年間そのような事実はない。この朝日的考え方から脱却することこそ、いまの日本に必要だ。
これまで日本人は海外でさまざまなテロ事件に巻き込まれ、犠牲になってきた。今回も日本政府は情報収集に苦しみ、日本国が昔も今もほぼ無力であり続けていることを露呈した。今後、これまでと同じように情報収集も日本人救出も外国政府頼みでよいはずがない。
ISILは、私たちが国際社会の基本と見做す価値観を認めない犯罪者勢力である。法も人権も認めない。暴力で国際社会の秩序を破壊する彼らの前で、私たちが成し得ることは限られている。平和的な話し合いや交渉が功を奏すことは期待できない。彼らの要求を容れる選択肢も日本にはない。とどの詰り、力をもって立ち向かうしかないのである。私たちに必要なことは、その基本認識を持つことである。
国として国民を守るのに、平和的解決が不可能なら、軍事力を使わなければならない場合が出来する。勿論、でき得る限り、そのような最悪の危機に陥らなくてすむように努力しなければならない。
そこで必要になるのが情報力である。安倍政権は国家安全保障会議(NSC)を設置し、事務局として国家安全保障局を置いた。同局に各省から情報が集まり、その情報に基づいてNSCが政策や対策を決定する。仕組みは一応整えられた。しかし、まだ十分とは到底言えない。NSCの判断を支えるための十分な情報を集める機関が日本にはないのである。日本以外の国々には、アメリカのCIAや、イギリスのMI6など、実働部隊としての情報機関がある。日本にはこの部分がすっぽりと欠落しているといってよい。
内閣情報調査室は存在するが、スタッフは各省からの出向者が多い。彼らはいずれ出身省に戻るのであり、一生掛けて情報の専門家になるわけではない。情報こそ、国と国民の運命を左右する。だからこそ、情報に携わる人材や機関をもっと前向きに評価し、情報活動を外務省や警察など縦割り行政の枠に閉じ込めない形で推進していかなければならない。
日本単独では処しきれない
情報機関とセットで、他国の情報機関同様、実行部隊を設ける必要もある。日本人が海外でテロに巻き込まれるのはISILのケースだけではない。北朝鮮有事の際の拉致被害者救出も懸案である。日本人が囚われている場所などを割り出し、万が一の場合、警察や自衛隊の特殊チームを送り出す法整備が急がれる。
日本はかつて、福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と語ってテロリストの要求に屈した。他方、1972年のミュンヘンオリンピックでイスラエル選手団がパレスチナゲリラに殺害されたとき、西ドイツ政府は直ちに対テロ特殊任務を担う部隊を養成し始めた。海外で邦人が危機に直面するケースに加えて、2020年の東京五輪を考えれば、日本も同様に対テロ特殊部隊の養成に力を入れるべきだろう。
アメリカが国際社会への関与の度合いを低下させるのとは対照的に、中国が膨張を続け、国際法の枠外で蛮行に走るISILのような勢力も台頭した。日本だけでなくおよそ全ての国々が、自国と国民を守る戦いに否応なくひきずり込まれている。戦後の日本のパシフィズムとアメリカ頼みでは、日本国民も日本も守れないことを自覚したい。
自らの力で自らを守る能動的な国家へと、日本国の基本的構図を変えなければならないが、日本単独では処しきれない脅威も多い。そのために、まず、集団的自衛権の行使について現実的に考えたい。昨年閣議決定された集団的自衛権も、屋上屋を架すように前提条件が重なり、日本国民と日本を守ることにはなりにくい。この新たに生じた深刻な危機を前に、私たちは集団安全保障に踏み込む前向きの議論を行い、その先に憲法改正を考えるべきだ。