「 分裂と漂流、アラブ世界の実態 」
『週刊新潮』’09年2月12日号
日本ルネッサンス 第349回
原油輸入で、日本が圧倒的に依存する中東情勢の展望が危機的なまでに不透明だ。日本は中東政策でも米国に頼ってきた。結果、日本の国益を軸にした中東外交の基盤は未だ確立されていない。日本の中東政策はいかにあるべきか。
中東調査会の大野元裕氏は中東で起きている“2つの分裂”を理解することが重要だと述べる。2つの分裂への理解なしには、イスラエルのガザ侵攻、イスラエルとハマスの戦闘の意味も理解出来ないという。
「冷戦当時、世界の大概の国と同じく、中東も非常に住みやすかったのです。冷戦が、米国のソ連に対する勝利に終わると、親米のイスラエルを除いて、ソ連側についていた中東諸国は、米国に擦り寄ろうとして翻弄され始めました」
なかでも反米と見做された国々は「非常に痛い目にあった」と氏は指摘する。イラクは潰され、リビアは謝罪し、レバノン、シリアは米国の厳しい監視や制裁を受けてきた。
「中東各国政府は、そうした変化のなかで、ソ連から米国へと、宗旨替えをしたのです。頼り甲斐がなくなったソ連を見限って米国寄りになるのは、国家の外交では合理的でも、生まれてこの方、アラブ民族主義や反イスラエル主義を信じてきた国民はなかなかついていけず、両者間の亀裂は致し方ありません。パレスチナも同様の宗旨替えをしました。パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長は、さすがに親イスラエルにはなりませんでしたが、米国の圧力を受け、米国流の中東和平策に乗った。また彼の一族は腐敗まみれだった。もろもろのことがいまのパレスチナ暫定自治政府のファタハにもつながっています。結果として、民心が離れていったのです」
政府と民衆、アラブの分裂
どのアラブ諸国もイスラエルとの一騎打ちでは到底勝てない。そこで彼らはアラブ民族主義を掲げて団結した。アラブ民族は国境を越えて文化文明を共有し、運命を共にする、イスラエルや米国と対峙し打倒されないためには、アラブの団結こそが重要だと、国民に教育してきた。にも拘らず、政府がいきなり方針を変えたのだ。おまけに政府には腐敗臭が漂う。民衆は怒り、政府への不信を強めた。政府と民衆の分裂の中で、民衆は非親米、非腐敗の勢力の台頭を求めた。結果として生まれた勢力のひとつがハマスだという。イスラム原理主義勢力のハマスは民衆のための教育や福祉を実施しており、それが支持拡大の理由のひとつだった。
アラブ世界のもうひとつの分裂は、まさにアラブ諸国間の分裂だと、大野氏は語る。
「中東から戻ったばかりですが、ハマスのナンバー2、アブー・マルズーク氏とも会ってきました。驚いたのは、彼が『アラブの分裂を勝ち取った』と語ったのです。僕は二十数年、アラブと付き合ってきましたが、アラブ分裂を喜ぶ声をアラブの政治家から聞いたのは初めてです」
パレスチナは、長年、アラファト議長が統治してきた。同議長は米国寄りの路線をとり始め、民衆は反発し、総選挙でハマスが勝利した。ところが、国際社会はこの結果を受け入れず、「より穏健な勢力」、つまり、より親米的なファタハのアッバス議長を支持した。
そうしたなか、ハマス側からの攻撃で始まったイスラエルのガザ侵攻を受けて、カタールの首都ドーハで行われたアラブ首脳会議が二分されたのだ。再び大野氏が語る。
「親米的なエジプトやサウジアラビアは欠席し、シリア、レバノン、カタール、イエメンなどの反米的で対イスラエル強硬派が出席し、明確なハマス支持とまでは行かなくてもハマス寄りの国々が中心になって、首脳会議を開催したのです」
欠席したアラブ連盟のムーサ事務局長は後日、ドーハでのアラブ諸国の分裂に関して「アラブの船が沈みかけた」と述べた。この分裂をハマスから見れば、民衆の声を無視し、間違った方向で団結していたアラブの、その誤れる団結が崩れ始めたという見方になる。
中東和平のため“口出し”せよ
アラブ世界の「2つの分裂」の結果、イスラム主義、過激主義、大衆迎合運動の3つの現象が生まれた。
「イスラム主義とは、頼れるのは、国ではなく宗教だという考えです。この考えは政府や現状への絶望から出発しており、パレスチナもエジプトもイラクもここに入ります。にも拘らず、イスラムの宗教指導者には腐敗した者が少なくないため、民衆の不満を吸収出来ず、大勢力になり得ないのです」
「2つ目はアルカイダのような過激主義。これは結論から言えば潰れていく宿命にあります。彼らはこう考えます。昔はヨーロッパよりも自分たちが優れていた。いま、彼らに圧倒されているのは、自分たちに力がないからだと。彼らは原理主義を究極まで詰めていき、その結果、自分たち以外を全否定し、本来なら仲間である人々をも攻撃するのです。その一例がアルカイダです」
第3の、民衆の不満の受け皿として生まれた迎合勢力の一例がハマスである。
「ハマスの政治目標は抵抗です。抵抗は、しかし、目標にはならない。大衆の支持があるとはいえ、彼らもどこかで、抵抗勢力を脱しなければ展望はありません」と大野氏。
オバマ大統領は元民主党上院院内総務のミッチェル氏を中東和平担当特使に任命した。だが、中東では、オバマ氏への期待は低い。大統領の首席補佐官に任命されたエマニュエル下院議員は、米国とイスラエルの二重国籍を持つ。氏の父親はイスラエル建国時のテロ組織「イルグン」のメンバーだと報じられた。オバマ大統領は、就任前から反米、反イスラエル勢力のテロリスト勢力と言われるグループとも直接対話をすると公言し、その点についての批判を打ち消すべく、イスラエル国籍をもつ人物を首席補佐官に据えた。この人事はイスラエルの不満を解消したが、中東全域での期待は冷めたのだ。
中東和平の進展はたしかに難しい。だが、日本はもはや、米国外交につき従うだけであってはならない。大野氏が提言する。
「少なくともパレスチナ問題に関しては、ハマスとの直接対話は厳に慎むことです。直接対話自体がハマスを認めることになりますから。同時に、彼ら抜きでの交渉は民衆を無視することになります。そこで、パレスチナ自治政府に、彼らがハマスを包含する形でイスラエルとの交渉に臨むよう働きかけることです。これは、方針さえ固めて努力をすれば、日本にも出来ることです」
冷戦後、アメリカに傾き、次にイスラムに傾き、いまやアラブの団結も崩れ去った。アラブ社会が漂流の時代に入ったいま、比較的中東で好感されている日本こそ、“口出し”をするのがよい。