「 何も変わらない、調整型政治 」
『週刊新潮』'07年10月11日号
日本ルネッサンス 第283回
「花も実もない所信表明」……それが10月1日の福田康夫新首相演説への感想だ。ついでにいえば、新味もなく夢もない。気概も気迫もないという印象だ。
「自立と共生」が福田内閣の基本理念だそうだが、小沢一郎民主党代表が「その言葉はボクが20年前から使っていた」「口先で言ってもだめだ」と牽制したように、必ずしも福田首相自身の発想ではない。
福田首相が、小沢氏の言う民主党の「専売特許」を゛借り〟たのは、福田氏の政治手法を見れば或る意味、当然と思える。首相は、自分の考えを持ち、それに基づいて政治を行うというより、他者の考えや目標に基づいて調整するタイプだからだ。
その際に目指すもの、それが恐らく「自立」であり、「共生」なのであろう。だが、自らの政権の性格を表現する言葉さえも、首相は言い間違えたり、忘れたりするのである。どこまで本当に自分の信念なのか、疑問を抱かざるを得ない。
それにしても首相の言う「自立」とは一体、何か。日本が必要とする自立は、国民個々人、地方自治体、国家のそれなど、多岐かつ全面にわたる。
たとえば、農家について、首相は「攻めの農政」と表明した。「担い手の頑張りに応える支援」を行い、「高齢者や小規模な農家も安心して農業に取り組める環境」を作り出すという。小沢民主党の農家に対する戸別所得補償制度を念頭においた発言ではあるが、矛盾も見えてくる。
「攻め」の農政と言いながら「支援」と言い、高齢者、小規模農家への配慮を強く滲ませる。農業を主な生活の手段とする基幹的農業従事者の平均年齢は64.2歳。65歳以上が約58%を占める。高齢化が進み、後継者も減少するばかりだからこそ、日本の農業を辛うじて支えている農家の現状に配慮するのは当然だ。
だが、小規模農家をそのままの形で維持し、そこに「支援」を注入することで問題が解決されるわけではない。耕作されずに放置されている遊休農地は現在39万ヘクタール、年々増加する一方だ。これらの農地をどのように活用していくかなど、農業政策を根本から見直したうえで、合理的かつきめ細かい施策が必要だ。
首相の言う「支援」が、自民党の今までの政策のように、そうした大目標を欠いて行われるとすれば、間違いなく、ただのバラ撒きになる。自立は達成出来ず、依存のみが高まっていく。首相の所信表明では、残念ながら、旧来の自民党の政策を越えて農業を再生していく可能性は全く見えてこない。未来ある農家の自立を促すのは到底無理だということだ。
「自立外交」を放棄
では国家の自立についてはどうか。
福田首相は所信表明で安倍晋三前首相の掲げた憲法改正にも集団的自衛権の研究にも、全く触れなかった。町村信孝官房長官は「『憲法改正はどうでもいい』という、いい加減な考えではない」と説明した。
しかし、信ずるところを表明する所信表明で一言も触れないのは、その事柄に重きを置いていないからではないのか。
憲法改正も集団的自衛権も、新しい姿勢を打ち出さないのは、現状をそのまま受け容れ、戦後体制をこれからも続けるということだ。゛事実上、米国の被保護国〟と言われる状態を甘んじて受け容れ続けることだ。
自立する気概のない政権に難問解決など出来るのか。拉致問題を自分の手で解決したいと述べた首相は、金正日総書記という厄介な指導者に対して、「拉致被害者の一刻も早い帰国を実現」したうえでという前提条件をつけて、日朝国交正常化を図ると、いとも容易く述べている。「拉致問題の解決なくして国交正常化はあり得ない」と主張してきた前政権とは対照的だ。
首相の言う「拉致被害者の帰国」とは具体的にどんなことを指すのか。
「特定失踪者問題調査会」によると、拉致の可能性が否定出来ない失踪者は約470名にのぼる。福田氏のつけた前提条件は、日本政府が現在も、拉致事例だとは正式に認めていない特定失踪者を含めての帰国なのか、それとも政府が認めた残り12名のことか。首相の言葉は曖昧である。
北朝鮮の外交の特徴を有体に言えば、その場その場の騙しの術の巧みさである。どんなに条件を詰めたと考えても、彼らは新たな要求を繰り出し、それ以前に詰めた条件を御破算にするのである。この種の常套手段を見せつけられてきたからこそ、安倍政権は対話の余地を残しながらも、圧力を前面に押し出した。敢えて対話と国交正常化交渉を前面に置けば、その瞬間から日本の立場や主張は切り崩される。これでは自立した国家の外交とは言えないのである。
「圧力」の必要性を知れ
福田政権が直面するのは、首相の得意とする゛調整〟では御しきれない極めて流動的な国際政治だ。首相が意欲を燃やす北朝鮮外交は、とりわけ大きく変わりつつある。不確定要素も多い。
たとえば、米国の方針転換を窺わせる米朝接近である。米朝関係が密になりつつある点については9月13日号の本欄でも報じたが、昨年10月に米国側が北朝鮮に、核を放棄するなら平和条約締結の可能性もあると伝えたといわれ、金正日総書記が「韓国以上に親密な米国のパートナーになる」と応じたとの情報もある。事の真偽はともかく、金総書記は一応、原子炉を止め、プルトニウムの生産を止めた。
そこで、この事態をどう読むかである。金総書記が、自分の命綱である核兵器製造の道を、部分的であるにせよ、諦める気配を見せたのは、米国のパートナーになりたいためか。そうではないだろう。彼にとっては、生き残りのためにはその方法しかなかったと見るべきだ。つまり、米国の金融制裁と日本による厳格な法執行が、政権を崩壊させるほどの威力を発揮することを認識したうえで打った手だと思われる。
周知のように米国によるバンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮口座の資金凍結の効果は、2,500万ドルという少額資金の凍結にとどまらなかった。北朝鮮との取り引きを理由に、BDAはマネーロンダリングの主な懸念先と見做された。それは国際社会での資金運用、決済が不可能になることを意味する。北朝鮮と関わりがあるとされれば、どの銀行も同じように疑われ、国際業務は機能停止に追い込まれる。銀行は事実上潰れるわけだ。その結果、金正日を相手にする銀行はなくなり、金正日は全く資金を動かせなくなったのだ。
北朝鮮の態度の変化をもたらしたものは、こうした米国の圧力であり、日本の圧力だった。細かに見ていくと、物事を動かすには力が必要なことがわかる。難問解決には、右と左の意見を聞いて調整する前に、日本の主張を基にした、理性的な゛圧力〟こそが必要なのだ。