「 いま必要な自衛隊派遣の準備 」
『週刊新潮』 2003年9月4日号
日本ルネッサンス 第82回
バグダッドの国連事務所がテロ攻撃されたことで、日本はイラク復興支援特別措置法に基づく自衛隊の派遣を先延ばしすることにした。「たとえ非戦闘地域でも自衛隊が標的にされない保証は全くなくなった」ためと説明された。だが、二つの理由で、今こそ、自衛隊派遣の準備を進めるべきだ。
第一は、イスラム原理主義が何であるかを理解すれば、民主主義とテロリズムの対立構造のなかで、日本は明確に前者の場に立たなければならないからだ。第二は、現状では日米同盟を最優先させる選択こそが日本の国益に適うからだ。
第一点に関して、元読売新聞記者、藤原和彦氏の『イスラム過激原理主義 なぜテロに走るのか』(中公新書)が示唆を与えてくれる。
氏はイラン・イラク戦争でも、79年から10年間続いたソ連・アフガニスタン戦争でも、日本のジャーナリズム、そして日本人が欧米陣営とソ連・東欧陣営の対決という座標軸でしか事態を見つめてこなかったことを指摘する。結果として、イスラム原理主義者の対欧米ジハード(聖戦)が、後にハンチントンが指摘した「文明の衝突」の幕開けであることも読みとれなかったというのだ。
氏は、ソ連がアフガニスタンで敗れた相手は、欧米陣営ではなく、ソ連を「無神論の大悪魔」とするイスラム勢力であり、その最前線で戦ったアラブ諸国の義勇兵「アラブ・アフガンズ」がその後のテロ事件につながっていったことをも詳細に辿る。
彼らは97年11月にはエジプトの古代遺跡ルクソールで観光客57人を虐殺、翌98年8月にはケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラームの二つの米国大使館を爆破し224人を殺害した。さらに2001年9月11日の米国への同時中枢部テロを起こした。これらのテロ攻撃を促したイスラム原理主義は、主権は神にあるとして西欧型民主主義を拒否するものだ。藤原氏はイスラム原理主義の代表的思想家、アイマン・ザワヒリの言葉を次のように紹介する。
「唯一神教においては神に主権があり、立法は神の専権事項である。一方、民主主義は人民に主権があり、人民が立法者となる。したがって、民主主義とは、全権の神から立法権を簒奪(さんだつ)し、それを人民に与えているものにほかならない」「民主主義は、人民を神格化している」「偶像崇拝の新しい宗教なのだ」(56ページ)。
国連事務所がテロ攻撃されたとき、国連広報官は「なぜ、我々が攻撃されるのか。我々はイラク国民のために働こうとしているのに」と語った。だが、国連への攻撃は、民主主義を敵とするイスラム原理主義勢力からみれば“当然”の結論なのである。突出しているのは米国ではあるが、テロリズムは米国ひとりへの挑戦ではなく、西欧型民主主義そのものへの挑戦だ。だからこそ、日本が民主主義に依って立つ国であるなら、国連が攻撃されたから、自衛隊の派遣を見合わせるのではなく、国連が標的にされた今だからこそ、日本は手を貸すべきなのだ。
国家は国益でのみ動く
第二の理由は、日米同盟が日本の生き残りの重要な鍵だからだ。杏林大学の田久保忠衛教授が語った。
「現在の日本は、完全な独立国ではないのです。日本が、自力で立てる道筋を築くにも、その間の生き残りを担保するにも、組む相手は二つの理由で米国しかありません。民主主義と市場経済です。中国ともロシアとも、韓国とも北朝鮮とも、はては台湾とも、米国との同盟関係に匹敵する関係を築くことは不可能です」
いま、米国の戦略が大きく、しかし、着実に変わりつつあることは過日の小欄でも触れた。米中接近で、中国は米国にとっての戦略的ライバルの位置を脱し、再び戦略的パートナーの地位を手にしたと言える。
イラク及び核問題で台頭するイランを抱えて、中東情勢に手をとられている米国は、北朝鮮の抑え込みに力を発揮する中国への接近に戦略的意味を見出しているのだ。外交専門誌、『フォーリンアフェアーズ』(03年7/8月号)は、元駐タイ米大使のアブラモウィッツ氏らによる「新アジアへの適応」という論文を掲載した。内容は、中国の台頭と日本の陰りを明確に対比させたものだ。米中接近のなかで台湾は平和的に、中国との和合に進むと分析された。日本は拡大する中国の力に適応できず、新たな戦略を日本自らが構築するまでの間、宙に浮き続ける(drift)、“縮こまる同盟国”(shrinking ally)だと分析された。
国際関係では国家は国益によって動く。田久保教授が強調した。
「国家間の連携が思想を超えて行われてきたことは、歴史に明らかです。ルーズベルトはスターリンと組み、日独と戦いました。ニクソンは周恩来と組みソ連に対抗しました。米国はイラクを支援しイランと対抗。ここ十年余はそのイラクと戦い、対立してきました。外交は如何ようにも変化し得る。日米関係も同様です。ただ、日本にとっての現在のパートナーは米国しかありません」
自立まで日米同盟あるのみ
外交政策と共に米国の軍事戦略も新しい配置へと移行しつつある。再配置の軸は、かつての冷戦対応からテロリズムとの戦いに移っている。冷戦時代の最前線基地、駐独基地は、もはや意味を失い、7万人の米兵の駐留も不要となってきた。また神出鬼没のテロ攻撃に対しては、大規模な軍事基地を一カ国に置くよりも小規模ながら迅速に展開出来る前線作戦基地を複数の国に置く方向へと、米国は舵を切っている。
中東ではサウジアラビア駐留の1万人を年末までにカタールに移す方針が決定済みだ。北朝鮮に誤ったシグナルを送らないための配慮をしながらも、3万7000人の韓国駐留軍を南に下げて韓国内の他地域に移すことも決定済みだ。規模こそ明らかではないが、在日米軍も大幅削減の方向に進みつつある。先のアブラモウィッツ論文にも、在日米軍は、拠点としての海軍基地を残しつつも、陸軍は引き揚げる、時期は「遠くない将来」であり、在韓米軍の移動と軌を一にすると予測された。
戦いの相手をテロリズムとその支援国に切り替えた米戦略に、日本はどう対応すべきなのか。中国は“悪の枢軸”とされた北朝鮮対応で早くも米国の戦略的パートナーの位置を回復した。米国への“貸し”は台湾問題での中国の立場を強化した。対米関係で目ざましく力をつける中国を前に、日本は“宙に浮き続け”ていてはならないのだ。
在日米軍の削減や撤退は、まさに日本に憲法改正を含めた自立国への道を歩むことを要求する事態だ。それが出来るまでの間、日本の生き残りを担保するのは、米国との同盟しかない冷厳な事実を見つめよ。民主主義の擁護に加えて、日米同盟の強化のためにもイラクへの自衛隊の派遣を先延ばししてはならない。