「もう一つの薬害エイズ感染 医療界、製薬業界と闘った母子」
『週刊ダイヤモンド』 2008年9月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 756
世の中に母親ほど強い存在はない。最初の取材から10年以上が過ぎた山本栄さんと語っているとそんな思いになる。67歳、身長140センチメートルの栄さんは、重い病気を抱える末っ子の義則さん(32歳)とともに、病魔だけでなく医療界や製薬業界とも闘ってきた。
義則さんは1986年、満九歳のとき、東京・築地の国立がんセンター中央病院でガンの一種、悪性組織球症で骨髄移植を受けた。6年後の92年、栄さんに主治医が、義則さんがヒト免疫不全ウイルス(HIV)とC型肝炎ウイルス(HCV)に感染していると告げた。
「9歳の子どもがなぜ、HIV感染なのか、訳がわかりませんでした。でも主治医の説明はありませんでした」
義則さん自身が感染の事実を知るのはさらに4年後、杉並区の荻窪病院に転院したときだ。同病院の花房秀次医師は、病状の深刻さに驚いた。がんセンターでは、HIVの発症予防治療は、明らかに、十分には行なわれておらず、義則さんの免疫の数値は危険水域まで低下していたのだ。栄さんが語る。
「なぜ、義則はHIVに感染したのか。HIV感染にどんな治療をしてくれたのか。主治医も病院も説明があいまいでした」
以来12年間、義則さんの主治医を務めてきた花房医師は、診察を始めて、やがて、骨髄移植手術のときに米国由来の非加熱血液製剤が投与されていた可能性を疑い始めた。だが、がんセンターのカルテには、非加熱血液製剤投与の記載はない。がんセンター側はむしろ、骨髄移植の際の輸血が原因である可能性を指摘した。義則さんは日本赤十字社の献血血液と、知人ら8人のドナーの血液をもらっていた。
母と息子は8人の献血者に事情を説明し、協力をあおいで、全員がHIV陰性であることを突きとめた。残るは献血からの感染である。この点については花房医師が徹底的に調べた。献血血液で感染したと仮定すれば、その血液は、HIVに感染したばかりのドナーが献血し、抗体テストでウイルスマーカーが出てこなかった、いわゆるウインドー期間の血液である。
義則さんにそのウインドー期の汚染血液が輸血された可能性は、科学的にはゼロとはいえないが、その可能性は限りなく低いと花房医師は語る。
「どう高く見積もっても、数億分の一どころではなく、10の何十乗分の一というかたちで計算値が出てきます。輸血では(義則さんの感染は)科学的説明がつかないような事態なのです」
義則さんのHIVとHCVの遺伝子解析の結果は驚くべきものだった。10種類以上の北米型HCVの遺伝子型が義則さんの体内に存在したのだ。
「多人数の血液を混ぜて作った非加熱血液製剤で薬害エイズに感染した患者さんらとまったく同じ特徴です」
花房医師がこう語ったのは3年前の10月18日だった。その直後の10月27日、義則さんは、自分の感染は薬害だとして、HIV感染はがんセンターで起きたことを認めてほしいと裁判に訴えた。求めても、説明らしい説明が得られないために、投与記録なしで、あえて決断した訴えだった。
そして約3年後、がんセンター側がようやく責任を認め、9月5日、東京地裁で和解が成立した。栄さんが語る。
「国も国立がんセンターも、義則の感染はがんセンターで起きたと認めました。和解金は250万円。他の薬害エイズの患者さんらの4,500万円に比べれば少額です。けれど、義則も私も、なぜ感染したのかで、もう悩まなくてもよくなりました。病院はなぜもっと早く、認めてくれなかったのかとは思いますが、今、義則は新たな問題に直面しています。前向きに病気と闘っていくためにも、和解に応じたんです」
義則さんを支える栄さんは、笑みを絶やさない。この強い母と義則さんの闘いを、これからも見守っていきたい。