「短期集中連載・第2回 あえて言う“後期高齢者医療制度”は絶対に必要だ」
『週刊新潮』’08年7月10日号
日本ルネッサンス・拡大版 第320回
【短期集中連載・第2回】検査と薬漬けで「老人医療費」12兆円
人間誰しも平等に年をとる。年齢を重ねていくにつれ、身体の不具合も生じてくる。誰でも等しく75歳になる。だからこそ、問題だらけの医療の現状を変えなければならない。後期高齢者医療制度を、現状を変えていく端緒とすることが出来るのではないか。だからこそ同制度が提起している問題に正面から向き合うことが必要ではないか。
長年医療と福祉に携わってきたハンディネットワーク インターナショナル社代表の春山満氏が指摘する。
「今回の制度改革は医療における自己防衛、自己選択、自己責任がきちんと認識されるための大きな第一歩なのです。後期高齢者医療制度は従来型の医療制度の解体と対になっていることを忘れてはなりません。戦後日本の守られた環境の中で、歪な成長を遂げてきた医療制度の膿を出し切って解体しない限り、国民のための真の医療は定着していかないのです。私たちは、私たちの健康を守るとともに、子や孫の世代の医療、それを支える資産も守っていく仕組みを考えなければならないのです」
2005年度の統計で老人医療費は11兆6,400億円余りに上る。厚生労働省の統計では、ここ数年の老人医療費はほぼ同水準で推移してきたことになっている。だが、実際には高齢者の医療費はずっと増え続けている。
にもかかわらず、ここ数年、同水準が続いているのには訳がある。02年度の改革で「老人医療費」の「老人」の定義が年々変わってきたのである。「老人医療費」は02年度は70歳以上の人々に要した医療費だった。翌03年度は71歳以上、04年度は72歳以上というふうに毎年1歳ずつ基準年齢が上がったわけだ。
基準年齢を70歳に固定して統計をとり直すと、06年度で70歳以上の医療費は13兆8,000億円、全体の医療費の42.4%にのぼる。
「高齢者の医療費が増え続けている一方で、救急医療、産婦人科や小児医療が後回しになっているのが見てとれます。高齢者医療に歳出が特化しているのは、無駄な医療が多いことに加えて、医療と療養が分別されていないことも大きな要因です。米国も欧州も、医療と療養はきちんと分けています。両者の一体化が、日本の入院日数が欧米に較べて際立って長いという結果にもつながっていると思います」
春山氏はこう指摘し、高齢者にとって真に必要な医療の確立のためにも、後期高齢者医療制度が提起する問題から目を逸らしてはならないと説く。
取材を進めていくと、高齢者医療の現場にいる医師たちの多くが高齢者に施される医療の適切さを疑っているのに気づかされる。日々患者を診る医師たちが、高齢者医療の最前線に、天を仰ぎ、嘆息するような現実が横たわっていることを知ってほしいと語るのだ。
今回の制度改革が65歳以上74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と名付けて分類し、制度改革のターゲットとした以上、高齢者医療の実態把握と分析は、制度の是非を論じる上で、避けて通れない。
同制度は、増え続ける高齢者の医療費をこれまで負担のなかった一部の高齢者にも負担してもらい、同時に適切な医療を行うことが狙いだ。医療費の抑制は主目的のひとつではあるが、かといって、真に必要な医療を受けることが躊躇われる社会を招いてはならないのは言うまでもない。
『日本人の死に時』という著作の中で、〈病院に行けば安心と思うのは幻想〉と、挑発的に記した医師で作家の久坂部羊氏はいう。
「つまるところ、病院経営は、無駄であっても検査と治療をジャンジャンしないと成り立ちません。ですから、不必要な検査も、゛やっておきましょう〟となる。患者も゛その方が安心だから〟という理由で、検査を無批判に受け入れる。儲けのためと一時的な安心のため、病院側と高齢者のこの二つの要素が両輪となって、高齢者医療費を加速度的に増大させています。あまりにも無駄が多いのです」
氏は現在、在宅医療専門のクリニックに所属し、週に数日、高齢者の自宅を訪問するが、それ以前は病院勤務の外科医だった。
「当時は、目の前の患者のために最善を尽くすという思いが先走って、今から思えば無駄な延命治療をとことんやってしまうことが多かったのです。例えば、人工呼吸器をつけます。患者は苦しい。すると、苦痛を和らげる鎮静剤を投与して、意識レベルを落とす必要が生まれます。患者は朦朧とした意識の中で、喘ぎ続けます。そこで生じる問題を解決するためにさらなる治療が行われ、さらなるお金が掛かるわけです」
こうして積極医療の連鎖が無限に続いていく。莫大な費用が掛かり、患者の体はズタズタにされていく。
「私だけでなく同世代の同僚医師たちも、無駄だとわかっていながら、最後の思いを託して検査や治療をしていました。ベテランの先生になるほどそういう無駄は少なかったように思います。人間のなんたるかが、我々若い医師よりもわかっていたのでしょう」
無視される患者の声
新宿ヒロクリニックの英(はなぶさ)裕雄院長は、在宅医療の草分け的存在だ。在宅医療を始めたきっかけは、研修医としての体験だった。
「大学病院での研修医の経験で、自分が患者なら、或いは年をとったとき、こんな医療を受けたいと思うかと、よく仲間内で議論しました。『俺は嫌だ』というのが大半でしたね」
英医師が現在も鮮明に憶えている男性患者は釣りに行きたいと切望していた。
「心不全の患者さんでした。最期は昇圧剤、人工呼吸器、人工心臓で、何本もの管につながれ、結局、1~2カ月の集中的な治療の末に病院で亡くなりました。けれど、初期の頃はまだ歩けたのです。自宅に帰せるタイミングは確かにあったのです。何より、本人が釣りに行きたいと願っていました。で、大学病院での私は、この人に、釣りに行かせるための医療でなく、データを正常化する医療をしてしまった。負けの医療、つまり病院で亡くなることになると思いながら。93年前後の研修医の頃です。日本の医療は、患者を治療に引っ張りすぎている。『私はこう死にたい』という患者の声は無視されているのです」
「正常値」とは健康な20代や30代の人々の数値である。日本の高齢者医療は、老人とは身体状況が全く異なる若者たちを基準に構築されているのだ。例えば、血圧が160に上昇すれば、患者の年齢に関係なく降圧剤を打つ。75歳や85歳の患者に、それでよいのだろうか。英医師が語る。
「20代や30代の数値を基にして、160の血圧は高すぎると判断し、降圧剤を使うのは、20年後、30年後の心筋梗塞や脳梗塞といった『心血管イベント』のリスクを下げるためなのです。75歳や85歳の方々に、20年後、30年後の健康を優先して血圧を下げることの意味を、日本の医学では考えてこなかった。高齢者は血圧を下げると貧血になりがちです。結果、転倒リスクが増える方がよっぽど危険です。また、元気がなくなり、食事が進まなくなる危険性もあります。その方が、患者にとっては余程有害です。医師や製薬会社はそのような情報は出さない。若い世代を基準にしたいわゆる正常値とされる数値に近づけないリスクだけを強調することになります。つまり、医療界に飛び交っている情報は一方に偏りがちなのです」
老人専門の総合病院「浴風会病院」に勤務した経験から『間違いだらけの老人医療と介護』という著書を書いた精神科医の和田秀樹氏は、後期高齢者医療制度は必要だとしながらも、同制度も含めて、日本の医療制度は高齢者の身体機能について理解することなく制度設計されてきたと批判する。
「浴風会の調査データによれば、高齢者の体には不思議なことが多いのです。たとえばコレステロール。東京都で70歳の老人の追跡調査をしたところ、正常値よりも少し高い人が結果的に長生きしています。また血糖値も、そんなに下げなくてもよいという調査結果があります。加齢で脳内血管の壁が厚くなっているために、血圧や血糖値がある程度高くないと、脳に酸素や糖を届けられないのです」
氏は、高齢者は肝臓の機能が低下し、飲んだ薬を分解する能力も低下すること、さらに腎臓の機能も低下し、薬を排泄する能力も低下することを、医師たちはまず知るべきだと言う。
「薬を飲むと血液に溶け込み、大体10分から30分ぐらいで血中濃度がピークに達します。このピークに達した薬が、肝臓で分解され、腎臓で濾過されるのです。だいたい数時間後に、血中濃度の半減期を迎えます。この半減期に薬を飲むと、血中濃度を一定に保ちやすくなるため、そのタイミングで飲むよう処方します。ただ、お年寄りは機能が低下しているわけで、もっと時間を空けて薬を飲めば良いのです。ところが、若い人が1日3回服用する薬を、肝臓や腎臓の機能低下を踏まえて、1日2回や1回にするという診療はなされていません」
「寝たきり年数」世界一
こうした事例から見えるのは、高齢者医療における病院経営上の利益主義、高齢者の身体状況への無知の上に成り立つ゛正常値〟絶対主義、そして本人の意思を無視した患者不在。これらの上に、現在の高齢者医療が成り立っているのだ。
春山氏は、一人の患者を継続して診る掛かりつけ医が少ない日本では、高齢者の診察も部分部分で行われると強調する。
「お年寄りは、動悸がするといえば心臓を診察され、汗をかくといえば皮膚科、眠れないといえば、神経科に掛かります。バラバラの治療で別々の薬が処方され、20種類37錠もの薬を処方されたというデータさえあります。これを全部服用したらどうでしょうか。体は潰れてしまいます。濫用されたり、飲まずに捨てられたりする薬だけで、年間2,000億円から5,000億円も掛かるという試算もあります」
氏はかつて民間の介護保険商品を開発したことがある。その調査で導き出された数字は衝撃的である。
「東京都での調査ですが、初期の要介護から死に至るまで、平均年数は5年を超えています。寝たきり要介護の年数としては世界一の長さでした。日本では、なぜこれほど寝たきり状態が長く続くのか」
患者の全体像でなく、タテ割り診療の部分で見るからだ。氏は、それを中古車にたとえて語る。
「お年寄りは山あり谷ありの人生を走り続けてきたという意味で、中古車と一緒です。一部だけを修理すると他の部品に無理が掛かります。バッテリーだけをスーパーカーのものと交換すると、エンジンに過大な負荷が掛かります。エンジンを直せば、次はタイヤに大きな負担が生じます。このイタチゴッコが高齢者医療なのです」
全国社会保険協会連合会の伊藤雅治理事長は、元厚労省老人保険課長として、20年前、老人医療改革に関わった。その当人が診療報酬が出来高制だった当時の老人医療は「ひどかった」と語るのだ。
「点滴や薬を出せば出すほど医師の収入につながり、病院に行く必要がない健康な老人が、不必要な薬の乱発によって、寝たきり老人にさせられてしまう。本来の医療とは正反対の状況でした。その後、包括制も選択できる診療報酬に変更したら、寝たきり老人が自分の口で食べ、自分の足で歩き、見る見るうちに元気になった例を、数え切れないほど見てきたのです」
正常値崇拝の罪
だからこそ、患者を一人の人間として全体像でとらえることの出来る掛かりつけ医が必要だと、春山氏は再度強調する。掛かりつけ医と病院での治療の相違は何か。英医師の経験で見てみよう。たとえば、高齢者がむせて、気管に異物が入り、肺炎になった場合だ。
「病院では抗生剤を使いながらCRPという炎症反応を示す数値が陰性になるまで、1週間ほど患者さんの食事を一切、止めるでしょう。数値が正常化した段階で、再び生活を組み立てようという診療方針を採るのが定石です。しかし、もともと嚥下障害を持っていた患者さんに、1週間も絶食をさせると、中々、食事をする能力を回復出来なくなる。それでも家族の手厚い介護がある方は、それから長い時間をかけてリカバリー出来るかもしれませんが、そのようなバックアップが期待出来ない家庭の場合、そのまま療養型病院を転々とする生活になることはよくあるケースです。在宅医療で掛かりつけ医として、私がどうするか。これは決して一概には言えないことですが、CRPを正常値に近づけるために1週間の絶食という方法は、少なくとも採らないのではないかと思います。患者が暮らしていく能力、これを私たちは社会的能力と呼びますが、その能力を落とさないようにすることに注意を払いながら、治療を進めていくと思います」
実は、食事を自力で食べられるかどうかは、患者にとって大きなターニングポイントなのだと氏は強調する。多くの場合、自力で食事が出来なくなる時期と、患者の自己意思決定能力が失われる時期が一致するからである。肺炎治療のための絶食が、社会性を失うか維持するかの岐路ともなるのである。だからこそ、正常値と、その人の能力保全を秤にかけ、より大切な要素を選ぼうとするのが掛かりつけ医だと、英氏は語る。正常値崇拝は、タテ割り医療の中の専門医の領域だと言い切る。
後期高齢者医療制度は多くの論点を提示したが、この内のひとつがこの掛かりつけ医制度の提唱だった。英氏は、同制度を人間のあり方、医療のあり方、社会保障のあり方を問い直す良い機会だと思ったと、高く評価する。
掛かりつけ医の必要性も認識出来ず、高齢者医療の研究でも欧米に較べて一周も二周も遅れているのが日本の現実だと厳しく批判するのは、春山氏である。
「世界一の高齢化国家であるにもかかわらず、日本には老人医療を教える大学が殆んど存在しないのです。だからこそ、70歳以上の医療費が全体の40%以上を占めながら、適切な治療も施されない。私は、これまで海外の高齢者医療や福祉の実態を見てきましたが、『なぜ、日本の病院は poorly functional な病院ばかりなのか』と質問されました。なぜどこも機能しないのかということです。診療対象のお年寄りの研究が遅れているのは、日本の医療界の知的怠慢です。加えて、日本の問題は医療と介護の混在にあります。病院は病気を治し患者を自宅に戻すための場所です。しかし、病気が治らないのを知っていて、療養型病床で死ぬまで暮させているのが現状です。病院が準特養になっているのです。両者を仕分けしたうえで、日本の医療予算は、実はもっと増やしていく必要があります」
高齢者医療の現場は問題だらけである。私たちがよりよい医療を築こうとするなら、なによりも、戦後の医療制度の変遷とその失敗を分析することが必要なのである。