「 認識せよ、東京裁判の日本憎悪 」
『週刊新潮』 '05年6月16日号
日本ルネッサンス 第169回
靖国神社参拝に関して、自民党の主な政治家達が反対し、小泉純一郎首相包囲網が出来上がりつつある。
靖国神社問題を論ずるには“A級戦犯”を断罪した東京裁判についてきちんと知る必要がある。そのための重要な資料のひとつが瀧川政次郎氏の『新版東京裁判をさばく』上下巻(創拓社出版)である。
瀧川氏は昭和21年から、東京裁判の終わる昭和23年11月まで、“A級戦犯”海軍大臣嶋田繁太郎の副弁護人として東京市ヶ谷の極東国際軍事裁判所に通った。裁判の進展を自分の目で見、自分の耳で聴いた結果、「この日本国肇(はじま)って以来の最大の屈辱である東京裁判の真相を後昆(こうこん、後世の人々)に伝えることこそ、私に課せられた任務」と考え、昭和27年、米国の占領終了と殆んど同時に書き上げたのが『東京裁判をさばく』だった。私の手元にあるのは昭和53年に刊行された新版である。
瀧川氏は「新版への序」で書いている。「東京裁判の真相は、記録を読んだだけでは掴めない」と。なぜなら、日本を裁いた連合国側の理論の違法性や矛盾を突いた法廷でのやりとりの多くが、当時報道されもせず、また東京裁判の記録からも削除されているからだという。
当時の日本では、GHQによる厳しい言論統制があり、法廷で明らかにされた連合国側の破綻した主張などは全く報道されなかったのだ。国民には、東京裁判は日本を戦争の泥沼にひき込んだ軍人たちとその暴走を許した一部政治家たちの“悪事”を裁くまっ当な裁判だとの見方が、一方的に植えつけられたのだ。
瀧川氏は、日本を弾劾したオーストラリアのウエッブ裁判長は「最初から判決を懐にして法廷に臨んでい」た、と書いた。「私はその場にいて、その光景を目撃している」とも書かれている。
「東京裁判は報復と宣伝」
ウェッブ裁判長の国、オーストラリアはかつて白豪主義で悪名を馳せていた。有色人種の移民などを厳しく制限し、差別していた国柄は、アジアの人々を積極的に受け容れる現在の姿とは全く異る。オーストラリアの地方裁判所の判事だったウェッブは、ニューギニアでの日本兵による“捕虜虐待”を調査した人物で、東京裁判に至る過程では、検察官の役割も果たしていた。
日本の清瀬一郎弁護人が検察官は裁判官を兼ねることは出来ない、何故にウェッブが裁判長を務めるのかと質すと、ウェッブは「自分はマッカーサー元帥によって任命された裁判官であるから、罷める訳にはいかぬ」と理由にもならない弁明で、裁判長の役割を続けた。
検察官と裁判長の役割を同一人物が果たすという異常事態はまともな状況下のまともな裁判ではあり得ない。そのあり得ない異常がそのまま横行したのが東京裁判だった。
ウェッブは2人の米国人弁護士を東京裁判から除籍した。広田弘毅担当のスミス弁護人と大島浩担当のカニンガム弁護人だ。スミス弁護人は、是が非でも日本を断罪するという姿勢から打ち出されるウェッブ裁判長の偏った訴訟指揮に対して、「不当なる干渉だ」と述べた。その指摘に怒ったウェッブはスミス弁護人を法廷から追放したのだ。また、カニンガム弁護人は東京裁判が進行中の時期に、シアトルでの全米弁護士大会に出席して「東京裁判は、(連合国による)報復と宣伝に過ぎぬ」と発言したことを以て、これまたウェッブから除籍された。
“A級戦犯”の筆頭とされている東条英機の弁護人ブルウェット、それにブレークニー弁護人らは「原子爆弾という国際法で禁止されている残虐な武器を使用して、多数の非戦闘員を殺戮した連合国側が、(日本軍の)捕虜虐待についての責任を問う資格があるのか」と問うた。ウェッブ裁判長は「本裁判所の審理と関連はない」として全く、この問題を取り上げなかった。勝った側にのみ正義は存在し、敗れた側には一片の正義も正当な理由も認めないということだ。東京裁判は、日本を一方的に悪者にする余り、非戦闘員である一般国民を瞬時に死に至らしめた原爆投下については、言及さえしなかった。
「今こそ戦争犠牲者の鎮魂を」
また、世間では、日本は無条件降伏をしたと言われる。私も学校でそう教わった。だが、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。日本が受諾した「無条件」は前線の軍隊が「無条件に武装解除する」ということだ。繰り返すが、日本国の降伏は無条件ではない。ポツダム宣言に書かれている条件での有条件降伏である。
この点を清瀬弁護人は突いた。日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのであるから、その降伏を受け容れた連合国側もポツダム宣言の条項を遵守せよと。同宣言には、国際法にない「平和に対する罪」などを以て、“A級戦犯”を処罰することは含まれていない。したがって連合国側に“A級戦犯”を処罰する権限がないのは明白であり、連合国に委任されて極東軍の最高司令官となったマッカーサーにも、そのような権限はないのだ。つまり、清瀬弁護人はマッカーサーが制定した極東国際軍事裁判所の裁判(東京裁判)そのものが国際法違反だと述べたのだ。事実に基づいた主張であり、論理も正しい。だが、この主張は却下された。却下には、裁判所はその理由を述べなければならない。だが、ウェッブは「その理由は後日述べるであろう」として、それ以上の説明はしなかった。今日に至るまで、理由は述べられていない。無法違法の裁判を合法と言いくるめる論理などなく、理由の説明は出来ないのだ。
こうした一連の事実は、当時は報道もされず、日本が独立を回復した昭和27年以降もメディアは長い間、報道しなかった。GHQによる厳しい検閲もあり、メディアは日本一国のみを悪者とする考えに染まり、東京裁判での日本側弁護人の証言は“屁理屈”のように報じられたと瀧川氏は書いている。国民もそのような考え方に染められた。
瀧川氏の『新版東京裁判をさばく』を読むと、東京裁判を法廷で見守り、日本のために戦った先人の無念が、心臓の鼓動を聞くかのように伝わってくる。日本人必読の書だ。だが驚くことに、昭和27年に前書『東京裁判をさばく』が出版されたとき、新聞はこれを「悪書紹介」として批判、出版元の東和社は倒産し、同書が広く読まれることはなかった。
日本はサンフランシスコ講和条約を結び独立を回復した。東京裁判の判決は受け容れたが、日本憎悪から生まれた同裁判の違法性や価値判断まで受け容れたわけではない。私たちは歴史を振りかえり、東京裁判の実態を知ることで、はじめて、日本に対する非難を一身に引き受けて犠牲となった“戦犯”の人々の想いをも知ることが出来る。その上で、彼らとその他全ての戦争犠牲者への鎮魂を、今こそ、忘れてはならないのだ。