「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」
日本ルネッサンス 第246回
2006年も多くの取材をした。そのなかでも、10月18日に東京市谷で会った梅澤裕氏は今後の日本のあるべき姿を物語るうえでも、印象深い人だった。
氏は12月21日で90歳になった。祖父、一直は日清戦争の騎兵、父、英彦は日露戦争の軍人だった。父は陸軍士官学校16期生で、板垣征四郎、土肥原賢二、永田鉄山らとは自宅を訪れ合う仲だった。
「本当にすばらしい軍人ばかりで、私は幼い頃から、父たちのような立派な軍人になることを夢見ていたのです」と梅澤氏は語る。
その声は力強く、椅子にかけた背はまっすぐだ。鍛錬を重ねたであろう往時の軍人の姿が思われる。
第二次世界大戦中の昭和19年9月、氏は少佐として沖縄慶良間列島の座間味(ざまみ)島守備隊長に着任した。
「沖縄に到着し、軍司令官の牛島満中将に挨拶し、座間味島に向かいました。敵が泊地にするのに適った地形の島で、私は山の側面に穴を掘り、壕の中に船、爆雷、兵器、食糧を隠させました。島の人たちは純真そのもので、若い兵隊たちを大事にしてくれました」と氏。
戦局は激しくなり、米軍の日本攻撃は熾烈さを増す。沖縄への艦砲射撃も同様だ。梅澤隊長は彼我の圧倒的な戦力の差を実感、「ベテランの軍人」として日本の敗北を悟った。
いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。
助役の宮里盛秀氏が言った。
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」
梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。
だが、宮里助役は続けた。
「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」
「そんなことは出来ない」と梅澤氏。
「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。
「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」
梅澤氏は諭して、5人に言った。
「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」
翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。
汚名を着せられた人生
寝耳に水の報道が梅澤氏を襲ったのは、戦後暫く経ってからだった。
「昭和33年の『週刊朝日』を読んで、私も家内も仰天しました。座間味島の住民は梅澤隊長の命令で自決させられたとの記事が、無残な写真と共に報じられていました。家内は精神的にどん底に落ち、私は同期生や軍人の団体にも連絡して、報道が事実無根であることを訴えました。しかし、時代は全て、軍が悪い、軍人が悪いという見方に塗り潰されていましたから、私の反論は誰もとりあげてくれませんでした」
“梅澤隊長命による住民の集団自決”は、家永三郎氏の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉両氏の『沖縄問題二十年』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって喧伝され、「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。ノーベル平和賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は1970年の出版以来、49版を重ねている。
この間、氏の家族は、濡れ衣に苦しんだ。梅澤氏は幾度か職場を変え、夫人は息をひそめて暮らし、子息は都会に住むのを嫌い、人と会わなくて済む地方に移り住んだ。
だが、転機はやってきた。戦後40年目の昭和60年7月30日、「神戸新聞」が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」と報じたのだ。大江氏ら“権威”が植えつけた悪しき軍人のイメージが全面否定されたわけではなかったが、それでもこのどんでん返しが梅澤氏にとってどれほど嬉しかったか。それにしてもなぜ、真実は語られ始めたか。梅澤氏が驚くべき経緯を語った。
戦後、全ての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は烈しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請したとき、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍によって自決命令が下されたという理由づけだった。
生きるために事実無根の話が創られ、梅澤氏への根拠なき非難が一人歩きを始めたのだ。それを調査せずに喧伝したのが大江氏らである。
歴史の真実を語った女性
一方、梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。
「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」
梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。
「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」
彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。そして梅澤氏は「一番気の毒なのは故里が戦場になった沖縄県民」だと語る。
その後梅澤氏は、大江氏らの著作の出版・販売・頒布の禁止を求める訴えをおこしたが、大江氏はまだ一度も出廷していないそうだ。
日本人は戦後、戦争を反省する余り、軍に関するもの全てを悪と見做してきた。その偏った心理のなかで、梅澤氏の悲劇が生まれた。この歪んだ戦後体制からの脱却を目指すというのが安倍晋三首相である。真に戦後体制から脱却し、新しい日本を創るために、より多くの真実を探り出し、虚心坦懐、歴史の真実と向き合いたい。そして一日も早く、高齢の梅澤氏の訴えに正しい判決が出てほしいと願うものだ。
宮中歌会始と「しきしまの道」の伝統
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トラックバック by 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN — 2007年01月19日 10:15
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日本の理論武装は大丈夫か~歴史の改変には実証的研究で対抗を~
日中外相会談 歴史共同研究は08年中の成果目指す
(産経新聞)
麻生太郎外相は16日午前(日本時間同日昼)、中国の李肇星外相とハノイで…
トラックバック by クルトの葉隠な日々 — 2007年01月19日 20:26
部落解放同盟の反対で国旗を揚げられない学校
『極右評論』、『きち@石根』、『老兵の独り言』など多くのブログで福岡県の不公正乱脈同和行政を取り上げていただきまして有り難うございました。
筑紫…
トラックバック by なめ猫♪ — 2007年01月19日 20:27
愛国的投資とは何か(3)〜外人投資家の手口と対策
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東京支部長 藤田 達男
関連記事「愛国的投資とは何か(1)〜祖国の繁栄に賭けよう」
(http://pri…
トラックバック by 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN — 2007年01月20日 09:58
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沖縄の声を騙る被告らの自滅〜「そこにあるのは愛であった。」(渡嘉敷戦跡碑文より)
沖縄集団自決冤罪訴訟第7回口頭弁論(1月19日)原告準備書面(6)の要旨をお送りします。
もとの準備書面は今回も51ページに及ぶ膨大なものです。
…
トラックバック by 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN — 2007年01月21日 09:53
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マスコミ報道は自民党・日本叩きが目的なのか
最近、事務所費の問題等が話題になっていましたが、朝鮮総連と民主党、旧社会党との結びつきはあまりマスコミは大きく報じませんね。
要は自民党を叩くと…
トラックバック by なめ猫♪ — 2007年01月22日 11:29
そのまんま東が東国原英夫宮崎県知事になった
【筆者記】
選挙は勝ってなんぼ、負けてはこれからの戦(いくさ)が出来ません。本日はこの宮崎県知事選について書きたいと思います。もしかするとと思っていました…
トラックバック by 訳わからん このシャバは — 2007年01月22日 19:22
いじめ調査に非協力指令を出した北海道教組
今朝の「朝ズバッ」をご覧になられた方は多いかと思いますが、読売新聞がスクープしたいじめ問題への北海道教組の調査拒否戦術はさすがの左翼よりのTBSでさえ、…
トラックバック by なめ猫♪ — 2007年01月24日 10:03
北海道日教組の反国家運動
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【筆者記】
子供が親より先に天国に逝ってしまう、親としてこんなむごいことはあ…
トラックバック by 訳わからん このシャバは — 2007年01月24日 18:57
教育再生会議の1次案答申
教育再生会議の1次案答申の発表された。案の定各方面からの反対、批判、冷やかな反応が新聞紙上で報道されている。<<答申に対する関係者の反応>>自民党の文教族…
トラックバック by 無党派日本人の本音 — 2007年01月26日 05:37
62年間捏造(つまみ食い)報道され続けた戦陣訓の真実
軍人が敵の捕虜になる場合は、投降(戦時下の降伏と、終戦のための降伏)と負傷(戦時下)により捕虜になる。 気を失ったり、動けない負傷者までもが捕虜にならず…
トラックバック by 真実史観 — 2007年02月19日 00:03
3月31日 『沖縄集団自決』論 - 教科書検定
【 朝日新聞 】
集団自決―軍は無関係というのか
イラク特措法―派遣の延長に反対する
【 産経新聞 】
沖縄戦 新検定方針を評価したい
自衛隊派遣延長 イ…
トラックバック by 社説読み比べ — 2007年03月31日 06:37
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−1
慰安婦の一連のエントリーが一段落したので、しばらくは「やまとことば」など、まったりとしたエントリーを書こうかなぁー、と思っていたのですが、沖縄集団自決につ…
トラックバック by 考察NIPPON — 2007年04月02日 03:25
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−2
昨日のエントリーでは、朝日新聞の記事が印象操作的だったことに触れましたが、今回からは、「母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」から引用し…
トラックバック by 考察NIPPON — 2007年04月03日 07:42
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−3
前回のエントリーは、勉強しながら今までブログに書いてきたことを、全部ひっくるめたような内容となり、書くのにかなり力を入れた内容となりました。そのせいか、ア…
トラックバック by 考察NIPPON — 2007年04月05日 13:44
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−5
このエントリーは、以下の続編となります。- 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−1- 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−2-…
トラックバック by 考察NIPPON — 2007年04月08日 23:27
おきなわ情報検索[なんくるないさ]
沖縄関連ブログを検索しました、私のサイト→沖縄の情報検索サイト【 http://okinawa.logomoco.com/ 】です、是非TBしていただけな…
トラックバック by おきなわ情報検索「なんくるないさ」 — 2007年07月11日 04:21