「 大詰めの薬害エイズ高裁裁判 厚生省・松村元課長ルート 示された裁判長の厳しい認識 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年8月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 特別版 556
去る7月27日、薬害エイズ事件で有罪判決を受けた松村明仁(あきひと)・元厚生省生物製剤課長の公判が、東京高等裁判所で開かれた。高裁での事実調べはこれで終了し、10月5日に、検察官、弁護人双方の最終弁論が行なわれる。
松村氏は2人の患者の死に関して責任を問われており、東京地方裁判所の公判では、1人について無罪、もう1人について有罪判決が下されている。無罪とされた公訴事実第一の被害患者は、安部英(たけし)・元帝京大学副学長が刑事責任を問われた患者と同一人物である。地裁で無罪判決を受けた安部氏の裁判は、高裁控訴審の最終場面で、氏にはもはや正常な判断能力がないとされ、裁判自体が消滅したのは記憶に新しい。
公訴事実第二の被害患者は、1986年4月に大阪医科大学附属病院で食道静脈瘤の手術を受け、止血剤として旧ミドリ十字の非加熱血液製剤クリスマシン(第九因子製剤)を投与されHIVに感染、95年12月に死亡した。
85年12月に加熱製剤が承認されたにもかかわらず、翌年四月に非加熱製剤がなぜ、まだ使用されたのか。担当課長の松村氏(当時)の責任はどこまで問われるべきなのか。
この点について一審判決は、松村氏には加熱製剤が承認された時点で「自ら立案し」「関係部局と協議を遂げ」、非加熱製剤の「販売をただちに中止させ」、未使用の非加熱製剤を「回収させ」る「業務上の注意義務があった」と断じた。行政は法律に定められた最小限の仕事をするだけでは不十分で、無限定とはいわないまでも「作為義務」があるとした。つまり、松村氏には不作為の罪があるとしたのだ。
官僚のあきれた実態に厳しく尋問する裁判長
高裁での事実調べの最終段階で、検察官は「承認整理」について問うた。承認整理とは、もはや製造しなくなった薬品の製造承認を企業が厚生労働省に返上することだ。
松村氏はこう主張し続けた。
「加熱製剤が承認されたときに非加熱製剤の承認整理が行なわれたために、メーカーが非加熱製剤を販売することはもはや考えられず、自分は、非加熱製剤は新たに承認された加熱製剤に置き換えられていったと思っていた」
一方、検察官は「承認整理の手続きがされたからといって、それ以前に製造されていた非加熱製剤の流通は止めることはできない。病院に納入ずみの非加熱製剤を患者に投与することも止められない。有効期間の2年間、流通された製剤が使われるのではないか」と尋問。しかし松村氏は、「普通の商習慣として承認整理をしたものは、だいたいメーカーが引き取るか、新しいものと交換すると期待されていた」と言い張った。その主張を崩せば、加熱製剤承認後も非加熱製剤を事実上放置した自らの責任を認めることにつながるから、氏も必死である。
河邉義正高裁裁判長が問うた――。「あなたは、そういうこと(松村氏の言う普通の商習慣)を期待していたわけですね」「期待に反する事態が起こったときにどうするか、ということは考えていましたか」。
松村氏は「期待に反するような行為は、まずはなかろうと思っておりました」と答え、「ケース・バイ・ケースでしょうけれども。失礼ですけれども、普通、必要のないことはしないという……」と付け加えた。
「必要のないことはしない」、つまり、決められた最小限の仕事さえしていればよいと言うのだ。だが、氏は担当課長として「必要なこと」さえしなかったのではないか。承認整理で企業が常識を働かせ、危険な製剤の販売はしないと期待したというが、“期待”の根拠は希薄である。
厚生官僚の大先輩を見よ。薬務局長経験者の松下廉蔵氏は、天下って旧ミドリ十字の社長となり、非加熱製剤のクリスマシンにはHIV感染の危険はないと虚偽の宣伝を、社の方針としてし続け、在庫を売り尽くしていた。その状況を、松村氏らは行政官として結果的に許したことになる。「ケース・バイ・ケース」と氏が言うように、期待に沿わない企業があるのは当然だ。その場合、期待どおりの効果を上げさせる措置を取るのも行政の責任だ。「そのようなことを禁ずる法律でもあるのか」と、河邉裁判長が松村氏に質した。むろん、あるはずはない。“官僚の無責任”そのものの松村証言に対し、裁判長の厳しい心証が透視された場面だった。
地裁の判断に疑問続出 目が離せない裁判の行方
検察官は、85年12月19日の血液製剤調査会で、加熱製剤が承認された段階で「非加熱製剤を使用させないよう厚生省は指導すべきである」との議論が行なわれたことを引用し、「非加熱製剤の使用禁止や回収を指導すべきだと受け止めなかったのか」と質した。「血液製剤調査会の議論は“回収”とは読めない」と反論する松村氏に、裁判長はまたもや厳しく言い渡した。
「非加熱製剤の在庫品についてはいったん回収して加熱し、再生すればよいのではないかとの意見が出されたとも書いてあります。したがって、回収という言葉が少なくとも出たということ、それを裁判所から指摘しておきます」
傍聴席にいた私は、裁判長の言葉に心から共感を覚えた。理由は、85年12月時点までには、非加熱製剤の危険性は広く知られており、加熱製剤も承認されていた。そんな状況下で、病院などに出回っている非加熱製剤の回収にまったく手をつけなかったのは、あまりに無責任だからだ。同年夏、患者たちは松村氏に直接回収を申し入れた。松村氏はその要請を無視して放置した。その責任は重大である。
そしてもう1つ、きわめて注目すべきやり取りがあった。安部氏がかかわったとされる公訴事実第一の被害患者に関する裁判長尋問だ。裁判長はまず、「松村氏ら厚生省側は安部医師を専門家と目していたのか、それとも自分たち(厚生官僚)も専門家だと考えていたのか」と問うた。続くやり取りの骨子はこうだ。
「それはもう、安部先生は血友病ひと筋にこられた方ですし、私どもは大家だと理解しておりました」(松村氏)
裁判長―エイズとの関係で考えたとき、安部医師は専門性のある人物と理解していたか。
「先生は血友病の専門家。当時、血友病とエイズはそうとう問題が重なっておりましたので、その範囲でエイズのこともご存知だと。しかし、あくまでも血友病専門医で、しかも臨床家だと理解していました」(松村氏)
裁判長―厚生省からエイズ関連情報などを一般の医師と同様に提供しなければ、安部医師の治療に支障を来すという認識はあったか。
「私どもは、血友病のオーソリティと考えておりましたので、わざわざ一つずつ、私どもが治療についてお知らせしなければうまくいかないなんていうことは、ちょっと考えられなかったです」(松村氏)
この裁判長尋問の意味するところは、深く重要である。安部氏を「通常の医師」と見なし、それと同水準の治療さえしていれば責任は問われないとして無罪判決を下した地裁の判断に、真っ向から疑問を突き付けるものだからだ。
公訴事実第一の被害患者に関して、松村氏を無罪とした地裁判決が逆転する可能性とともに、消滅はしたが、安部裁判の無罪判決も事実上、逆転する可能性が見えてきた瞬間だった。