「 中国の意図を甘く見るな 」
『週刊新潮』 2004年10月28日号
日本ルネッサンス 第138回
10月17日、フジテレビの「報道2001」に出演した中川昭一経済産業大臣が「東シナ海の日本の排他的経済水域に中国が鉱区を設定したとの情報がある」と語った。
中国海洋石油開発公社(CNOOC、シーノック)のホームページにはもう2年以上も前から中国政府が開発を認めた鉱区として二桁の数の鉱区が掲載されている。いずれも日本側が主張する日中中間線を越えて完全に日本側に入り込んだ位置だ。
中国はすでに東シナ海の日中の中間線のすぐ脇、中国側に5キロばかり入ったところに天然ガス・石油の採掘井戸を掘り、パイプラインの敷設工事まで行った。中国側に入っているからといって、海底に埋蔵された資源は日本の分までもその井戸から吸い取られてしまう。日本の抗議を無視して中国側は工事を進めてきたが、堂々と日本側海域に井戸を掘る計画も作成していたのだ。
だが、CNOOCのホームページ上の情報は中国の真の意図に較べれば非常に大人しい内容だ。CNOOCが米国証券取引所に提出した資料には、より広く、より深く日本側に入ったところに鉱区が設置され、尖閣諸島をとり巻く形に位置している。尖閣諸島は無論、東シナ海はおよそ全て中国の海だと主張する内容だ。中国が強硬な姿勢と力で、日本の資源を奪うことは予想されていたと、杏林大学の平松茂雄教授は指摘する。
「中国は今から9年前の95年12月初頭から96年2月中旬まで約80日間、日本の排他的経済水域に侵入し、ボーリング調査を行ったのです。掘削地点は北緯28度19分、東経124度56分。中間線から570メートル日本側に入ったまぎれもない日本の海です。彼らは、日本の海上保安庁が探査を中止するよう繰り返し警告したのを全く無視してボーリング調査を継続しました。
その後も中国は継続して日本の海深くに入り込み、資源調査を完了させた。中国の調査は21世紀のエネルギーと軍事戦略のためですから、いつか日本の海域で天然資源を取るための採掘井戸を立ち上げることは、当然考えておかなければならないことだったと思います」
中国の行動は他人の庭に入ってきて、その家の主の抗議を無視して庭を掘り返すに等しい。中国側は後に、日本の排他的経済水域からさらに領海に入って調査を行ったが、それは、他人の家の玄関の鍵を開けて中に侵入するに等しい暴挙である。
95年のボーリング調査に関しては、海上保安庁が中国の石油掘削船勘探3号からガスの燃焼炎らしいものが噴き出ているのを確認した。彼らは石油の試掘に成功したのだ。
その地点は、今、焦点となっている春暁の真南にある。95年の試掘調査とその成功は、春暁の天然ガス・石油採掘井戸と直結しているのだ。春暁の役割は95年に確認した日本側の埋蔵資源の吸い取りに他ならない。
略奪のための屁理屈
日本政府が中国に対して言うべきことを言わずにきたことが、この事態を招いた一因ではあるが、それにしても中国は違法な資源略奪を国際法上どのように理屈づけようとしているのか。駐日中国大使王毅氏が10月18日に日本記者クラブで語った。
「中国側は大陸の長い海岸線が続いているが、日本側は島が連なっているだけだ。アンバランスな地理的特徴から、日中の水域を半分ずつに分けるという日本の主張は国連海洋法の原則に合わない」
中国政府は中国大陸から沖縄トラフまでをひとつの大陸棚ととらえようとしているのだ。この見地に立てば、東シナ海の大陸棚は中国大陸が張り出して出来たもので、中国大陸の延長となり、中国が主権的権利を主張する根拠となる。日本には東シナ海大陸棚の主権的権利はないということにもなる。平松教授が語る。
「最も重要なのは日本と中国が同じ大陸棚の上に位置しているかどうかです。同じ大陸棚上にあれば中間線を引いて大陸棚を二分する考え方をとる日本が有利になります。そうでなく、大陸棚が沖縄トラフで終わり日本列島は大陸棚とつながっていないとなれば、中国が有利です」
国連海洋法は各国の排他的経済水域を沿岸から200海里(370キロ)、または大陸棚が広がっている場合は350海里(650キロ)としている。そこで、東シナ海の地殻はどうなっているかが重要なのだ。この点について琉球大学理学部海洋学科の木村政昭教授が沖縄トラフに潜航して地質調査を行った。その結果、東シナ海の大陸棚は日本の南西諸島を越えてその先の南西諸島海溝にまで延びていることが明らかになった。大陸棚は沖縄トラフで切れており日本はその大陸棚の上には位置していないという中国の主張は明らかに間違いなのだ。日本と中国は東シナ海の同じ大陸棚の上に位置しているのである。したがって、東シナ海に中間線を引いて等分に分けるという日本の主張は正しいのだ。
日本は正論を主張せよ
平松教授が指摘した。
「木村教授の調査は驚くべきものです。日中双方の地殻構造だけでなく、沖縄トラフには分厚い堆積層があり、豊富な石油にとどまらず金、銀その他の希少金属が埋蔵されている可能性が大きいことも明らかにしています」
日本政府はこれらの情報に全く耳を傾けてこなかった。そして常に中国側にもてあそばれてきた。1972年の国交正常化のとき、田中角栄首相は「尖閣諸島の問題をここで議論するのはやめよう」という周恩来首相の言葉で日本の主張をひっこめた。78年4月には、武装した中国船100隻以上が尖閣諸島に集結して日本の領海に入ったが、日本側は「偶発的な出来事」という中国政府の説明で納得した。同年の10月に日中平和友好条約批准のために来日した鄧小平副主席は「尖閣諸島の領有権問題の棚上げ」を提唱し、日本側はそれを受け入れた。そして92年、中国は棚上げしたはずの尖閣諸島問題に、突然、決着をつける動きに出た。国内法の領海法を作り、尖閣を明確に中国領だと決めたのだ。
日本政府はそのことに強く抗議し、ODAも控えるほどの措置を取るべきだった。しかし、時の宮澤政権は驚くべきことに、その状況の下で天皇御訪中を実現させた。中国は笑いを噛み殺したことだろう。天安門事件で国際社会の経済制裁を受けていた中国にとって天皇御訪中は、制裁に風穴を開ける効果があった。中国の国益に利しても、日本の国益には全く利するところのない外交だ。
押しまくる中国、ひたすら後退し萎縮する日本。中国の海洋資源獲得の動きは、やがて、沖縄トラフにまで及ぶと見なければならない。それを阻止するのはただひとつ、日本が正論を気迫を込めて主張し、海上自衛隊を含めて、その主張を支える力と意思を有することを示すことだ。