「 国産クインスで原発事故収束を 」
『週刊新潮』 2011年6月16日号
日本ルネッサンス 第464回
6月7日、千葉工業大学で災害救助支援ロボット「Quince(クインス)」の東京電力への貸与式が行われた。原発事故処理に、日本製ロボットが初めて投入されるのだ。
千葉工大が無償貸与するクインスは重さ27キログラム、長さ66センチメートル、幅48センチメートルの自立走行型ロボットだ。瓦礫の山の上を走る能力は世界一、70度傾いても倒れないと評価されている。9日には同大学未来ロボット技術研究センターから福島第一原発に向けて搬出され、10日には3号機の原子炉建屋内に入り、放射能汚染水の水位測定器を原子炉建屋の地下に設置する。
現場にはひと月も前に、米国が無償供与したキネティック社の「タロン」やアイロボット社の「パックボット」が投入され、瓦礫の撤去や放射線量の測定を行ってきた。
ロボット大国日本の名に相応しい世界一の能力を備える「クインス」は、10日以降、3号機を手始めに原発事故現場で働くが、なぜ、こんなに出遅れたのか。クインスを開発した未来ロボット技術研究センター副所長の小柳栄次氏に聞いた。
「日本は99年の東海村の核燃料加工会社『JCO』の臨界事故のあと、30億円かけて原発用のロボットを開発したのですが、その後、法制度を改革し環境整備も行ったので、もう事故は起こらない、従って原発用ロボットは不要だとして、折角作ったロボットを放置したのです。この摩訶不思議な心理ゆえに、日本には事故発生時、対応出来るロボットがなかったのです」
しかし、事故から1週間、東電や政府からの依頼はなかったが、小柳氏らは準備を開始した。同大学常務理事の瀬戸熊修氏が語る。
「原発に入れるのはうちのロボットしかないと思いました。日本の技術に突きつけられた深刻な挑戦に打ち勝ってみせるという思いで、小柳先生らにその旨、伝えました」
「でも、新たな難問が…」
しかし問題は当初2つあったと小柳氏は言う。無線と放射能である。
「人間が入れない空間で作業させるには、ロボットに無線で、しかもかなり離れた場所から指示しなければなりません。私はそれを2キロと考えましたが、日本では2キロも飛ばせる無線機は法律で許可されていません。そこで総務省離島無線局の許可を得て大出力無線機のテストをしたのが3月下旬でした」
小柳氏らは台湾から大出力の無線機を購入し、大学屋上から幕張メッセ方向に飛ばす実験をし、成功した。ところがその無線は原子炉建屋内では全く機能しないことが判明した。
「4月13日に、廃炉のため運転停止中の浜岡原発1号機で実験したのです。無線は全く通らず、建屋内でのロボット操作は有線によるしかないとわかりました」
もうひとつの問題点、放射能について小柳氏は自らを「門外漢」と呼ぶ。そこで学内はもとより、東北大学の吉田和哉教授らの力も借りて、被曝がロボットの能力にどのように影響するか、調べた。
「被曝線量の累積値が上がれば、ロボットが劣化して、たとえば10年働けるはずが数時間で終わることもあり得る。内蔵のコンピューターメモリーは狂うかもしれない。ビット反転という、0101のメモリーが突然、0000とか1111とかになってしまうかもしれない、などと言われていました。そこで私たちは実際にロボットに内蔵しているシステムに放射線を当てたのです」
4月15日、小柳氏らは日本原子力研究開発機構の高崎量子応用研究所でロボットの頭脳システムに毎時20シーベルトを連続5時間照射した。計100シーベルトである。
原発現場で働く人々の放射線許容量は年間100ミリシーベルトだった。今回の事故で、基準は年間250ミリシーベルトに上げられた。ところがロボットが浴びたのは100シーベルトである。1シーベルトは1,000ミリシーベルト、100シーベルトは10万ミリシーベルトである。人間なら全員即死する値だ。
これだけ浴びても、ロボットは正常に機能した。5日後、同じ実験を行った。累積線量は200シーベルトになったが、深刻な変化はなかった。
「これで放射能問題も乗り越えられるとわかりました。でも、新たな難問が出てきました。湿度です。米国のロボットが入った際、建屋内は湿度100%近くで、カメラのレンズが曇り、動けなくなりました」
早速千葉工大の寮の風呂場でボイラーをたき、シャワー全開で実験が始まった。まず、レンズにワックスを塗った。次に水をはじくワックスを塗った。いずれも失敗だった。
「でもレンズをドライヤーで50度まで温めると曇らないことがわかりました。ロボット自体が発熱しますので、一旦温められたレンズは中々冷めず、ずっと鮮明な画像を送れます。けれど、カメラの内側にも水蒸気が浸入して曇ることがわかりました」
そこで今度はカメラ全体を真空パックにして問題を解決した。
頑張れクインス
クインスの瓦礫上を走る能力は世界一だが、念を入れて原子炉建屋と同条件の実験場を作った。瓦礫を積み上げ、測定器設置のために地下に降りる40度の急階段を水で濡らして滑り易い悪条件にした。階段の幅も原子炉建屋と同じ狭さにし、深夜、真っ暗な中でロボットを操作した。
この状況でロボットに課せられた作業は、まずケーブルを担ぎ、それを順次ほどきながら、原子炉建屋の入口から20メートルほど進む。そこから地下3~4階の深さまで狭く急な階段を降りる。このときもケーブルをほどきながら降りなければならない。踊り場で止まり、手摺りの6㌢幅の隙間から水位測定器を降ろす。底に着地したことを確認して水位を測る。作業を終えて、今度は階段を上る。このとき、水底に設置した水位測定器のケーブルを出す。同時に、自分への指示を送るための有線ケーブルを巻き取りながら、後ろ向きに急勾配の階段を上らなければならない。踊り場も階段も狭く、方向転換が出来ないのだ。
ここが非常に難しいところだったと、小柳氏は語る。現場でクインスを操作するのは東電の中堅社員だ。慣れていないために、一方のケーブルを巻き取り、もう一方をほぐしながら、後ろ向きに歩かせる操作が中々出来ないというのだ。そこで小柳氏らはボタンひとつでその全てが出来るソフトをすぐに開発した。
「クインスの図面は僕らが全て描いたんです。材料も全て調達し、ネジ一本に至るまで、部品ひとつひとつの重さ、素材、サイズ、すぐにわかります。設計すれば、皆で翌日から作り始めます。それで先ほどのボタンも図を描いて3日で作りました」
こうして漸く、ロボットも、操作する人間の準備も完成した。そしていよいよ出番である。多少出遅れたが、頑張れクインス、日本の誇る技術だと私は応援している。