「 再処理工場の稼働は見合わせよ 」
『週刊新潮』 2004年9月16日号
日本ルネッサンス 第132回
日本の原子力政策が大きな問題に直面している。原子力発電の結果生じる使用済み核燃料の再処理工場を稼働させるか否かである。
日本の電力の3割以上を供給している原子力発電はこれからも必要との立場で見ても、青森県に完成した六ヶ所村再処理工場は稼働させるべきではない。経済的に見合わないばかりか、当初考えられていた仕組みが崩れ、再処理工場を必要とする状況がなくなっているからだ。
当初は、原発で使用するウランは非常に貴重で高価な原材料だった。だから一度使用したものを化学処理(再処理)して、残っているウランを回収することを考えた。そのウランをさらにプルトニウムに変えて混合酸化物(MOX)と呼ばれる核燃料を作ることが出来る。MOXを高速増殖炉に使えば、炉のなかでプルトニウム自体が新たに生まれ続け、エネルギーを生み出し続けてくれる。資源のない日本にとって、まさに夢のエネルギー発電所が高速増殖炉であり、再処理工場はその夢への第一歩だったのだ。
だが、日本の高速増殖炉建設は1995年の「もんじゅ」の事故で事実上潰れた。最終目的が潰れたからには、再処理工場建設も見直しが必要だ。さらに、1978年当時は単価で42ドルだった貴重で高価なウランは、2004年には19ドルで半値以下となり、大量かつ安価に供給される資源となった。
再処理工場を稼働させなければならない理由は、ひとつずつ消滅していったのだ。加えて、再処理工場には危険がつきまとう。
日本の原子力施設は、使用済み核燃料を中間貯蔵する施設も原発も高速増殖炉も再処理工場も全て安全だとされているが、各々の安全の度合いには大きな違いがある。技術に詳しい人々は最も安全なのが中間貯蔵施設で、次が原発だと言う。高速増殖炉の安全の度合いも再処理工場のそれもぐっと下がる。工場内で働く人々や地元の人々にとって最も危険度の高いのが再処理工場なのだ。
稼働すれば二度と戻れない
再処理工場は、無論、しっかり管理された空間であるにしても、その中では、プルトニウムやストロンチウム90などが扱われる。自然界には存在しないような物質が大量に処理されることになる。これらの物質が、一旦、外部に漏れたら取り返しのつかない被害が生じると、関係者らは言うのだ。
再処理工場が原発や中間貯蔵施設と異なり、なぜ危険か。もうひとつの理由を技術者が説明した。
「原発は東芝や日立、三菱重工など重電メーカーが原子炉を作ります。彼らは多くの下請け孫請けを使うにしても、最終的に自社の責任で原子炉をまとめます。しかし、再処理工場は原発とは様子が違う。大量の硝酸液などを使う、基本的には化学工場なのに、原発と同じく重電メーカーが元請けとなり、化学プラントメーカーに発注を落としていくわけです。丸投げの発注が多層にわたって行われ、必ずしも技術力の高くない業者が請け負っている工事も少なくないと思います。そして出来上がった工場は、配管が1500キロに及びます。日本列島のほぼ半分の長さの配管が、たったひとつの工場内に走っているほど、構造は複雑です。それを管理する立場の日本原燃には、その能力はないと思います」
複数の関係者は、再処理工場をハリウッドにたとえた。表は日本を代表する一流の企業だが、裏に回ればハリボテだというのだ。
「だからこそ、六ヶ所村の受け入れ施設のプールからポタポタと水漏れするような現象が生じるのです。単に溶接が不具合だった、で済む問題ではありません。超音波検査を行えばすぐにわかる不具合を、検査もしていないのです」
再処理工場の構造は複雑で運営にはコストもかかる。六ヶ所村の再処理工場を稼働すれば40年間で費用は18・8兆円かかるという試算だ。これらは電気料金に上乗せされる。また、一旦、再処理を始めれば、工場の施設全体が毒性の強いプルトニウムなどに汚染される。プルトニウムの半減期は2万4000年で、その土地を再利用することは、永久に出来なくなる。一歩踏み出せば、戻れない道なのだ。
後世に恥じない判断を
原子力委員会の技術検討小委員会は9月中にも、六ヶ所村再処理工場を稼働するか否かを決定するという。その決定は極めて慎重であるべきであり、日本より先に再処理工場を稼働させて中止した外国の事例に学ぶべきだろう。日本が見つめるべき事例のひとつに英国の商業用再処理工場(THORP)がある。
『原子力の罠─THORPとコミットメントの政治学』を著したW・ウォーカー教授は核技術と国際政治の分野での世界的権威だ。日本とフランスが強く働きかけて運転を開始したTHORPの失敗について、教授は次のように書いた。
「誰もが満足できる選択肢(中間貯蔵)は明らかに存在していたにもかかわらず、撤退より前進を好む体質、外交上のメンツ、増幅されるコミットメントの連続、投資済みコストとその回収見通しへの判断の誤り、などがその明らかに望ましい選択肢を選ばせなかった」(『電気新聞』99年11月17日)。この紹介文を書いた東大客員教授の鈴木達治郎氏はTHORPはまさにコミットメントの「罠」にはまっていたと解説する。
THORPは運転開始後、予想以上に厳しい状況にさらされ、そこで作られ続けるプルトニウムは余剰在庫となり、経済的にも見合わなくなる。日本はこうした事例から学ぶべきではないのか。ウォーカー教授が指摘した「誰もが満足できる選択肢(中間貯蔵)」という指摘を正面から受けとめるべきではないのか。それを日本風にいうと8月11日に原子力委員会が新計画策定会議に提示した「当面貯蔵」の考えになる。
当面貯蔵と中間貯蔵は物理的には同じである。高速増殖炉実現の目処が立たずウランの価格が下がりプルトニウムも余っている。急いで危険な再処理工場を運転する必要性はどこにもない。原発から生まれる使用済み核燃料は、安全な方法で、科学の進歩を待つ形で“中間的”に“当面”貯蔵しておけばよい。二度と引き返せない再処理の道に闇雲に突き進まなくてもよいのだ。
それでは使用済み核燃料の行き場がなく、原発も運転できないという人もいるが、“当面貯蔵”の安全性を説明すれば受け入れる地元も出てくるはずだ。現に青森県陸奥市長は「政策が変わっても、中間貯蔵施設を維持する」と発表した。そのような自治体を経済的に支援していくことで、問題の解決ははかれるはずだ。コストも危険もその方がずっと少なくて済む。再処理工場の稼働は見合わせ、後世に恥じない賢い判断をすることだ。