「 靖国参拝、首相よ、二度と揺らぐな 」
『週刊新潮』 '05年5月26日号
日本ルネッサンス 第166回
小泉首相は5月16日の衆院予算委員会で靖国神社参拝について「他国が干渉すべきでない」と述べた。A級戦犯と言われる人々の合祀を中国から批判されている件については「一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのが怪しからんというのは、未だに理由がわからない」と言い切った。
この首相の発言は概ね正しい。理由は、靖国神社問題で日本が譲歩したとしても、日中問題が片づくとは思えないからだ。中国政府は、日本は押せば必ず引く国、叩けば跪(ひざまず)く国だと見做している。だからこそ、常に押し、常に叩いてくる。たとえ1%でも日本に隙があれば、そこを突き日本を後退させ屈服させ、自分の主張を通そうとする。
その際に歴史問題が最善のカードだと心得ている。だから、日本が靖国で譲れば、教科書問題が出てくる。或いは南京事件も出てくるだろう。尖閣問題も東シナ海の海底資源問題も、どれだけ日本の主張が正しく、国際法上も日本に理があるとしても、中国は自らの非を棚に上げて日本に攻勢をかけ続ける。彼らは押すこと、叩くことしか考えないのだ。結果、靖国参拝を中止しても、日中間の問題は解決されないだろう。
靖国問題がどれほど、日本叩きの政治的方便にされてきたかは、歴史をふりかえれば一目瞭然だ。
昭和20年の敗戦で占領下に入った日本では、靖国神社焼き払い論まで議論されていた。戦没者を祀る靖国神社は占領軍から徹底的に憎まれたのだ。だが、占領が続いた7年の間、靖国神社を守ったのは、遺族をはじめ幅広い国民の意思だった。
占領が終わり、日本が独立を回復して間もない1953年の8月に、日本を一方的に裁いた東京裁判はじめ全ての裁判で刑死、獄死した人々も含めて戦没者とする法改正を行い、遺族には扶助料、恩給を支給した。この法改正は当時の社会党をも含む全政党の全会一致で可決した。
国際法違反の疑いの強い東京裁判でA級戦犯とされた人々も靖国神社に合祀すべきだとする決定は1959年3月10日になされた。政府が靖国神社に合祀する人々のリスト、「祭神名票」を靖国神社に送ったのは1966年だった。神社は熟考し、“A級戦犯”を合祀する時期を待った。合祀に踏み切ったのは1978年の秋の例大祭の時だった。
翌1979年の春の例大祭を前に、“A級戦犯合祀”のニュースが報道され、時の首相、大平正芳氏が記者団の質問に答えている。
「(参拝を)人がどう見るか、私の気持で行くのだから批判はその人に任せる」(「『靖国神社への呪縛』を解く」大原康男氏編著、小学館文庫64ページ)。
大平首相はこの件について、同年6月5日参議院内閣委員会でも追及され、答えた。「A級戦犯あるいは大東亜戦争に対する審判は歴史がいたすであろうというように、私は考えております」(前掲書64ページ)。
中曽根氏が残した汚点
中国政府の言うように、もし、本当に、日本の首相の靖国神社参拝が中国国民の心を傷つけ、怒髪天を衝くような烈しい怒りを招くのであるなら、なぜ、直ちにその時から抗議しなかったのか。日中両国は1972年に国交を樹立、78年には平和友好条約を結んだ。現在まで3兆3000億円に迫る他に類例のない政府開発援助(ODA)が本格化したのが当時だった。このとき中国は尖閣諸島問題についても「子々孫々」の世代に「平和的話し合いで解決」しようと言って、尖閣問題を“棚上げ”した。当時の中国が考えていたのは、いかにして援助を引き出すかの一点のみだったのだ。尖閣も靖国も、援助を前に二の次にされたのが実態で、靖国参拝で中国国民の心が傷つくというのは政治的便法にすぎない。
“A級戦犯”の合祀が明らかにされたあとも、大平首相は都合3回、春秋の例大祭に参拝した。後継者となった鈴木善幸首相は3度の8月15日の参拝を入れて計9回参拝した。
周知のように中国が介入したのは、このあと、1985年8月の中曽根康弘首相の参拝のときだ。中曽根氏は中国の非難を受けて参拝を取り止めた。中国の政治的圧力に正当な理由もなく屈服した中曽根氏の行為は決して許されない大きな失敗である。中曽根氏はその失敗を糊塗するかのように、その後現在まで靖国問題については迷走を重ね、今では“A級戦犯分祀論”を主張する。私は、中曽根氏の総理としての功績を高く評価する者だが、靖国問題についてのみは、氏の犯した失敗は日本の国家としての土台を蔑(ないがし)ろにしたものであり、余りに深刻だと考えている。氏がその点を正すことなく現在の立場を取り続ければ、それは氏の経歴に大きな汚点として残るだろう。
中曽根氏以降、歴代の内閣総理大臣はほぼ全員が靖国問題から目を背け続ける反面、中国への援助には卑屈なほどに熱心だった。だからこそ、小泉首相が、誰が何と言っても8月15日には参拝すると公約したことが、多くの国民の心を打ったのだ。
毅然として主張せよ
中韓両国からの批判に直面して、参拝の日程をいじりまわす小手先の解決策に走ってきた小泉首相が、今回、ようやく、きちんと物を言ったのは、評価したい。その上で、首相はもっと根源的な理解を身につけなければならないと苦言を呈したい。
首相は「罪を憎んで人を憎まず」と言ったが、それは東京裁判の判決をそのまま是とする立場なのか。私たちは日本人は、東京裁判の中身をもう一度、振りかえる必要がある。同裁判の理不尽さ、国際法無視の一方的な見せしめ裁判の実態を知れば、“罪”という表現をA級戦犯とされた人々に対して軽々に使うことは憚かられるだろう。
また首相は右の諺は「孔子の言葉だ」とも述べたが、毛沢東、周恩来から今日に至る中国共産党の歴史を見れば、孔子の教えから最も遠いのが彼らであると思えてならない。仁を理想の道徳とし、孝悌(父母に孝行し兄に従順であること)と忠恕(ちゅうじょ 真心と思いやり)を重視するはずの国が、文化大革命という内戦を10年間にわたって展開した。四人組は、周恩来らを狙って“批林批孔(ひりんひこう)”運動をおこし、孔子の教えに象徴される中国歴代王朝に伝わる価値観がまだ、周恩来らの中に残滓として存在すると批判した。四人組は勢力を失ったが、文革の結果として残ったのは、孔子の教えとは程遠い、2,000万とも3,000万とも言われる罪なき人々を死に至らしめた実態である。
現代中国こそ孔子の教えから遠くはなれ、現世利益追求に邁進する国なのだ。譲ることはこの国には感謝もされない。日本は理性と国益に基いて、日本の立場を毅然として主張するしかないのだ。小泉首相よ、もう二度と揺らがずに主張を貫け。