「 人口調査や研究書でも検証 ほぼ完璧に否定されている南京での“三〇万人虐殺” 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年7月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 598
先週の当欄で、韓国元首相金鍾泌(キムジョンピル)氏の発言に触れた。氏は、日本軍は南京で30万人を虐殺した、南京の人口は1937年、38年当時、60万人いたのが、日本軍の30万人虐殺のせいで30万人に減ったのだと憤ったのだ。
6月20日、折しもソウルでは日韓首脳会談が行なわれ、盧武鉉(ノムヒョン)大統領は2時間の会談時間のうち、1時間50分を歴史問題に費やし、日韓両首脳の共同発表後の晩餐会に関しては、「夕食は軽めにする」と述べた旨、報じられた。首脳会談がいかに激しいやり取りに終始し、冷え切った雰囲気であったかを示す発言だ。
日韓の摩擦の原因とされている歴史問題に関して、事実にそぐわない認識を持ち、その認識を政治的に利用する風土はまったく変化していない。韓国も中国も、日本を責めるために、歴史を歪曲し続けてきたのは否めない。その一例が、まさに金元首相の指摘した数字である。
37年12月13日に日本軍は南京を占領した。このあと3ヵ月間続いた占領期間に、日本軍は虐殺に続く虐殺を続け、30万人を殺害したというのが30万人説の基本だ。
その数については長年、議論が続いてきた。だが、ここ数年間に発表されたいくつかの研究書によって、30万人説も大虐殺もほぼ完璧に否定された。それらの研究書は、鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)や北村稔氏の『「南京事件」の探究』(文藝春秋)などである。いずれも、中国側の資料を読み込んで物したものだ。南京大虐殺だといって日本を非難する中国側の資料を研究することで、皮肉にも、彼らの言う南京大虐殺が存在しなかったことが明らかにされたのだ。
北村氏は著書で、米国人スマイスの報告を検証した。スマイスは、日本軍の大虐殺を確定するための証言や資料を提供した人物の一人だ。
37年当時、金陵大学の社会学教授だったスマイスは統計に通じた人物だった。そのスマイスは、37年12月12日から13日当時の南京の人口を「20万人から25万人」と報告していた。翌38年3月にスマイスが行なった調査結果では「22万1,150人」とされ、以下のように書いてもいた。「この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表しているものであろうし、住民の中には調査員の手のとどかぬところに暮らしていたものもあった」(『「南京事件」の探究』158ページ)。
日本軍の暴虐を告発したスマイスでさえも、日本軍による占領の前後で、南京の人口に大規模な増減があったという記述はまったくしていないのだ。
一方、日本軍は38年1月初旬に、難民となった中国人を元の住居に戻らせ、平穏を回復する努力をした。そのために南京市内の住民の再登録を行ない、「安居の証」を発行した。この件について、南京の安全区国際委員長であったジョン・ラーベが証言している。
「貴下(日本軍)が登記した市民は16万人と思いますが、それには10歳以下の子供は含まれていないし、幾つかの地区では、歳とった婦人も含まれていません。ですから当市(南京市)の総人口は多分25万から30万だと思います」(同159ページ)
こうして見ると、日本軍が南京を占領した37年12月13日当日の人口も、日本軍占領から約3週間が過ぎた38年1月初旬の人口も、さらに同年3月の人口も、ほとんど変化がないことがわかる。“人口を半減させた大虐殺”を掲げて、戦後、日本を陥れることに協力した外国人本人たちでさえ、大虐殺の存在を37年、38年当時は認識さえしていなかった。金元首相は間違っている。誰よりも私たち日本人が、歴史の事実を知らなければならない。