「 ならず者国家が横行する世界 」
『週刊新潮』'07年12月13日号
日本ルネッサンス 第292回
12月19日には、盧武鉉大統領に替わる韓国の新大統領が選出される。最有力候補が前ソウル市長の李明博氏であることに変わりはないが、熾烈な選挙戦ではなにが起こるか、最後までわからない。また、新大統領の北朝鮮政策によって、拉致、安全保障を含む日本の国益は大きな影響を受ける。それだけ朝鮮半島情勢の読み方が重要になる。
今年出版された『対北朝鮮・中国機密ファイル』(欧陽善著・富坂聰編、文藝春秋)は、北朝鮮、中朝関係、韓国、さらにはアジアのなかの日本への、彼らの見方を理解するうえで極めて役に立った。
『機密ファイル』は文字どおり、中国政府中枢部の握る機密情報を書いたものだ。中国共産党の現役官僚を中心とする複数の官僚が「欧陽善」というペンネームで書いたのが同書である。北朝鮮と中国の暗闘の歴史の詳細は、真に驚くべき内容だ。同書は、具体的かつ詳細な事例をあげて、昔も今も変わらぬ北朝鮮の徹底した中国嫌いの実態を抉り出している。
たとえば、1950年6月25日に北朝鮮の攻撃で始まった朝鮮戦争の勃発を、金日成は毛沢東には知らせず、毛はそのことを外国の新聞のニュースで初めて知ったという。それから56年後の2006年7月のミサイル発射実験を、金正日は父親同様、中国に全く知らせることなく行った。10月9日の核実験は、一応、事前通告はしたが、それは実験の、わずか20分前という切迫した場面でのことだった。その結果、胡錦濤国家主席らが北朝鮮の通告を知ったのは、核実験直後だった。
中国嫌いは南北両朝鮮が共有する想いだ。前ソウル市長の李明博氏はソウルの中国語名「漢城」を首爾に改名した。韓国政府は80年代から漢城は中国人が勝手につけた植民地主義的命名だとして変更を申し入れていた。中国側は応じなかったが、韓国側はさっさと変えてしまったわけだ。
南北朝鮮に譲歩する中国
では、中国嫌いを鮮明にする南北朝鮮に、中国はどう対処してきたか。触らぬ神に祟りなしとばかりに、終始及び腰だったと、「欧陽善」は強調する。とりわけ北朝鮮との関係は、中国の一方的譲歩によって成り立ってきたとまで、分析する。
そのことは、歴史問題にも思わぬ影を落としている。抗日戦争のとき、日本軍に編入された朝鮮人兵士は日本人兵士より〝凶暴〟だったが、戦後の愛国教育のなかで、中国は朝鮮の罪を不問にし、日本だけを責めたというのだ。それだけ朝鮮半島に対しては〝遠慮〟しているというわけだ。
中国の北朝鮮に対する譲歩は領土についても同様だという。金日成ゆかりの聖地とされる長白山は元々中国領だった。北朝鮮が「朝中友好の大局」を楯に北朝鮮に移譲してほしいと要求したとき、毛沢東は長白山の分水嶺の東側の三つの峰と、その頂上にある天池の半分を、気前よくプレゼントした。すると北朝鮮は間髪を入れず、黒龍江省の一部、吉林省の大部分と遼寧省の全てを要求した。中国は直ちに断ったが、日中関係のなかで、日本の領土や排他的経済水域をあくまでも中国領だと主張する対日強硬姿勢の中国が、北朝鮮の前では、姿を一変させているのが興味深い。
北朝鮮の不法、不誠実な手法ゆえに、貿易、投資においても、中国は常に〝被害〟を被ってきたと同書は主張する。その結果、中国商務部(省)は、北朝鮮取引きで騙されないための警告書を作成した。そこには、具体的に北朝鮮の騙しの手口が書かれているが、よく読めば、これらの手口は、日本人や日本企業が中国投資で騙される中国式手法そのままなのである。
では中国は、中国が騙され続け、それでも譲歩し続けてきた厄介な相手の北朝鮮をどのように分析しているのか。中国最高レベルの軍事大学である国防大学は、旅団長以上もしくはそれに準ずる軍事参謀、もしくは高級軍事研究者しか入学が許されないエリート養成施設だ。同大学が核を保有した北朝鮮を分析した。結論は、「中朝間の軍事的衝突は不可避」「中国は朝鮮との戦争に備えなければならない」というものだった。
国益のための敵情分析とは
北朝鮮の核は韓国の朝野の支持を得ているのであり、それは将来、中国及び日本と対等に渡り合うための切り札と位置づけて、朝鮮半島情勢の推移に並々ならぬ警戒心を抱いているのだ。
核をもった北朝鮮が脱中国化を進めるいま、中国が「親朝反米」路線をとることはあり得ず、むしろ米国と連携して北朝鮮を抑制することが得策だと結論づける。だが、このような中国の思惑とは反対に、2006年以来、米国と北朝鮮の緊密化が進んでいるのも事実である。
中国の朝鮮民族に対する思いは、北に対するそれと南に対するそれとでは本質的に異なる。「なぜか韓国に対しては嫌悪感と軽蔑の感情」が先立つというのだ。92年に中韓国交が樹立され、両国関係は改善されたにもかかわらず、中国人の心は韓国から離れていくと、次のように書かれている。
「韓国人に対しては、最初こそ強い親しみを抱くが、その国を知れば知るほど嫌悪感に変わっていく」と。
同書で分析される日本及び、日本人像も興味深い。たとえば、韓国人に対するのとは対照的に、中国人は当初は日本人に「非常に悪い印象を持つ」が、日本に少し滞在すると、印象は「だんだん良いイメージに変わり、ついには感服へと変化する」というのだ。
しかし日本は、「アメリカに追随し過ぎ」で、「独自の判断も行動もできない」と決めつける。日米同盟の限界をも冷静に分析して同書はこう書いている。
同盟国であっても、所詮は国家戦略という基盤の上の一コマにすぎない。「日本人拉致事件」が米国で起これば、米国は軍事行動を起こし、第二次朝鮮戦争になっていた。だが日本には「その力はない」「そうした発想をする政治家もいない」「日本の政治システムもそれを許さない」と、半ば以上、冷笑する。
安倍晋三氏への分析も辛辣だ。安倍政権は「金正日のお蔭で誕生した」政権だとし、氏の対北朝鮮強硬策は「中途半端な強硬」にすぎず、効果もうすく、日本単独で拉致事件を解決するのは難しいと見る。
結局、日本は、極東アジアの外交舞台でも力を発揮することはできず、単なる傍観者にすぎないと分析しつつも、中国の国益はその日本を米国から離反させ、中国側に取り込むことによって達成されると結論づけている。敵に打ち勝つには、現実を見ることと、〝敵〟の心の内を正確に読みとることが肝要だ。そのための貴重な一冊だといえる。