「 金正日死去、果敢に拉致解決に挑め 」
『週刊新潮』 2011年12月29日号
日本ルネッサンス 第491回
北朝鮮の金正日総書記が死んだ。死亡は17日だったそうだ。以降の焦点の第一は、後継者とされる金正恩に政権を担う力があるかである。
シンクタンク国家基本問題研究所企画委員で東京基督教大学教授の西岡力氏は、金正恩政権は長続きはしないと予測する。
「2つの反正恩勢力が存在しています。まず、中国式の改革開放路線を採用して一党独裁政権を維持し、力をつけたいと考えている労働党及び軍の幹部を中心とする勢力です。
次に、北朝鮮政府が食糧の配給を停止した90年代半ば以降、自力で生活してきたいわゆる『市場勢力』です。国民の8割を占める市場勢力派がリビアやロシアで起きたような大規模な反正恩デモを起こさないという保証はありません」
金正恩政権が誕生しても、北朝鮮情勢が急変しかねないいま、注視すべきは中国と米国の動きである。中国の最大の懸念は、米国の朝鮮半島への影響力強化と北朝鮮からの難民流入問題だ。西岡氏は、北朝鮮と相互防衛条約を結んでいることを以て中国が、国際社会の中で唯一北朝鮮有事に際して出兵の権利を有すると主張してきたことを忘れてはならないと強調する。
いち早く手を打って米国の介入及び難民問題に先手を取りたい構えの中国を暴走させないためにこそ、米国と韓国は急変事態に備える政治的、外交的、軍事的準備を進めてきた。米韓、さらに日本にとっての緊急課題は北朝鮮による核兵器の拡散阻止である。北朝鮮の核兵器が第三勢力の手に渡ることは絶対に阻止しなければならず、日本は朝鮮半島を韓国主導で自由と民主主義体制の下に統一するために尽力すべきである。
同時に、最優先すべきは日本人拉致被害者の救出である。彼らの居場所の特定など、情報収集を米韓両国との協力で進めなければならない。拉致問題対策本部は特定失踪者をも含む、多くの人々に関する情報を収集してきた。米韓軍が北進する場合、日本政府の要員を同行させ、一連の情報を救出のために役立ててほしい。自衛隊の輸送機の派遣も米韓両国と打ち合わせる必要がある。
「すべてでっち上げ」
その際、拉致被害者は生きているという堅い前提を揺るがせてはならない。その点について、12月10日に東京で開催された国際セミナー「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」で、張哲賢(チャンチョルヒョン)氏が語った内容は説得力があった。
氏は北朝鮮の対南工作機関、統一戦線部の元幹部で、金正日に重用されたが、04年に脱北した。
「めぐみさんは精神的に不安定になって病院に入院し、自殺したとされました。しかし、北朝鮮側の主張は悉く辻褄があいません。なぜか。めぐみさんは死んではいないからです。生きている人の死を演出するのに、彼らの論理は余りに杜撰でした。
めぐみさんは対南工作機関が管理する外国人です。夫の金英男氏も韓国から拉致され、対南工作要員として働いた。2人とも対南工作機関に管理される外国人で、病気の場合、対南工作要員とその家族の専門治療機関、915病院に入るはずです。しかし、めぐみさんは49号病院に入ったと説明されました。それは北朝鮮の一般国民用の低水準の病院です。
事実なら、対南工作機関がめぐみさんの管理を諦めたことを意味しますが、あり得ないことです」
めぐみさんの死亡確認書も疑問だという。
「当初発表された死亡確認書の作成日は、めぐみさんの死亡日と同じ93年3月13日になっています。北朝鮮で死亡確認書が作成される理由は、家族のためではなく、患者を管理する住民登録機関、或いは担当の党委員会への報告のため、つまり、ひたすら当局の人民管理のためです。交通も通信も不十分で職員が慢性的に疲労している国で、死亡当日に死亡確認書を発給するほどの迅速な業務処理は特別な目的以外にはあり得ない。つまり、すべてでっち上げの可能性が高いのです」
国の制度全体が機能停止状態の北朝鮮で、死亡当日に届けが出され、確認書が作成されたなどとは考えられないという指摘は納得がいく。
氏は埋葬場所も疑問だと語る。北朝鮮は全土が国有地だ。山も平野も基本的に農耕地用で、個人が無闇にお墓を作ることは許されない。職員が死亡した場合、機関毎に墓地区域が指定されていて、めぐみさんの場合、対南工作機関の墓地である順安区域に埋葬されるはずだという。
「めぐみさんは病院後方の山に埋葬されたと彼らは当初、言いました。しかし病院周辺に墓を作ること自体、北朝鮮環境衛生法に違反する不法行為で、あり得ない。夫が後に遺体を掘り起こし、火葬したと説明しましたが、人を2回、埋めるのは2回殺すことだと考える北朝鮮の一般的通念上、これもあり得ない。また、北朝鮮の火葬場はせいぜい2ヵ所しかありません。労働党幹部でさえ、順番待ちでやっと火葬出来るのが現実です。それを、金英男氏の権限で火葬することなど出来ません。北朝鮮では遺骨を家に置くことも絶対にありません。金正日を神格化する余り、個人の偶像化、家族の死後、自分の家族を偲ぶという家族主義も許されないからです」
北朝鮮側がその後、めぐみさんの死亡日を93年3月13日から94年4月13日に改めてきたのは周知のとおりだ。めぐみさんが本当に94年に亡くなっていたとしたら、北朝鮮側は事実に基づいて、02年の日朝協議に向けて十分な戦略を練り上げただろうと張氏は推測する。
皆、生きている
「当時の北朝鮮外務省は、北朝鮮側が公に謝罪しなくて済む方法や日本から1兆円を超える資金を手に入れることに執心する余り、めぐみさん自殺説の構築に緻密さを欠き、13歳で拉致された少女が北朝鮮で自殺したという説明がどんな政治的衝撃を引き起こすかについて予測も分析もしなかったのです。このことは他の点についての北朝鮮の外交技術のレベルの高さからみると意外です」
金正日は常々日本についてこう語っていたそうだ。
「米国には、嘘も論理的につけば通じる。日本には、感情に訴えればすべて通じる」
張氏が続ける。
「金正日は日本人の特質をこう見ていたわけですから、めぐみさんが本当に亡くなっていたなら、高齢のお母さんへの同情を言葉にするなど、日本人の感情に訴える外交を試みたはずですが、その種の努力の跡は全く見られません。めぐみさんは死んでいない。生きている証拠です」
めぐみさんも有本恵子さんも増元るみ子さんも、その他の拉致被害者も皆、生きている。その人たち全員を救い出すために、野田政権は、この局面でこそ果敢に決断し、米韓両国と全面的に協力せよ。