「 欧州の米国批判とその真意 日本にも他人事ではない米国が直面する岐路の深刻さ 」
週刊ダイヤモンド 2004年5月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 543
「 欧州の米国批判とその真意 日本にも他人事ではない米国が直面する岐路の深刻さ 」
米英軍によるイラク人捕虜虐待のおぞましい映像。テロリスト勢力による米国民間人のこれまたおぞましい殺害の映像。誰しもイラク情勢の展望を懸念する。
『ネオコンの論理』(光文社)で知られる米国のカーネギー国際平和財団上級研究員のロバート・ケーガン氏が、外交専門誌「フォーリン・アフェアズ」の2004年3~4月号で興味深い論文を書いている。「米国の正当性の危機」がそれである。米国のイラク攻撃に“正当性”がないとの批判が強まっているこの時期に、あえて氏は、欧州の批判する米国の戦略における正当性の欠落とは何かを分析してみせる。
国際社会における米国の正当性は3つの柱から成り立ってきた。第1が旧ソ連の脅威に唯一対抗しうる軍事力、第2が東西陣営のイデオロギー対立のなかでの自由陣営のリーダーとしての地位、第3がほぼ自動的に正当性が米国に与えられていたこの二極化構造だ。
しかし、冷戦の終了で、欧州各国が、米国が供給してきた盾を不必要と考え始めたとき、それまで問われることもなかった米国の正当性が問われ始めたと、ケーガン氏は言う。
クリントン政権による1994年のハイチへの軍事介入、98年に同政権がイラクを攻撃した“砂漠の狐”作戦、または米国とともにドイツを筆頭とする欧州諸国がコソボへの軍事攻撃に踏み切った99年のケースなどを挙げ、これらすべてが国連安全保障理事会の決議を事前に得たものではなかったことを、氏は再確認する。
米国のイラク攻撃は国連決議がないから正当性を欠くという欧州の疑義は、一貫した論理に基づくものではなく、米国外交に欧州のコントロールが及ばなくなったことへの苛立ちを反映させたものだというのだ。唯一のスーパーパワーとなった米国と対照的に、欧州の地位が相対的に降格していくことを座視できないのだと説明しつつも、ケーガン氏は、米国は欧州の批判を退けるべきではないと強調する。たとえ米国が軍事的、経済的にイラク作戦を遂行できると仮定しても、欧州に“力を割譲せよ”と説く。
氏は5月2日付「ワシントン・ポスト」紙のコラムでも、「イラク情勢の悪化につれて、米国はイラクから退くべきだとの意見が強まるだろうが、撤退は米国と世界に回復不可能な打撃を与える。イラクの民主化に向けて踏みとどまらなければならない」とも主張した。
だが、先の「フォーリン・アフェアズ」の論文に戻れば、米国が譲っても、欧州諸国が米国のイラク戦争に正当性を認めることはないかもしれないとも指摘している。理由は、「欧州が米国を牽制しようとする余り、米国の脅威よりもはるかに深刻な国際社会の問題を見逃してしまいかねない」からだという。
民主主義を基調とする米欧の離反が深まれば、その隙間で、民主的な政体を否定する勢力が広がりかねないと氏は語っているのだ。“悪の枢軸国家やテロに依拠する専制的支配者よりも、米国というリバイアサンのもたらす脅威のほうが大きいと欧州が考えている”のは危険だとの警告でもある。
イラク情勢の混乱は、大統領選挙を控えたブッシュ政権の外交を、逃げの姿勢に追いやりかねない。そのような場合に生じてくる、米国および国際社会が直面するであろうさらなる混沌を見つめよと忠告しているわけだ。ブッシュ政権の選択肢が狭まりつつあるからこそ、その時々の各国の都合で変わる“正当性”によって米国の戦略を揺るがせることはできない。揺らげばそのぶん、米国も傷つき、イラク情勢にも負の影響が出るということでもあろう。
自衛隊を送った日本は、米国の直面する岐路の深刻さと重大さを他人事と考えてはならない。