「 小泉再訪朝は慎重にせよ 」
週刊新潮 2004年5月20日号
日本ルネッサンス 第116回
福田康夫官房長官は表向き、年金未払い問題で辞任した。しかしもうひとつの理由は、小泉首相の展開する北朝鮮外交への抗議だったという。
福田氏らが北朝鮮との交渉の窓口を外務省に絞ってきたのとは対照的に、小泉首相が〝盟友〟山崎拓氏と平沢勝栄氏を使者に立て、北朝鮮と接触させてきたのは周知のとおりだ。4月1日に中国の大連で北朝鮮外務省の鄭泰和日朝交渉担当大使、宋日昊副局長らと拉致問題について協議した山崎ルートで、明らかに条件が話し合われてきたと思われる。
週末の各紙が一斉に、拉致被害者5人の子供たち8人の帰国について伝えたのは、官邸情報による。『朝日』は「8人の帰国が確約されれば、人道支援を再開」する、経済協力と切り離した人道支援なら、世論の理解も得られるとの官邸側の読みを報じ、山崎ルートでの話し合いが実質的な経済支援を軸に進んでいることを示唆した。また『産経』『読売』『日経』各紙は、小泉首相自ら訪朝し、8人の家族を迎える方向で話し合いが進んでいる旨を報じた。なかでも『産経』は5月23日を軸に首相訪朝の日程を調整中と報じた。
3月8日に平沢氏が読売新聞社調査研究本部主催の外交問題研究会で語ったことが思い出される。氏は「7月に参院選を控え、北朝鮮に残る5人の家族が帰国すれば、自民党の大勝につながると思っている」「北は北で1日も早く解決したいと思っている」「1日も早く日本から経済協力をもらいたいと思っている」などと述べた。
だが相手はどんな手を使おうとも、批判されない100%のフリーハンドを持つ独裁政権の金正日総書記である。その北朝鮮に、日本は常に“手玉”にとられてきた。コメ支援も経済支援も、殆ど日本側の望んだ結果をもたらしてこなかった。コメ支援には関わっても、拉致問題には全く関心を示してこなかった山崎氏が北朝鮮を相手に、どんな話し合いを進めてきたのか。
私益に利用される拉致問題
自民党幹事長の安倍晋三氏が懸念する。
「官邸には5月8日に、総理の訪朝は呉々も慎重にすべき、というより、やめるべきだと伝えました。総理は日本の持てる最強のカードなのですから軽々に使うべきではないのです。しかし、官邸に、総理訪朝で拉致を解決したいという考えがあるのは確かです。その一方で、山崎さんの側には、山崎さん自身が訪朝して、5人の被害者の子供さんたちを連れ帰りたいという気持ちがあるようです」
平沢氏は7月前に8人を連れ帰って、“参院選挙での自民党の大勝”につなげたい旨を述べたが、山崎氏の場合は氏自身のイメージ回復と当選という、より切迫した個人的事情が背景にあると思われても仕方がない。
山崎、平沢氏らによる北朝鮮との話し合いが危ういのは、拉致問題の解決を目指しながら、そのなかに党益や私益が混じっているのが明らかだからだ。国民は誰しも、拉致問題解決のためなら、小泉首相に再度訪朝してほしいと思うだろう。しかし、その場合の解決は、拉致問題全体の解決でなければならない。帰国した5人の方々の家族8人の帰国に加えて、横田めぐみさんをはじめ“死亡”とされた8人の皆さんの安否情報と原状回復、さらには入国の記録がないとされる曽我ミヨシさんら2人の情報、その先に、北朝鮮に拉致された可能性が否定出来ない3桁の人々についての情報も得ることである。
安倍幹事長が指摘する。
「総理の訪朝で、何らかの線引きがされる恐れがあります。例えば、8人の帰国で拉致問題は解決済みと北朝鮮が主張するかもしれません。それ以前に、8人の中でさえ線引きが行われ、必ずしも全員が帰って来ない可能性もあるかもしれません」
何らかの口実で家族の一部が北朝鮮に残る場合も考えなければならないということだ。寺越さんのように、北朝鮮を祖国として愛しているとの建前で向こうに残り、日本の家族と往き来をするという形である。北朝鮮に人質を残す形であり、これでは本当の問題解決にはなり得ない。
外交の原則を忘れるな
山崎氏らの交渉がどんな結果をもたらすのかはまだわからないが、明らかなのは、この二元外交が家族会を二分したことだ。「救う会」代表の佐藤勝巳氏が語る。
「5月8日午前中に、我々救う会と拉致議連は、拉致問題解決の次のステップは8人の帰国と共にめぐみさんら10人の帰国への道筋をつけること、最低限、この条件がクリアされなければ総理は再度訪朝すべきではないと合意しました。
その日の午後、家族会の皆さんと話したのです。帰国した家族を抱えている側は、いかなる表現であっても、首相訪朝に関して態度を表明すべきではないと反対でした。横田さんらが譲歩して、結局、要望書はボツになりました。残念ですが家族会は事実上分裂状態です」
蓮池透氏が「拉致問題に区切りをつけに行くのでなく、解決に向けて少しでも前進するために、首相には訪朝してほしい」といえば、横田滋氏は、「孫のキム・ヘギョンさんに会いたいと思ったとき、自分がピョンヤンに行けば、そこで区切りをつけられてしまうと言われ、諦めた。いま、首相が訪朝すれば、拉致は一段落という区切りをつけられてしまいかねない」と述べる。
首相が行かずとも日本が切ることの出来るカードは何枚もある。川口順子外相、中山恭子支援室長、外務副大臣らに加えて安倍氏もいる。一国の首相が一方的に、続けて2度、他国を訪れるのは外交慣例にも反する。拉致という国家ぐるみの犯罪に対して、筋の通らない対応をすることは、国家として慎重であるべきだ。
また、日本は米国をはじめ関係国に拉致解決のための助力を頼み、支援を得てきた。だが、8人を取り戻すために、首相が再訪朝し、その背後に、すでに報じられているように人道支援と言いかえた経済支援が用意されているとすれば、国際社会における日本外交への批判は免れないだろう。その場合、次のめぐみさんたちの安否情報と救出のときはどうするのか。米国などに支援を頼み、同じパターンを繰り返すのか。
日本外交の正念場である。8人の帰国の実現に、国民や国際社会に説明しにくい裏取引きがあってはならない。外交はあくまでも、原則に沿って推進すべきである。いま、首相が人気取りを目指して訪朝するよりは、他の適切な人物を送り込むのが取るべき道だろう。
過去の日朝交渉のみならず、日ソ、日露交渉、また日中関係をみても、原則を踏み外した外交は常に失敗してきた。相手が無原則の独裁国であればなお、日本は自らの基本をしっかりさせなければならない。小泉流の思いつき外交は厳に慎むべきだ。