「 イスラム国が日本人殺害予告 事件が問う日本国の“根本” 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年1月31日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1069
1月20日に発生したイスラム国による日本人殺害予告と2億ドル支払い要求が私たちに突き付けたことの本質を考えてみたい。小欄が皆さんの目に留まるころには、事件は何らかの形で決着している可能性が高いが、事件が問うているのは、安倍晋三首相は第2の福田赳夫首相になるのかという点である。日本国の根本が問われているのだ。
1977年、人質を取った日本赤軍が福田政権に突き付けたのは、獄中の日本赤軍メンバーを600万ドル(当時の為替レートで約16億円)を付けて釈放せよという要求だった。福田首相は「人命は地球より重い」として、超法規的措置で彼らを中東に放った。自由を得た犯人らはその後テルアビブ空港でテロ事件を起こし被害を広げた。日本政府の渡した現金は彼らのテロ活動を支える資金源となった。日本はテロに屈する国として非難されたが、これは当然であろう。
第2の福田首相になるのか否かとの問いは、国家としての重大な問いではあるが、同時に一人の人間にとっては極めて深刻な問いでもある。人間の命に関わる重大問題で、どの人にとっても、軽々に答えられるものではない。
しかも、この種の問題を日本は政府も国民も戦後ずっと考えないできた。しかし、今こそ、考えなければならない局面である。
安倍首相が1月17日からの中東訪問でイラクやシリア、トルコ、レバノンに贈った2億ドルはイスラム国がもたらす脅威を食い止めるため、「地道な人材開発、インフラ整備を含め、イスラム国と闘う周辺各国に」支援された。目的はあくまでも難民や虐げられた人々のためである。
そもそも日本が軍事力行使については極めて抑制的な国であることは今更説明の必要はない。軍事と名が付くことには一切手を触れないようにしてきた戦後の体質は、わが国を代表する東京大学が現在に至るまで軍事につながる研究を基本的に拒否していることからも明らかだ。従って、日本の国際支援はどんな場合も民生安定のために行われてきた。今回も同じである。それでもイスラム国側は日本が自ら十字軍に参加し、欧米諸国と共にイスラム国に挑戦したと受け止めた。
政府は直ちに、日本が提供した2億ドルは民生支援の資金であるとの「真意」をイスラム国側に伝えるべく、全力で対策を取り始めたが、本当の問題は、イスラム国が耳を傾けない場合はどうするのかである。
事件後帰国してすぐに行った20日の会見で、内外記者団、とりわけ外国記者が安倍首相に尋ねたのは全てイスラム国に支払うのかという極めて率直な質問だった。安倍政権が人命救出に全力を尽くすのは当然として、日本政府がよって立つところはどこかに関心を抱いているのだ。
首相は「人命第一」と、「国際社会は断固としてテロに屈してはならない」の2点を繰り返した。支払いをするか否かは明らかにしなかった。記者会見での回答としては合格点だが、この2つの両立が難しいとき、安倍首相は福田首相と同じ選択をしてはならないと、私は思う。福田首相の道はどのような意味においても、いかなる解決策にもつながらない。
今回、イスラム国側が殺害予告の中で日本政府に具体的かつこれまでにない高額の2億ドルを要求したこと自体、日本は金による解決を選ぶとみられていることを示している。支払いに応ずれば同様の事件の発生を誘発しかねない。その資金はテロ活動を支え続けるだろう。だからこそ福田首相の誤りを繰り返してはならないのだ。
政治の責任、役割として、このような厳しい現実が眼前に突き付けられていることを、国民に語り掛け、その一方で、日本は国際社会にこれまで通りの貢献を続けるべきだ。