「 道路民営化意見書と異なる猪瀬案 」
『週刊新潮』 2003年12月25日号
日本ルネッサンス 第98回
道路公団改革の山場である。昨年12月に民営化推進委員会が出した意見書は、保有・債務返済機構(機構)が道路関連4公団の資産と債務を持ち借金の返済にあたる一方で、新会社は道路をリースして運営する上下分離にすると同時に、10年を目処に新会社が高速道路などを買い取り、機構は解散して上下一体となると定めた。だが、この会社の形について、意見書になかった議論がいま力をつけ始めている。
12月9日の民営化推進委員会では、松田昌士委員が5項目を列挙した1枚の紙を提出した。「40兆円の債務を長期固定で確実に返済することを第一優先とする」、「機構は債務返済を出来るだけ早期に行わせるための経過的な機関」で、やがて、「解散する」、「料金は現行償還主義を改め、通行料金の平均1割値下げを民営化時に実施」など、意見書を反映した極めて妥当な内容だ。
猪瀬直樹委員も資料を提出した。意見書に基づいたスッキリした松田資料とは対照的に、猪瀬資料は多くのことを指摘しつつ意見書とは異なる方向で集約されているのが特徴だ。
猪瀬案には、高速道路を超長期でリースし、会社が独占的使用権を所有する、会社の経営自主権を確立する、「将来、上場できる会社を目指す」という文言を民営化法に盛り込めば、それが「歯止め」になるなどと書かれている。
委員長代理の田中一昭氏が猪瀬氏を批判した。
「猪瀬氏は従来、新会社は資産を持たなくても超長期で高速道路をリース出来れば実質的所有と同じだからそれでよい、上下分離か一体かは神学論争だと言ってきました。これは上下分離を固定化させることで、我々の意見書と異なります。12月9日の資料は、このような猪瀬氏の考えに基づいて国と新会社が対等な関係を結んで新会社の経営自主権が確立出来ればよい、新会社の権利は法律で書き込み担保するというものです。しかし、経営自主権の確立は、資産も負債も持たせて自立した民間会社にするのが最も早い。つまり上下一体にすればよいだけの話です」
川本裕子委員も語った。
「9日の猪瀬さんの資料は、多くが猪瀬さんの御意見です。民営化委員会の意見とは全く相容れません」
「10年後の上下一体」は昨年の意見書で既に決定済みだ。なぜ今、猪瀬氏は「民営化委員会の意見とは全く相容れ」ない上下分離を固定化するような主張を始めたのか。
先々週報じた近藤剛総裁の変節(上下一体の主張とその撤回)が大きなヒントである。近藤総裁は当初、経営者としては至極真っ当な上下一体論を主張したが、道路族=国交省道路局の抵抗の前にあっさり撤回し、かつて猪瀬氏が主張した奇妙な「実質的上下一体論」を展開し始めた。
経営自主権のない民営化
9日の民営化委員会での猪瀬氏の主張はそれを後押しするものだ。氏の主張は、変節した近藤氏と同様に、「道路は公物(公共物)」という観念の下に上下分離を永続化し、道路に関する支配権を維持したい道路族=国交省道路局の意向にも沿う。氏の主張には本質的にそういう隠された意図が臭うと感じられてならない。
問題はなぜ「普通の上下一体」ではなく、機構という官の組織を残す「実質的上下一体」でなければならないのか、である。この議論なしには、実質的上下一体でも経営自主権は確保出来るから、普通の上下一体でなくとも構わないとはならないのだ。機構を解散させる普通の上下一体で何が困るのか。
道路族=国交省道路局が普通の上下一体に反対するのは、上下分離を永続化し、彼らの支配する機構を介し民営化会社の料金収入を利用して赤字路線を建設し続けることを目論んでいるからだ。猪瀬氏にそれが分からないわけではあるまい。
一方、民間経営者として総裁になった近藤氏は、民営化の基本である経営自主権を放棄することは到底出来ない。そんな近藤氏にとって実質的上下一体のもとで経営自主権を確立するというのは都合のよいロジックである。道路族や国交省道路局をバックにした機構から道路を永続的に借りる民営化会社がどうして経営自主権を確保出来るのか。出来ない相談だろう。おそらくこれこそ神学論争だが、明らかなのは、実質的上下一体の名の下に、機構という組織が生き残り、それを通じた政治の関与が永続することだ。
この仕組の下での新会社は民営会社とは程遠い。市場原理に基づく自立した経営判断をしようにも、会社の背後には国があるのみで、市場はない。このような構造からの脱却と政治からの決別こそが民営化の原点だが、その原点が実質的上下一体では崩れるのだ。
猪瀬氏変節の真意はどこに
それにしても猪瀬氏はなぜ機構を残す仕組で良いと考えるのか。民営化議論のなかで、既存の高速道路の料金収入を新規高速道路の建設資金に回さないことと、10年後を目処に民営化会社が道路資産を買い取り、機構が解散することは、民営化の根幹にかかわる重要問題だ。委員会はこの問題を巡って分裂し、今井敬委員長が辞任したほどの大問題だった。
分裂騒動で、猪瀬氏は田中一昭委員長代理、松田昌士、川本裕子両委員らと同意し、意見書をまとめた。その時点では、氏は既存道路の料金を新規建設に回すことにも、上下分離の固定化にも反対したことになる。
もっとも、氏は8月の集中審議直後には、料金収入を新規道路の建設に回すという中村英夫委員の案を基にした取りまとめ案を「ほぼ100点に近い」と評価したことがある。行革断行評議会時代には上下分離を固定化する案を主張したこともある。こうした重要点で主張が変わるため、氏の真意は定かではない。最近の氏の言動は、松田氏らと委員会の意見書をまとめたのは、所詮、一時的な同調にすぎないのかと疑わせるものだ。
前号でも報じたが、猪瀬氏は、国交省の提出したB案を評価する形で、資金還流問題については民営化委員会の意見書ではなく、道路族の意向を汲む姿勢に転化した。機構の存続につながる実質的上下一体論の主張で、機構を存続させたい道路族の意向に沿うことにもなった。氏は一体、誰の味方か。
12月9日の委員会に提出された猪瀬氏の資料の最後のページの文章はこの意味で非常に興味深い。
「『将来、上場できるような会社になることを目指す』という一文を『道路公団改革基本法』(仮称)に盛り込めば、逐条で詰めきれなくてもいわば性能標準的に『対等な権利義務関係』を整える規定として機能する」
これが作家の文章か。まるで国交省の役人の代筆か、入れ知恵かとつい、疑いたくもなる。“官僚作文”の臭い芬々だ。その臭いのように、猪瀬案は委員会の意見書よりも国交省の立場に遥かに近い。