「 『華氏911』vs『司令官不適格』 」
『週刊新潮』 2004年9月9日号
日本ルネッサンス 第131回
米国の大統領選挙の様子を見る度に、日本の選挙もここまで盛り上がればどんなに速く社会の仕組が変わっていくことだろうと思う。それほど、米国民は選挙に熱中する。
ブッシュ氏をホワイトハウスから“追い出す”ことを目的に作ったと、マイケル・ムーア監督が公言する「華氏911」は公開からわずか1ヵ月で米国内での売り上げが1億ドル(110億円)をこえた。日本でも封切られた同映画は、自国の外交や安全保障政策が米国政治の影響を受けざるを得ない世界中の人々の関心の的でもある。余りに政治的な作品だけに、観るにしても観ないにしても、その選択自体がひとつの政治的判断となる。
“ブッシュ叩き”を公然と掲げた映画が多くの観客を動員している事実ほど、ブッシュ陣営にとって嫌なことはないだろうが、一方の民主党候補、ジョン・ケリー氏も強烈な批判に直面している。いま米国でベストセラーになっている『Unfit for Command(司令官不適格)』がそれである。
ケリー氏は7月29日の民主党大会で大統領候補としての指名受諾演説を行ったが、その際、壇上に上がり軍隊式の敬礼をしてみせた。氏の第一声は「任務遂行のため、出頭しました」というものだった。党大会で大きなスクリーンに映し出されたケリー氏紹介ビデオにも23歳の若き高速艇乗りとしての姿が写し出された。氏は「私は若者として守ったこの国を、大統領としても守る」と演説した。
ケリー候補の最大最強の“売り”が、パープル・ハート章に象徴される“輝かしい軍歴”であるのは明らかだ。ちなみにパープル・ハート章は戦闘中に負傷した兵士に与えられる栄誉の証しだ。ケリー氏はベトナム戦争当時、米海軍の高速艇の艇長としてカムラン湾で哨戒活動につき、負傷したという。
矛盾する戦争への姿勢
ところが『司令官不適格』を著した退役軍人のジョン・オニール氏らはケリー氏の“軍歴”は真実ではないとして、猛烈な反論、批判を展開する。オニール氏らは、ケリー氏と共に従軍した将校23名中17名に加えて、“真の”パープル・ハート章受章者60名以上が中心になって「真実を求める高速艇ヴェテランの会」を結成した。彼らは、自分たちほど、ケリー氏の軍歴を正しく評価出来る資格を備えた者はいないはずだと主張する。そのうえでケリー氏の軍歴は真実とは遠く、たとえばケリー氏が戦闘で負傷したと申請した日時には、戦闘はなかったはずだという。そうした点も含めて、彼らはケリー氏に厳しい公開質問状(charges)を突きつけた。
問いに答えようとしないケリー氏に対して、彼らは多くの小口の寄付を集め、メディアに広告を打ち、記事を書き、講演活動を展開して世の中に訴える手に出た。ケリー陣営はそれでも、公開質問状に答えず、“ヴェテランの会”の批判は“悪質な”個人批判だとして、彼らのコマーシャルを放送した場合、テレビ局を名誉毀損で訴えると圧力をかけつつ、批判を沈黙させる構えだ。ケリー陣営の矛先は、ブッシュ陣営にも向けられた。ブッシュ大統領自身、このような“悪質な中傷広告”の掲載を批判すべきだというのだ。
米国のメディアは一連の動きを詳細に報じているが、“ヴェテランの会”がケリー批判を展開する度、ケリー陣営が後追いして対処する構図となっている。その動きは目まぐるしく、「ウォールストリート・ジャーナル」紙(WSJ)は8月27日の紙面で、「ケリー氏とベトナム問題には、もうついていけない」と書いた(「ケリーの戦闘によって再び開いた戦争の傷口」D・ヘニンガー)。
ヘニンガー記者は、ケリー氏に忠告する。1971年に米国議会で展開したベトナム戦争の残虐性についての証言は「どうみても」「誇張がすぎた」と認めよというのだ。同戦争で戦った軍人たちの名誉を否定したり汚したりしない方法で、自分自身、あの戦争には反対であると言えるだろうと言っているわけだ。
「もし、ケリー氏がこの大統領選挙に敗れれば、そして氏は実際に敗れるかもしれないのだが、その場合、過去30年以上、民主党を支えてきた聖堂が、これで破壊されてしまうだろう」と、同記者は推測する。
9・11で米国が攻撃され、民主党もイラク攻撃には賛成したものの、民主党を支える基盤はなんといってもリベラル勢力である。ベトナム戦争も含めての反戦の気風が、深層心理として、民主党を支える重要な価値観のひとつだといってよい。だからこそ、ケリー氏のベトナム従軍は、9・11を体験した米国民に力強く頼もしい印象を与えると共に、そのベトナム戦争への批判はブッシュ氏の“好戦的なイメージ”と対比され、民主党員に比較的スムーズに受け容れられているのではないか。
日本に望ましい大統領とは
ベトナムでの軍歴を売りにしながら、その戦争自体を批判したケリー氏は、誰が見ても矛盾に満ちている。そこから、イラクへの米軍派遣を増強すると言ったかと思えば、大統領に就任すれば半年で撤退させるというように、イラク政策へのブレも生じてくるのだ。イギリス本国からの独立を、戦いを通して勝ちとった米国の歴史は、節目節目で米国が烈しい戦いを勝ち抜いて今日に至ったことを示している。米国はまさに戦火から生まれ、戦火を交えることによって力を強めてきた国なのだ。
とはいっても戦いは、勝ったとしても、多くの犠牲者を出す。その意味ではたとえ勝利の戦いであったとしても、戦いの裏には喜びよりもより多くの悲しみがあると考えたほうがよいだろう。
ましてベトナムでは、米国は屈辱の敗北を喫した。屈辱と悲しみ。正義か不正義か。国論の二分は今も続いている。その戦争での軍歴の“虚構”を指摘され、大統領選に敗れるとしたら、痛手はケリー氏個人にとどまらず、民主党全体を直撃するとWSJは報じているのだ。
ベトナム戦争と軍歴問題は、ブッシュ大統領がイラク統治であれほどの失敗を重ねているにもかかわらず、そのブッシュ大統領に、ケリー氏がどうしても決定的な差をつけきれない最大の要因になりつつある。
とはいっても、ブッシュ・ケリーの支持率はほぼ互角といえる。8月30日開催の共和党大会でブッシュ大統領の支持率は多少は上がるだろう。しかし、それでも接戦は続くだろう。日本人として注目するのは、どちらの政党が日本にとってより良い存在かという点につきる。答えは比較的見えやすい。共和党である。なんといっても同党は、日本に一番足りないもの、国家としての自立と責任を日本に期待しているからである。日本の自立を求めず、いつまでも支配下に置きたい民主党より遙かによい。