「 福島被災地に新しい町は出来るか 」
『週刊新潮』 2013年11月14日号
日本ルネッサンス 第582回
福島の被災地に新しい町づくりの希望が生まれた。
NPO法人ハッピーロードネット(HRN)の人たちが企画する「夢の町」構想である。同構想のモデルは北海道大学の奈良林直教授が紹介したスラブチッチという町である。スラブチッチはチェルノブイリ原発から50キロの地点に、事故後、わずか1年8ヵ月で完成した「子供のための夢の町」だ。
その町を福島原発事故に苦しむ浜通りの住民約30人が9月末に訪れた。チェルノブイリを擁するウクライナは27年前、世界を震撼させた原発爆発事故からどのように立ち直ったか、学べることは何かを確認するため、全員私費渡航の民間使節団だ。
引率者は奈良林氏、住民代表はHRN理事長の西本由美子さんだ。
「福島に行くと未だに復興が進んでいないことに驚きます。民主党政権の下で全く復興が進まなかったのはともかく、自民党の下でも手がつけられていないことが多々あります。浜通りの人たちが、ならば自分たちが主導して、故郷再生案を出したいと思ったのも、もっともなことです」と奈良林氏がウクライナ訪問の動機を説明した。西本さんも語る。
「福島は未だ元気を取り戻していません。浜通りの双葉郡8町村の住民も、故郷に戻らないという人が半分以上に上っています。このままでは故郷が消えてしまう。夢もない。そんな壁を打ち破りたくて、奈良林先生に連れていってもらいました」
こうして出かけたウクライナで30人は、本当に驚いたという。まず事故を起こしたチェルノブイリ原発の思いがけない現場の様子である。
「日本の報道に接していると未だ汚染が凄まじく、サイトに近づくには白い防護服が必要と思っていましたが、作業員も皆、普通の格好でした。食堂で一緒に食事しましたが、旅の過程で一番美味しい食事でした」と、西本さんは笑う。
「情報汚染」
そこから3キロ離れた所にプリピャチの町がある。事故後、住民は政府から移住を命じられ、空になった住宅はそのまま原発の事故現場で働く技術者らの宿舎となった。しかしこれも2000年に終わり、技術者らは去り、住民は戻らず、ゴーストタウンになった。日本で報道されるのは、専らこの町の姿である。
日本のメディアがこれまで全くといってよいほど報道してこなかったのが、人っ子一人いないプリピャチとは対照的に子供の声があちこちで響くスラブチッチの町の姿である。
スラブチッチは人口2万5,000、原発従業員とその家族及び被災地の住民を対象とした「夢の町」である。低層マンション群に加えて絵本に出てくるような美しい赤い屋根の一戸建が並ぶ。一戸建は子供3人以上の家族専用だ。車道、自転車道、歩道はすべて並木で仕切り、遊園地、公園を多く配置して緑濃い町をつくった。保育園は400メートル毎にあり、子供は200メートル歩きさえすればよい。学校、病院機能も備えた町の運営には、毎週開かれる住民と行政当局の意見交換の内容が反映される。
浪江町から参加した戸川聰氏がこう語った。
「町で会った住民に、スラブチッチに移ってきてどうかと問うと、全員が『移住して来てよかった』『満足している』と答えました。僕はそれを聞いて、ウクライナを視察してよかったと思いました」
ウクライナの首都キエフでは国立放射線医学病院を訪れた。そこでも彼らは驚きの事実を知る。
「チェルノブイリでは炎上する原発の建物に入って作業した人たちは全員亡くなっていますが、一般の住民には、他の地域の住民と較べて、健康度などで有意の差はなかったというのです」
西本さんの話を、奈良林氏が補足した。
「この病院ではチェルノブイリの被曝者2万3,000人に、被曝者健康手帳を配って定期的に診断し、全データを一括管理しています。チェルノブイリでは福島の50倍の放射性物質が放出されましたが、それでもこれまでの27年間の調査で、他の地域の住民と較べてガン発生率など、差がないことがわかっているのです」
浜通りの人々が知りたかったことのひとつが、生活における放射能の許容レベルだった。福島では年間1ミリシーベルト(SV)を超えると危険であるかのような思い込みが広がっている。その点に話題が及んだとき、キエフの医療関係者から、桁違いではないかとして、数字の確認がなされたという。最終的に福島で問題にされているのが「1ミリSV」だと理解した時、彼らはこう言ったそうだ。
「チェルノブイリで本当に深刻だったのは、放射能汚染ではなく、情報汚染でした」
1ミリSV/年の放射線量は人体になんの害も及ぼさない。にも拘わらず、それを超えると安全が脅かされる、子育てにも適さないと考える次元に住民を追いやった非科学的な情報は、たとえそれがよかれと思って示されたとしても、人々を不幸にするだけだというのだ。
西本さんがつけ加えた。
「ウクライナでは300ミリSVを基準に考えているというので、私たちは本当にびっくりしました」
ただ、日本は国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に則って、5年間で100ミリSV、1年で20ミリSVを超えず長期的に1ミリSVを目指している。その基準値を守るのが妥当であろう。ここで明らかなのは、ICRPの非常に厳しい基準に照らしても、1ミリSVが一人歩きする日本の状況は行きすぎだということだ。
「除染予算を…」
福島よりはるかに激しい放射能汚染から立ち直り、幸せの町を作り上げた事例を知った浜通りの人々はいま、大きな夢を描いている。
「まず、5,000人から1万人規模の新しい町を目指します。子供やお年寄りのための素敵な施設も作ります。東京から車で3時間、すぐに戻れる地点に双葉郡はありますから」と、西本さん。
双葉郡8町村の首長も関心を示し始めた。東京五輪決定を受けて安倍晋三首相は1ヵ月で東京を五輪特区とする方針を決めた。西本さんは、同様に福島を「新しい町づくり特区」に指定してほしいと抱負を語る。
「マンション1戸のコストが約3,000万円として、2万戸で6,000億円、インフラ整備を入れて1兆円で2万人の町が出来ます。1ミリSVを基準に土の除染に約6,560億円の予算が組まれ、約4,450億円分が使い切れていません。本当に必要な除染はするけれど、このお金をもっと活きた形で新しい町づくりに回すことを考えるべきです」と奈良林氏。
HRNの人々は五輪聖火リレーが、彼らが植樹してきた桜並木の下や新しくつくる夢の町を巡って運ばれるように、いまから期待している。